第33話 覚悟
「……なん、だと?」
ニーナの言葉に、ロベルトは焦りも忘れて聞き返す。
「ロベルト様は、こんな所で命を落とされる方ではないんです。きっと、優しいロベルト様は、これから沢山の人と出会って、沢山愛されます。ヴァン・ウェライン様を超えるような、そんな英雄に必ずなります。だから、私はもう十分です」
ニーナの言葉に、ロベルトは息を呑む。
「──ロベルト様はこんな私に沢山優しくしてくれました。でも、私からは何もしてあげられませんでした。それどころか、こんな事に巻き込んでしまって……。けど、きっと優しいロベルト様は、私の事を忘れないでいてくれるっ……それが嬉しいんですっ……私はそれだけで構いません……だから」
ニーナの声が震えているのがロベルトには分かった。
──違う。優しくしてくれたのはニーナだ。俺に唯一、いつだって、優しかった。獣人だからと罵っても、どれだけ自分が馬鹿な事を言っても変わらなかった。いつも笑顔を向けてくれた。その明るさに、どれだけ救われてきたか。
「おいガキ。お前、震えてんぞ? 怖かったら逃げてもいいんだぜ?」
「あんまりビビらせんなよ。可哀想だろうが。ハッハッハ!」
盗賊の煩わしい笑い声に混じって、ヴァンの声が聞こえる。
『ガキ……もう無理だ。ニーナちゃんの言う通り逃げろ。お前一人なら、どうにか逃げ出せるだろ。使用人と貴族じゃ価値がちげえ。逃げても誰も責めねえよ』
手元のヴァンの声にロベルトは憎々しげな表情を浮かべる。
──お前まで逃げろと言うのか。
ロベルトは自分の構えている英雄の魂が宿った剣を見る。
人に向けたのはこれで二度目だ。剣を抜くのはいつだって恐ろしい。殺し合いなら尚更だ。
その証拠に、盗賊たちが言う通り確かに剣先が震えている。
だが、この剣を抜く時、必ずそばにニーナがいる事を思い出した。
今も横で震えながら、その内面の恐怖を悟られぬ様に、覚悟を口にする彼女がいる。
ニーナはロベルトを信じた。あの時、ただ一人だけが、もう一度立ち上がることを信じてくれた。
──何を怖がる事がある。臆病者がっ。
「ふっ!」
ロベルトは手に持った剣で、自分の震える太ももを切り裂く。
「ロベルト様っ!? そんな……どうして」
「ぐぎぎ……いっ……ふぅっ!」
ロベルトの凶行に、目の前の盗賊二人が目を丸くする。
「このガキ。自分で自分を斬りやがった! 大馬鹿野郎だ! ハッハッハ!」
「おいボクう? 剣は敵を斬るためにあるんだぜ? そんな事せずとも俺らに頼んでくれりゃ幾らでもやってやるってのによぉ!」
盗賊たちはロベルトの行動に対して、ただ笑うだけだった。その行動に対して理解ができたのは、その場では一人だけだった。
『……不退の信念がわからねえ馬鹿どもがっ……ガキ……オレはお前の事を勘違いしていたのかもしれねえ』
痛みと引き換えに震えは止まった。
恐怖に苛まれて凍える様な寒さを感じていた身体が、飛び出せと熱を発する。
「……」
『ただのクソガキ。それも、人の心を知らねえ。目も当てられねえ馬鹿野郎だと思ってた。だがちげえ。お前は馬鹿だが、肝の据わったいい奴だ。だからこそ、逃げて欲しかったが』
「もう逃げられない。逃げたら、後悔するのはわかってる。もうあんなのはごめんだっ……だから」
子爵家から、叶わないと思った剣士から、逃げ帰ってきた時から、ロベルトの時間は止まったままだった。
踠いても、喚いても、次第に独りになっていく。それが、ヴァンと出会って、変わっていった。
「──少しでいい。力を貸してくれ英雄」
その言葉は、そこにある人間の中で、ロベルトと、一振りの剣にだけ伝わる囁きだった。
『お前の覚悟は見せてもらった。誇れ。死んでも悔いる事はねえ』
それはロベルトの身を案じる言葉ではなかった。
むしろ、死ぬ可能性があるのだと、死地に赴く戦士に無遠慮に伝えられた言葉だった。
だが、ロベルトにとってはそれが心地よかった。生まれた時から音に聞く英雄に、まさか覚悟を讃えられるとは思ってもみなかった。
『暗闇に目は慣れたか?』
「ああ」
『なら、先に狙うのは細身の野郎からだ。簡単な魔術でいい。土手っ腹にぶち込め』
「風よ」
ヴァンを信用して、間髪入れずに痩身の男に魔術を撃ち込む。
指向性など皆無のそれだったが、ロベルトの魔術は無作為の殺意を持って大気を絡めとる。
「うお!?」
「このガキ! 魔術師か!?」
痩身の男は虚をつかれたため、魔術を避け切れずに被弾して壁に激突する。
『壁と風でサンドだ。 来るぞ! 構えろ! 大振りの上段!』
「うおらぁ!」
手斧を持った大男が、大きく振りかぶる。ヴァンの言っていた通りに、大上段から刃が襲うのが素早く察知できた。
金属同士の擦れる音が洞窟内に響き渡る。
「つっ!」
振り下ろされた手斧を防ぐと、踏ん張るために力を入れた太腿から血が噴き出る。
だが、逆にその痛みが衝撃で飛びそうになる意識を繋ぎ止めた。
『ニーナちゃんを呼べ!』
「ニーナ!!」
ロベルトの声に、大男はニーナの方に視線をやる。だが、ニーナは突然の事で反応も出来ていない。
「しまっ」
陽動だと大男が気がついた時には既に遅かった。
「終わりだっ」
一瞬視線を逸らした大男の手斧を右側に滑らせ、体勢を崩す。
『よくやった』
ロベルトの手に持ったヴァンブレイドが、風を斬りながら振り下ろされる。
咄嗟に掲げた大男の手斧の柄を切り裂き、尚も止まらず、頭蓋を両断する。
飛び散る鮮血がロベルトの身体を赤く染めた。
「──」
「はっ、はっ、はっ」
ロベルトは荒く呼吸をしながら、立ち上がった痩身の男を見据える。
「お、おま、ゴズ!? なに餓鬼に負けてんだよ!? おい!」
「うるさい」
ロベルトが、血に塗れた姿で痩身の男に近寄る。
ずるずると、怪我をした左足を引き摺りながら近寄る血染めの剣士に、痩身の男は逃れる様に壁に張り付いた。
「た、たのむ。ゆるしてくれ。盗んだものは返すっ。だから」
「俺はうるさいと言ったはずだ。それとも、お前も頭を割れば静かになるか?」
「ひ、ぃ」
腰を抜かして地べたに四つ足をついて逃げ惑う男に、ロベルトは口角を釣り上げて言った。
「今はすこぶる気分がいい。それにこの脚だ。逃げるなら追えん」
「あ、あ」
「さっさと消えろっ!」
「は、い!」
ロベルトから少しでも離れようと、一目散に洞窟を飛び出して行った男を、ロベルトは虚な目で見ていた。
漸く気が抜けて、その場に腰を下ろすと、喉がカラカラに乾いている事に気がついて咳をした。
「ロベルト様っ……!」
ニーナが駆け寄ってくる。
それを見てロベルトは焦ったように手を突き出した。
「おい、まてまて」
「ロベルト様ぁ!」
「ぐはっ!」
ニーナが突撃してきたせいで、左脚と頭部の傷が痛みを訴える。
「あ、ご、ごめんなさい!」
「お前はもう少し考えて行動しろ馬鹿!」
「な! 馬鹿はどっちですか!? 自分の脚を斬るなんて! 何を考えてるんですか!? どうして逃げなかったんですか!?」
「……俺の身体だ。どうしようと勝手だろ……」
「勝手です……勝手ですけど……心配かけないで下さい」
胸元を強く掴んだまま、俯いたニーナに、ロベルトもそれ以上何も言えなかった。
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