第30話 思いがけない人物



 外套のフードを目深に被ったその出立は、一見すると誰かわからなかった。


 だが、鈴を鳴らす様な高い声には聞き覚えがあったため、ロベルトは訝しげに尋ねる。


「お前は……あの時の露店の店主か?」


「ああ。帽子はお気に召したかな?」


「悪いが今は世間話をしている暇はないんだ」


 ロベルトの焦った口振りに店主は目を丸くする。


「随分と焦っているな。一体どうしたんだ?」


「俺と一緒にいた女が消えた。お前見ていないか?」


「ああ、あの時の利発そうな子か。いや、見てないな」


「そうかっ」


 ロベルトは店主の言葉に、残念そうに頭を振った。


「──だが」

 

 しかし、店主は言葉を続けた。


「お前が腰に下げていた剣は見た」


「なんだと?」


「それは本当ですか? ……坊ちゃん。下がって下さい」


「本当さ。中々お目にかかれない業物だったからな。そうか……なるほど。じゃあ奴らが抱えていた麻袋の中身があの兎人族の子か」


 店主はニーナを兎人族と言った。街に出てくる時は外套のフードを被り、耳は見えない様に気を配っていたのにだ。


「……それで、貴方はここに何をしにきたんですか?」


 ロイドが目を細める。どこから出したのか、手慣れた様子で短剣を構えた。


「ロイド。お前一体何をしている?」


「いいから下がってください坊ちゃん……悪いですけどこの女の言う事は信用できません。この女自体が主犯という可能性すらある」


「ごもっともだな。私はただ散歩していただけだが……信用できないのは分かっている。けれど、時間がないのだろう?」


 露店を営む長身の女だということ以外は、目の前の人物に対して何も知らなかった。


 顔もはっきりと見えず、どういった表情をしているのかも伺う事が出来ない女に、ロイドが短剣の切先を向ける。


「ええ、ですから早く立ち去ってくれませんか……? 私も女性を斬りたくはないのでね」


 ロイドの切羽詰まった表情を見て、店主はふう、と大きく息を吐いた。


「わかった。これならどうだ?」


 店主が外套から腕を出した。そして、妙に白すぎる肌を、指で強く拭う。すると、白い肌から、別の肌の色が見えてくる。


 僅かに覗いた褐色の肌に、ロイドが目を見張る。


「まさかシェルミア人……?」


「ああ。君の言う通り私は血狂いシェルミア。今は亡き祖国の英霊に誓って盗みはやらないよ」


 ロイドは困惑と共に逡巡する様子を見せたが、やがて向けていた短剣を鞘に納める。


 場が落ち着いたのを見計らって、ロベルトは腕を組んで傲慢な態度で店主の前に出た。


「お前シェルミア人なのか?」


「いかにも。お前たちの目当ての兎人なら、西門の方に向かっていると思うよ。もっとも、私の言葉を信用するならだが」


「ロイド。聞いた通りだ。お前は戻れ。俺が後を追う」


「それとこれとは話が別ですっ。それに坊ちゃんが行くなら俺が」


「お前は行くべきでは無いと言った。俺は行くと言った。ならお前が行く必要はない。俺が行く。いいから戻れ。もう二度と言わん」


 ロベルトの有無を言わさぬ様子に、ロイドは尚も迷っていた様だった。


「私も手を貸そうか少年。君には商品を買ってもらった恩があるからな」


「そうか。なら手を貸せ」


「……」


 葛藤する様子のロイドに、ロベルトは真面目な顔をして語りかける。


「ロイド。お前のことは屋敷の庭師である前に、一人の友だと思っている。攫われたのが例えニーナではなく、お前だったとしても、俺は同じ様にする。だから止めるな」


 ロイドはその言葉に何かを言おうと開口した後、深くため息をついた。


「それは卑怯ですよ坊ちゃん……必ず、無理はしないでください。坊ちゃんに何かあったら、俺は旦那様に顔向けできません」


「安心しろ。無茶はしない」


「はあ……信用できませんよ……。一応これをお持ちください。丸腰よりはマシでしょう」


 ロイドから渡されたのは、一振りの短剣だった。柄に巻かれた布はボロボロではあるが、鞘は手入れされていて大切な物だということがわかる。


「ああ。悪いなロイド。行くぞシェルミア人」


「乗り掛かった船だ。道案内をしよう」


 走り出したロベルトに追随するように店主が走り出す。


 その様子を見ながら、ロイドは悲痛な面持ちで見送っていた。

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