007 『美少女二人』と『陰キャ』


「したいなら別に、私は構わないのだけど? ――してみる? キス」


 妖艶に微笑む黒髪美少女を前に俺は、


「待て待て待て……! タンマタンマ! 俺は童貞だぞ……!」


 などと意味不明なセリフを吐き、慌てて一気に距離を取る。

 少しは躊躇え……。なんで普通にキスしようとしてくるんだよ。


 彼女は残念そうに、


「別に自己紹介しろとは言ってないわ」

「誰が自己紹介やねん――ってそうじゃなくて……」

「ふ、もういいわよ。その代わり、キスもできない童貞ってあとで皆に広めておくわね」


 そう言って魔女が笑った。


「いや、めっちゃ迷惑なんですが? 普通にやめてもらえませんかね? 風評被害です」

「それは凛斗の態度次第でしょう?」


 お、おう……。


「わ、わかったよ。何をすればいい?」


 すると彼女は顎に手を当てて結構真面目に悩み始めた。


「うーん……じゃあキス」

「一ノ瀬鈴乃さん、話聞いてたか?」

「そう、成程。分かったわ。凛斗はキスも出来ない童貞くんって皆に伝……」

「ストップ、ストップだ! ……分かった。他に何かないのか? キス以外に」


 キスは駄目だ。流石にやりすぎだ。付き合ってもいないのに。

 付き合っていると嘘はつかれたが、それはそれ。これはこれ。


「そうね……じゃあハグ」

「却下だろ」


「壁ドン」

「却下」


「顎クイ」

「却下」


 この人、本当に頭いいのか? 成績いいのか?

 実はカンニング超うまいとかいう設定ないのか?


「普通に考えて全部駄目だって。もっと手頃なのあるだろ、ジュース奢るとか」

「ジュース? 別に要らないわ。面白くない。全くそそられない」

「いや知らんて。陰キャの俺に面白さを求めるな……」


 そもそも俺は何に脅されてるんだ? 理不尽過ぎるだろ。

 童貞だとバラされてくなければ言う事を聞きなさい、的な? 

 悪いがこの年で童貞じゃない方がちょっとまずいまであるんだよ、今の世の中。


「それは、あなたが陰キャのフリをしているからでしょう…………もういいわ」


 結局彼女は数秒悩み、「鈴乃」と呼び捨てにすることに決めたらしい。

 俺は承諾。これで俺は彼女を鈴乃と呼ぶしかなくなった。


「陰キャのフリ、ね」


 鈴乃、この人ナニモンだ? 俺はそう考えていた。



◇ ◇ ◇



 その日の授業を終え(実は一切聞いていないが)放課後になった。

 そして今すぐ帰りたい衝動にかられた……特に女子からの視線が痛い。男子の嫉妬の目もある。女子からの呪いの目も。

 いや、当然ではあるんだが……。

 

 俺は正面で腕を組む鈴乃と、後ろ側で帰り支度を進める刹菜をそれぞれ見た。

 昨日もこの二人と一緒に帰った。


 一人の陰キャが、二人のマドンナと登下校……変な噂が立ち始めるのは時間の問題だったのだろう。

 俺がお金で二人を買収したとか、二人の弱みを握っただとか。意味不明な噂ばかり。

 そも「定評のある女子二人」と「記憶喪失の陰キャ」、どちらかを悪くとらえようとすれば、後者が悪くなるのは必然。


「刹菜さん、急いでくれるかしら? 早く帰りたいのだけど」

「は、何せかしてんの。先に帰りたいなら帰れば? バイバイさよなら」

「そう、なら先に凛斗と帰るわ。行くわよ凛斗」

「いや、少しくらい待ってやれよ」


 言うと、


「ふふん、ほらリントも待ってくれるって。先に帰りなよ鈴乃さん」


 勝ち誇ったような態度の刹菜に対して、顔が引きつった鈴乃。彼女は何故か俺の表情を確認したあと、


「し、仕方ないわね」


 仕方ないんだ。そこは仕方ないんだ。

 まあ俺は喧嘩して目立つのが嫌だっただけだがな。


 それより困ったな……特に女子の凍てつく視線。どうにかならないのか……。

 新しい性癖に目覚める前に帰宅せねば……。


 そしてついに、一人の女子が勇気を振り絞った雰囲気で、


「刹菜ちゃん……霧咲に脅されてるなら正直に言いなよ? 私たちは刹菜ちゃんの味方だから」


 酷い言われようだが別にいい。俺はこういうのはあまり気にしない質、というか気にするだけ無駄とさえ思っている。


「え? 別に脅されてないけど?」


 刹菜は真顔で言った。


「嘘だよ! だって最近の刹菜さんおかしいよ? 鈴乃さんも……そう。霧咲が記憶喪失になった日以来、二人ともおかしい。みんなそう言ってる。凛斗みたいな陰キャと……」

「うん。陰キャと、何? あたしや鈴乃がどんな人とつるもうが勝手でしょ?」


 刹菜はクラス大多数の目を受けても堂々としている。彼女はこのクラスにおける紛う事なきカースト上位。

 まあだからこそ問題視されてるのは否めないがな。


 上位が、俺のような下位の人間にここまで優しく接する理由、意味的な部分が曖昧であればあるほど、噂は過激化するだろう。


「そうだけど……刹菜ちゃん、今までと言ってることが真逆すぎて……」

「そこはごめん。でも、明日になったら同じセリフが言えなくなるかもよ?」

「え、どういう意味……??」


 勿論俺にも意味は分からなかったが――。



 


 数十分後―――。


 俺は何故か床屋の椅子に座っていた。そして髪を切らされ、そしてメガネをコンタクトに変更させられた。主に刹菜に。


「ちょ……ちょちょ……ヤバい。これはヤバイ。やりすぎた。やらかした。これを明日、みんなに見せたらまずい。盗られる。絶対に盗られる。確信できる」


 床屋の鏡越しに移る刹菜は興奮気味にそう漏らす。

 俺は普通に参考書を読んでいたが、


「明日これで学校行けって?」


 しかし刹菜にその声は届かず、彼女はすっかり自らの固有結界に入り込んでいた。


「リント……めっちゃカッコいいんですけど???」


 とか言いながら。


 一方で鈴乃は窓の外を見て「まあ、私は知っていたけれど」と呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る