第31話 シェルミアの民

 王国全土から見たらさして広くもない街であるシーガルだが、それでもウェライン領では随一の大きさを誇る。


 西門に向かうのに、二人して並走してたのはいいが、思いもよらず時間がかかってしまっている事にロベルトは焦燥感を募らせていた。


「おいシェルミア人」


「シェルミアの民だ。シェルミアという国はもうない。だからその呼び方はあまり好ましくないな」


「国がなければ民もいないだろうがっ」


「王がいれば民はいる。国自体は無くてもな。それで、何だ?」


「お前名前は何ていうんだ?」


 ロベルトの疑問に、店主は見定める様にロベルトを見つめる。


「ラハムだ。ただのラハムと呼べばいい」


「そうか。ラハム。お前はなんで誘拐した奴らが西門に向かっていると分かったんだ?」

 

「私がこの街に入ったのも西門からだからな。一番出入りが楽なんだ。門番の仕事が雑だからな」


「そうか……耳の痛い話だな」


 シーガルの事について詳しいわけではないロベルトは、西門の出入りが楽な事など寝耳に水だった。


 街に一人いるだけで騒ぎになるシェルミア人が簡単に出入り出来るのだから、シーガルの西門はそれだけ監視が緩いという事だろう。


「人にしろ、物にしろ、金に変えるならこの街は適さない。そして問題なく外に出るなら西門から。奴らもそこを目指している筈さ」


 ラハムの達観した様子を見て苛立ちが募る。


「ち、人が多いな。裏道を行くか?」


「慣れてないなら迷うかもしれない。余計に時間がかかる」


「くそ!」


 思わず悪態をついたロベルトにラハムが仕方なしと言わんばかりにため息を吐いた。


 伸ばした腕でひょいと軽石でも持ち上げる様にロベルトを背中に担ぐ。


「──ちょ、おわ!」


「口を閉じていろよ? 舌を噛むぞ」


 ラハムの外套に隠された肩口が淡く発光する。


 ──ルーンの輝きだ。


 ラハムが足を踏み出すたびに、石畳が捲れ上がり、どんどんと加速していく。


 ロベルトは振り落とされそうになりながら必死にしがみついた。


 一際強く踏み込んだラハムの身体が大きく浮き上がる。


 街を真上から見下ろす様な形になり、ロベルトはラハムに掴まりながら、生きていて感じた事のない浮遊感に声を上げた。


「あばばばバババっ!」


「口を閉じていろと言っただろう……?」


「む、お、ぐ。この程度。なんて事はない……それよりお前、凄いな。馬車より速いんじゃないか? もっと速く走れるのか?」


「まだまだ速度は上げられるが、少年の身体が保たないだろ?」


 ロベルトはラハムの背中にしがみついたまま、振り落とされない様に外套の上から彼女の身体に手を回す。


 何か柔らかい膨らみを掴んだ気がするが、手を引っ掛けやすいため気にせずに口を開く。


「限界まで速度を上げろ」


「乳を揉みしだきながら言う事か? ……だが、振り落とされるよ?」


「俺を舐めるな。お前なんかに振り落とされるか」


「どうなっても知らないからな」


 限界だと思っていたところから、更にラハムの速度が上がる。


 周りの風景が霞んで見える程の速度で走り続けるラハムに、ロベルトは口角を吊り上げた。


「はっはっは! 風になった気分だっ! さあ! 俺の使用人と剣を取り返すぞ!」


「だから乳を揉むなと言っているだろ」


 ――――――――――――――――


「ニーナと剣を連れ去ったのは、どんな風貌の奴だ?」


 背にしがみついたまま、ロベルトが尋ねる。ラハムは走りながらも、記憶を掘り返す様に目を細めた。


「頭髪を剃っている大柄の男と、顔色の悪い細身の男だ」


「二人組か。その人数でよく気づかれずに攫ったものだ」


「ニーナといったか? あの兎人族の子が攫われたのだとしたら、何か鎮静作用のある薬を使ったのかもしれない。最近の盗賊がよく使う手口だからな」


 盗賊と聞いて、ロベルトがしかめ面をする。


「盗賊だと? 最近暴れ回ってる奴らがいると聞いたが、この街にもいるのか?」


 父親であるクラインが言っていた盗賊団が頭に浮かぶ。


 元々は小さな群れだったのが、急成長していると。


「白昼堂々と人攫いするなど、盗賊としては随分と行きすぎた行動だ。それに加えて、ここは伯爵家のお膝元だろう? そこらにいる木端の盗賊じゃない。何か裏がありそうだな」


 ラハムの言葉に、ロベルトはふんと鼻を鳴らす。


「父様の私兵がいれば、奴らなど一人残らず蹂躙できる」


 ウェライン家の私兵団は、隣街に常駐している。


 シーガルとは少し距離があるため、着くのはいつになるかわからない。


「私兵団? ウェライン家のか?」


「ん? ああ……いや、お前なぜウェライン家だと思った?」


「お前はウェライン家の子息だろう? 風の噂で聞いたが、黒髪に翡翠の瞳をしていると聞いた。本当にかの古の英雄ヴァン・ウェラインと似た姿なのだな」


「それは言うな……それはそうと気づいてたのか?」


「初めて商品を買った時、黒髪と翡翠の瞳は見ているからな。一目を避けている様にも見えたし、もしかしたらと思っただけだ」


「そんな時からか……」


 自分の事など知っている人間は、市井にはあまりいないとロベルトは思っていたが、考え違いだったようだ。


 思えば随分と迂闊な行動をとっていた様に思う。


 そのせいでニーナとヴァンが攫われたのだとしたら、悔やんでも悔やみきれない。


 苛立ちを募らせるロベルトに、ラハムが落ち着いた声で言う。


「西門が見えてきたぞ」


 ラハムが急制動をかけ、地面を削りながら止まる。西門にはやる気のない門番が二人、並んで立っていた。


 その二人のうち、片方に声をかける。


「おいお前」


「ん? なんだ? がきんちょ。仕事中だ。遊んで欲しければ友達と遊びな」


「ここに人くらいの大きさの麻袋を担いだ二人組が来なかったか?」


「二人組? ……知らねえなぁ。それがどうした?」


 ロベルトは目の前の門番を見る。門番の目が、もう片方にちらりと向けられたのを見て、嘘をついていると確信する。


「──おい」


「あ? ち、ちょっと待て。なんだいきなり!」


 ロイドから受け取った短剣を手に、無遠慮に門番に詰め寄る。


「二度は聞かない。ここに、人くらいの大きさの麻袋を担いだ二人組が来なかったか?」


「おい、どうした?」


 もう一人の門番が近寄ってくる。そちらを振り返ろうとした瞬間、ロベルトの外套が風に煽られ、はだける。


 嵐鷲の血族を示す、漆黒の髪と翡翠の瞳が露わになる。


「あ……? え?」


「……俺にだけは嘘をつくな。まだ門番として働きたいならな」


「も、もしかして、ウェライン家子息のロ、ロベルト・ウェライン様……?」


 門番二人が、動揺した様に瞳を泳がせる。


「別に咎めたい訳ではない。だから正直に言え。この門から二人組が出て行ったな?」


 ロベルトの鋭い瞳に、門番の一人が逡巡した様子を見せていたが、諦めた様に口を開いた。


「……はい」


「お、おいお前っ!」


 片方が白状したことで、もう一人が非難の声を上げる。


「申し訳ありませんロベルト様……」


「賄賂でも取って、碌に確認せずに通したか?」


「はい……」


「……いや、いい。よく正直に言ってくれた。もし父様が見えたら、ロベルトが西門から出て行ったと伝えてくれるか?」


「は、はい」


「わか、りました」


 ロベルトは門番の二人に詰め寄ることなく、西門から出る。黙ったまま、再度ラハムに背負われたロベルト。


「いいのかい? 職務怠慢だけど」


「今の俺には関係ない。盗賊を通したのは奴らだが、盗賊にしてやられたのは俺だ」


「なるほどな」


「さて……街道を進んだとは思えないが、奴らどこに行った?」


「まだ時間はそれほど経ってない。匂いを辿ろう」


「は?」


 ラハムの肩が発光する。先ほどと同じ様に、何か魔術を使ったのだろう。


「強化の魔術か」


「厳密には違う。五感を研ぎ澄ます効果があるんだ。いつもより鼻も効くようになる」


 言い切る前に走り出したラハム。その背で振り落とされない様にしがみつくロベルト。


 ロベルトは自らの身体を背負うラハムの後頭部を見つめながら、口を開く。


「シェルミア人……じゃないか。シェルミアの民は全員そんな事が出来るのか?」


「戦士の血筋なら出来る。その他には私の様な異端者くらいだ」


 あまり語りたがらない様子のラハムに、ロベルトも話を切り上げる。


 シェルミアの民について多少の興味はあったが、ずけずけと聞くほどデリカシーがない訳でもなかった。


「ぶっ!」


「……」


「急に止まるな馬鹿っ! いてて」


 ラハムが急制動をかけたことで、その背中に鼻頭を打ち付ける形になった。


 ロベルトは鼻血を垂らしながら、この結果を招いたラハムに苦言を呈する。


「……この辺は森と岩山に囲まれている。ここを進むのは……自殺行為だな」


「追われていることに気づいているなら、待ち伏せするだろうな」


「……あまり距離は離れてはいない。岩山の上に登る程じゃない。どこかの岩壁の切れ間に根城があるんだろう」


「正確な場所はわからんか?」


「ある程度はわかる。ただ風上にいるせいで匂いが薄れてる。注意深く探せばすぐに見つかるとは思うが」


 ラハムは匂いを辿る様に目を閉じて集中する。


「そうか。ならここまででいい。ラハム。お前はシーガルに戻れ。そして後日ウェライン家を訪ねろ。今日の礼をくれてやる」


「まさか、一人で行くつもりなのか?」


 目を丸くして訊ねてくるラハムに、ロベルトは言った。


「奪われたのは俺だ。なら、俺の力で取り返す。それだけだ」


「……お前、歳は幾つだ?」


「歳か? 十二だ」


「……見たまんまだな。子供だ」


「当たり前のことを言うな……。いや、お前がいなかったら、辿り着くことはできなかったんだよな。礼を言う」


「人に礼を言われたのは久しぶりだ。まあ、健闘を祈るよ」


「戦う気はない。持っていったものを奪い返して、それで終わりだ。そもそも──」


 ロベルトはロイドに渡された短剣を手に取ると、ラハムの方を向いた。その手が小刻みに震えるのをラハムは黙って見ていた。


「人に切先を向けただけでこれだ。こんな状態で戦うなんて事はできない」


「……それでも行くんだな」


「ああ」


 外套から覗くラハムの目が一瞬翳りを帯びた様に見えた。


「……獣人も剣も、貴族にとっては一つの道具に過ぎないだろう。あの剣は確かに目を見張る程の物だったが……どちらも命の危険と天秤にかける程に価値のあるものか?」


 ロベルトはその問いに対して訝しげに目を細める。


「……価値だと?」


「ああ。伯爵家の一人息子。それも由緒正しきテンダーウィン王国の貴族家だ。そんな家が獣人を使用人として雇い入れている事さえ不自然に思うが、それ以上にお前がどうしてそこまで肩入れするのかわからん。あの男も言っていたが、使用人の、ましてや獣人の小娘一人のために、危険を冒すのは何故だ?」


 ラハムの言葉は、やや棘がある様に感じられた。


「……他の誰がなんと言おうと、あいつは、あいつだけは俺の事を信じてくれた。その言葉に救われたんだ。あいつが獣人だからとかは関係ない。俺はあいつの事だけは裏切るわけにはいかない」


 ロベルトは手に持っていた短剣を鞘に納めた。


「面白い子供だな……」


「何か言ったか?」


「いや、何も。ただ、嫌いじゃないって事だ。そういうのは」


「……?」


「せいぜい死なない様にな。ロベルト・ウェライン」


「絶対に屋敷に来い。俺はお前が気に入った」


「王国貴族の子息にそんな事を言ってもらえて光栄だ。まあ気が向いたら伺う」


 小さく手を振って歩いていくラハムに、ロベルトは「ああ」と軽く呟くと、岩壁と木々に囲まれた道無き道に入っていった。

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