第8話 天才の絵と凡才の絵?
私は、一人の男の子の肩を、軽く叩く。
きょとんと、赤いTシャツの男の子がこっちを見た。一人が手を止めると、もう一人の、髪をマッシュルームカットにした子も手を止めた。
私は、赤いTシャツの男の子の隣に座って、タブレットのイラストアプリを起動させる。
赤いTシャツには車がプリントされていたから、私は白いキャンバスにそれを模写した。
すると、男の子たちも覗き込むように脇に座る。
「はい、車」
塗りつぶしで色を塗って見せると、男の子たちは目を輝かせた。
昔、イラストサイトで連載されていた、小学校の教育実習のエッセイ漫画。作者が即興でイラストを描く事で、あちこち移動する子どもたちを一点に集めていたシーンがあった。ありがとう、イラストサイト。ありがとう、作者。
……けど、そこからが大変だった。
「ねーちゃん飛行機描いて飛行機!!」
「キリン!!」
「新幹線!!」
「カバ!!」
「消防車! 救急車!!」
「クジラ! ゴリラ! コモドオオトカゲ!!」
「ちょっと待って、私描いたことあるもの以外は、模写しか出来ないから!」
私がそう言うと、男の子二人は、病院のあちこちから、図鑑を持ってきた。
嵐のように舞い込んでくるリクエストをこなしていると、お昼休みに入ったのだろう。振り子時計の鐘が鳴ると、マモルくんが受付にやって来た。
マモルくんは、男の子二人に囲まれた私を見て、きょとんとしたが、私の手元にあるタブレットを見て、へえ、と言った。
「上手いじゃん。絵」
なんの含みもなく褒められて、私は耳を疑った。
「は?」
「なんだよ。世辞じゃねえよ」
マモルくんが私の隣に座る。児童スペースを区切るブロックに座っているので、マモルくんが座ると、ジーンズを着た長い足が収まらない。まあ、私も似たようなものだけど。
「ただの模写だよ。上手い人は見なくても、車でもキリンでもコモドオオトカゲでも描けるって」
「俺、見ながらでも描けないけどな」
マモルくんの言葉に、「そうだよ!」と、赤いTシャツの男の子が続ける。
「マモルくん、めちゃくちゃ下手だもん! イノチくんを描くのも下手だし!」
「イノチくん?」
誰だそれ。
私が尋ねると、マッシュルームカットの男の子が、「あれ」と指を指す。
受付カウンターの隣に貼り出されているポスターに、大きく描かれたマスコットキャラクター。隣には、「イノチくん」と書かれている。……あれ、なんか見たことがある。
そうだ、ここに運び込まれて、目を覚ました時に見たんだ。
ただし、こちらのポスターは、ほとんど無駄な線がない。丸い顔とか、左右対称な形をしている。
最初見たのは、むちゃくちゃぐにゃぐにゃした線まみれだったけど。配色でなんとかわかるレベルだった。妙ちきりんなマスコットキャラクターだなって思ったけど。
「え、あれ、あんたが描いたの?」
「……なんだよ。下手で悪かったな」
目をそらすマモルくん。
「いや、あの……味があって、いいと思うよ?」
「慰めなくていいよ……」
どうやら、かろうじて出た私のフォローは、無力だったらしい。
「は!? 写真も動画も撮れんのか!?」
「うん」
児童スペースの床いっぱいに新聞を敷き、その上で男の子たちが、画用紙にクレヨンで描き込んでいた。
マモルくんは、タブレットやスマホに興味津々で、さっきから触って操作している。
「画面に触って操作……? めちゃくちゃ画面キレイだけど画素数どうなってんだ……? こんなうっすい板にどんだけの容量が……」
「あ、スマホの容量は128GBかな」
「128GB!? メモリが!? ストレージが!?」
「ストレージ。メモリは……いくつだったかな……」
スマホとかタブレットを触る場合、ストレージしか気にしないもんな。ってか、メモリって何? パソコンに詳しい子がプログラミングの授業でよく言ってたけど、いまだにメモリの場所がわかんない。
「こんなに簡単に、デジタルイラストが描けるとか……」
「私たちの世界じゃ、作ったものを共有することもできるよ」
「共有?」
「ええと、SNS……インターネットにあるコミュニティサイトに載せる、みたいな……?」
こういう時検索して調べたり、SNSが何なのか実物を見せたいけど、この世界にはWiFiがないんだよな……。サーヤに頼んだら、令和からWiFi繋げられないかな。帰ってきたら聞こう。
「とにかく、SNSを使ったら、アマプロ関係なく写真とか絵とか発表できて、いいなと思ったものは拡散したりして、」
「拡散?」
「あー……」
自分たちが住んでいたところの文化を説明するの、難しー!
自分の語彙力のなさに頭を抱えていると、「なんか、いいな」とマモルくんは笑った。
「要するに、みんながデジタルを使って、創作できるんだろ?」
「うん……まあ、そう……」
すごいな、マモルくん。そういうことだよ。
「……ふーん、こんな絵も描くんだ」
「あ、ちょっと! 勝手にデータ見ないでよ!」
慌ててタブレットをマモルくんから取り上げる。
「あんたの志望校って、美大?」
「はぁ? んなわけないじゃん。普通の大学だよ。文系の」
からかわれているのか、と思って、思わず敵意丸出して返す。
ところが、マモルくんはきょとんとしていた。
「え、画家にならねぇの」
「が……」
随分アナログな響きだ。SNSだと、「絵師」って呼ぶもんね。
どうやらマモルくんは、本気でそう思っているらしい。はあ、と私はため息をついた。
「さっきも言ったでしょ。私、描いたことあるもの以外は、模写しか出来ないんだって」
「でもそれ、空想の世界だろ?」
「……まあ、そうだけど。あんまり上手くないし」
私の言葉に、「いや上手いって」と続けるマモルくん。
マモルくんが見ていたのは、空に浮かぶ、スチームパンクの街並みを歩く女の子の絵だ。
高校一年生の時、とあるイラストコミュニティサイトに応募した作品。この絵は私の中でも、一番の力作だった。
SNSじゃ、それなりにいいね! も、拡散もされた。だから、何かしらの賞に引っかかったらいいな、と思ったけど、現実は甘くなかった。
そして、その結果を見て、私は淡く描いていた絵の道を、諦めたのだ。
「なんていうのかな、覚悟がなかったんだよね」
「覚悟?」
「美大受験で何年も落ちている人の、実録漫画とか読んでるとさ。美大に受かるための勉強も、それに費やして無駄にする覚悟も、私にはなかった」
なんだか、そこまでしてしまったら、私は絵を嫌いになりそうだと思った。それが一番怖かったのだ。
「やる前から出来ないって思ってる時点で、私に才能なんてないんだよ。
それにこれ、パースとかめっちゃ狂ってるし。影の付け方も無茶苦茶だし。空想にしたって、色々おかしいんだよね」
これでよく、受賞する気満々だったな、過去の私。恥ずかしい。
それでも、描いていた時のワクワクした気持ちとか、楽しかった時間を思い出して、ゴミ箱に捨てられなかった。
「別に絵を描くのをやめたわけじゃないし、好きな限り続けるつもり。さっきも言ったみたいに、SNSで発表もできるし」
私がそう言うと、ふーんとマモルくんは言った。
「俺は好きだけどな。その絵」
「何? 急に優しくなって。なんか企んでる?」
思わず警戒態勢をとると、企んでねーよ、とマモルくんは困った顔をする。
「人の言葉は、素直に受け取ってくれよ」
「だってマモルくんの言葉、素直に受け取ったら、バカを見そうだもん。皮肉っぽい」
「ひ……」
絶句したマモルくんが固まる。
しばらく頭を抱えてから、悪い、と謝罪を口にした。
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