第34話 気にかける理由

 ずっとここにいるわけにはいかない。洞窟を出て、急ぎシーガルに戻らなければならない。


 服の端を切って、左足に巻く。じわりと滲む血液の量に、ロベルトは乾いた笑みを浮かべる。


 額の血は流れ続けているが、手拭いを当て、とりあえずの止血を済ませる。


 そしてニーナに肩を貸してもらいながら洞窟を出るために歩き出した。


「出口が見えてきたな……つっ」


「すぐに帰って治療しましょう……」


 ニーナと会話しながら洞窟を出ると、そこには十人ほどの集団がいた。


『……ちっ。最悪だな』


 集団は誰もが粗暴な様子で、一目で盗賊の一味だという事がわかる。


 つまり、まだ戦いは終わってなどいないという事だ。


「……ニーナ。逃げろ。俺はもう一暴れする」


「む、無茶です! 私も戦います!」


 ニーナは勇んで言ったが、足元が未だに覚束ない。盗賊の薬の効果がまだ残っているのだろう。


 ロベルトは横目でそれを確認すると、肩を貸すニーナを手で押しのけ、腰の剣を鞘から抜く。


(例え、ここで倒れようと、最後まで戦って死んでやる……)


 もはや身体は満身創痍だ。脚の傷も、額の裂傷も、どちらも決して軽傷ではない。


 そして、目の前のこの人数である。少しばかり剣を振れる様になったからと言って、敵う人数ではない事は明白だった。


 ロベルトが剣を構え、油断なく前を見据える。


 だが、一触即発の空気の中、ロベルトと集団の間に、場違いな程に静かに、その人物は降り立った。


「やあロベルト・ウェライン。目的は果たした様だな」


「ラハム……お前まだいたのか」


 シェルミアの民、ラハムは外套を着込んだままの姿で目の前に現れた。


「無謀だと思っていたが、戦士の恐れからも脱したか。先ほどよりいい顔になった」


「なぜお前がここにいる? シーガルに戻れと言ったはずだ」


 ロベルトの怪訝な表情に、ラハムはふっと息を吐いた。


「礼をくれると言っていただろう。お前から贈られる礼に興味が沸いた。なのに死んでは元も子もないだろう?」


 ラハムがそう言うと、隙を窺っていた盗賊の男の一人が、剣を抜いて襲いかかる。


「ラハ──」


 ロベルトが注意を呼びかけようとした、その刹那、ラハムの身体が視界の中でブレた。


 ラハムの手にはいつの間にか前方に垂れる様に湾曲した剣が握られており、襲いかかった盗賊はラハムの脇を通り過ぎて、たたらを踏んで地面に倒れ伏した。


「──っ」


「ロベルト様……あの方は?」


 ニーナの質問にロベルトは答える事ができなかった。それはラハムが見せた剣技のせいだ。


 それはロベルトが今まで見たこともない早業だった。


 倒れ伏した盗賊の死体から血溜まりが出来上がるのを、誰もが固まって見ているしかなかった。


 曲刀を人差し指の上に乗せ、回しながら弄んでいるラハムは、盗賊たちの方に一瞥もくれず、まるで歯牙にかけない様子で言った。


「仲間が死んだぞ? 来ないのか?」


 その一声が開戦の狼煙となった。だが、その結果はもはや戦いなどではなく、虐殺という他なかった。


 ――――――――――――



 翌日。ロベルトは寝転がったまま昨日の事を思い出していた。


 街に母親への贈り物を探しに行ったらニーナが攫われ、それを助けに行くためにラハムと盗賊の棲家へと向かった。


 無事にニーナを見つけ、一人の盗賊を斬り、満身創痍のままもう一人を脅しにかけて逃げ出した所まではよかったが、その後、洞窟を出たところで盗賊の一味に襲われかけた。


 逃げ出した痩身の男が仲間を呼んだのか、それは定かではない。


 何故なら、一味の中には痩身の男はいなかった上に、すぐに言葉を口に発する者はいなくなった。


 助太刀に入ったラハムが、盗賊十三人を有無を言わさず斬り殺してしまったからだ。


 その後、ラハムは「面倒ごとは御免だ。礼を楽しみにしている」とだけ言い残してどこかに消えた。


 ロベルトとニーナはふらつきながら街道に出て、そこでウェライン家の私兵団に救出された。


 安堵したからか気を失っている間に、屋敷へと運ばれ、治療師から傷の手当をされたとの事だ。


 今回の事件に関してはまだ両親にはロベルトから話す事はできておらず、自室で目が覚めヴァンから事の顛末を聞いたのみである。


『調子はどうだ?』


「悪い……つっ……いてて」


 未だ左脚は踏ん張ると痛みがあり、盗賊にやられた額の傷も自身で思っているよりも深かった様子で、鈍痛が治まる気配がない。


「そういえば、ニーナはどうした? いつも起こしに来るだろ?」


『ああ……ニーナちゃんは軽傷だったからな。どうやら事件の事について訊かれているらしい』


「そうか。まあ、無事でよかった」


『ありがとよ。奪い返しにきてくれて』


「お前じゃない。ニーナだ」


『ちっ。可愛げのねえガキだ』


「喧しい剣だ。それにしても気が重いな……」


 ロベルトが肩を落としてため息を吐く。


『あん?』


「今回の事についてだ。もう母様へ贈り物をしようとしていたのを隠すどころではなくなった。それに街に勝手に行っていた事がばれたんだぞ? 父様になんと言われるか」


『ああ……そういうことか。お前何もわかっちゃいねえなぁ』


 ヴァンの呆れた物言いに、ロベルトはむっとする。


「言いつけを守らずに叱られる時の面倒くささがお前にはわからないんだろうな。あの時の説教の長さと言ったら、嵐鷲も地に足つけるほどだぞ?」


 嵐鷲は延々と空を飛んでいて、滅多に地面に降りないとされている。長く退屈な事柄を指す時に使われる。


『だからわかってねえって言ってんだよ』


「何が──」


 ヴァンを問い詰めようとした時、部屋の扉を開けて二人の人間が入ってくる。ロベルトの両親であるクラインとカーラである。


「あっ……ロベルトっ!」


「か、母様?」


 カーラが飛び込んできて、ベッドに潰される。顔を揉みくちゃにされながら、泣き顔を向けるカーラに、ロベルトは鬱陶しそうに顔を背ける。


「よかったっ……本当によかった。なんで貴方はそう無茶をするの!? こんなに傷を負って、どれだけ心配をかければ気が済むの!?」


「母様! 痛い痛い!」


「お、おいカーラ。そこは傷口だから、あまり触らないでやれ……」


 カーラの指が額の傷を無遠慮に触るのを、クラインが諌める。


「何があったのか、貴方の口から説明してもらうわよ!」


「いや、それはニーナが……」


「貴方が、自分の口で説明するの。わかったわね!」


「は、はい!」


 カーラの剣幕に、ロベルトはついに折れる。まだ不服そうなロベルトを、カーラが今度は優しく抱きしめる。


「本当に……こんなに怪我をして。血まみれの貴方を見て、私がどんな気持ちだったかわかる?」


「……はい。ごめんなさい。心配をかけて」


「ううん。いいわ。こうして無事に戻ってきてくれた。それだけで」


 カーラの抱擁にロベルトも目頭が熱くなる。


「ロベルト。ロイドやニーナから事の顛末は聞いたが、お前からも傷が治ったら詳しく話を聞かせてもらうぞ」


「はい。あの、それでニーナは?」


 ロベルトはクラインに問いかける。


 すると、クラインは言いずらそうに口ごもった。


「あの子は……お前とは会わせる訳にはいかん」


「……それはどうしてですか?」


 ロベルトが疑問を問いかける。だが、それに応えたのはヴァンだった。


『間者の疑いがかかってるだろうからな。今回の盗賊騒ぎに一噛みしてると思ってんだろう。お前とニーナちゃんを会わせたら危険が及ぶかもしれねえって話だ』


 ヴァンの言葉でニーナの立場を理解し、ロベルトはベッドから立ち上がった。


「おい、ロベルト。どこに行く?」


「ニーナの所に行きます」


「ならん。お前はここで療養して一刻も早く傷を治せ」


「傷はもう問題ありません」


「嘘をつくな。左足を庇っているだろう。歩き方でわかる」


「むぐぐっ」


 流石に目敏いクラインに、ロベルトは舌打ちしそうになるのを堪えて口を開いた。


「ニーナには何の責任もありませんっ……。勿論ロイドにも。悪いのは俺だけです」


「……絆されたか? たかが獣人の使用人だ。なぜそこまで肩入れする? そもそもが、いち使用人が原因で仕える家の主に傷を負わせるなど本来はあってはならんことだ。お前とあの娘を会わせるわけにはいかん!」


「ちょ、ちょっとクライン!」


「お前は黙っていろカーラ。ロベルト。お前はなぜあの子の事を過剰に気にかける? お世辞にも仕事が出来るとも言えない、使用人たちの評判がいいわけでもない。他にもっと気立てのいい娘はいる。まさか同情や憐憫の感情か?」


 これまでだったら、根も葉もない噂話や、決めつけで話をされるのが嫌だったロベルトだが、今は冷静だった。


「獣人とか、優秀とか、そんなの関係ない……と今は思っています」


「なら、何をもって?」


「彼女は、俺の誇りを守ってくれた。俺は彼女が……ニーナがいると、不思議と剣を握るのが怖くなくなった。だから、俺は誰が止めても彼女に会いに行きます」


 ロベルトが真っ直ぐ翡翠の瞳を向けると、クラインとカーラが息を呑む。


「……それはただのロベルトになってもか?」 


「……う、ううん? ……たぶん、変わらないと思います」


 ロベルトはまさか自分が勘当されるとは思っていなかったため、少し動揺しつつも返事をした。


「ふん、だが貴族が貴族で無くなった時、想像を絶するほどの──」


「もうやめなさいクライン!」


「カーラ?」


 カーラの突然の怒号に、クラインのみならずロベルトまでもが肩を跳ねさせる。


 カーラはロベルトの前に腰を下ろすと、真っ直ぐ視線を向けて言った。


「ロベルト。正直に答えなさい。貴方にとって、あの子は傷を流す価値のある者なのかしら?」


「はい」


「それは貴方自身が決めた事?」


「もちろんです」


「ロベルト。ニーナは使用人と面談をするための部屋にいるわ。大丈夫。牢になんて入れてはいないし、無理に詰問なんてしていない」


「母様……」


「けど、きっと心細いと思う。私にもニーナの気持ちが少しはわかるの。このウェライン家に嫁いで、一人きりで孤独を感じた事もある。とても寂しかったのを覚えてるわ。そんな時に気にかけてくれる人っていうのは、どんな形であれ大事な存在だったから」


 カーラの言葉にそれまで厳しい顔で佇んでいたクラインが深くため息を吐いた。


「ふぅ……これ以上言っては、こっちが悪者になってしまうだろうが……。仕方がない。まだ言いたい事はあるが、行ってきなさいロベルト。一つ言っておくと、あの子は使用人の仕事を辞めようかと考えていた。だが、もしもお前がニーナに対して思っている事があるなら、直接、お前の言葉で伝えるべきだ。それが貴族以前に、人として大切な事だと私は思っている」


「は、はい。父様、母様! 心配かけてすみませんでした!」


 ロベルトはヴァンの剣を手に、部屋を出ていく。


 残された部屋で、不安そうな表情のクラインの手を、カーラが握った。


「本当に、あの歳の子供というのは、少し目を離した隙に変わっていくものだな……」


「そうね。まさか、ロベルトがあんな顔をするなんてね」


「私兵団の話によると、ロベルトを発見した先で、盗賊団の亡骸が十四人分あったらしい。ロベルトが一人でやったとは思えないが……」


「それは後で詳しく話を聞けばいいでしょう?」


 カーラはクラインの肩に手を置く。クラインは「そうだな」と小さく呟くと、ロベルトが出て行った扉の方を見る。


「それにしても言い過ぎたか……?」


 クラインの言葉に、カーラが口元に手を当てて笑う。


「ふふ。厳しくなりきれない所も、親子そっくりね」

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