第26話 それぞれが抱える物
「ニーナの父親はどうして亡くなったのだろうな」
『そんなに気になるなら本人に訊いてみればいいじゃねえか?』
「いや……それは、多分良くないことだ。誰しも、聞かれたくない事はある。人の内面に土足で踏み込むのは貴族のやる事ではない」
『今更かよ。ま、そうだな。少なくとも身分を笠に着て無理に問いただすのは人として褒められた事じゃねえな』
「そう、だよな……。もしかしてお前も、俺に知られたくない事があるのか?」
『……まあ、それなりにはな』
ロベルトが知るヴァンは英雄らしく戦好き、女好きの豪傑で人に話せない過去など何一つとして持ち合わせてはいないと思っていた。
日に日に印象が変わる先祖の姿に、ロベルトは鼻を鳴らして言った。
「そうか。まあ、お前の事なんて別に知りたくはないけどな」
『なんだぁ? けっ。可愛げのねえガキだ。オレもお前になんかオレの事は教えねえよ〜』
「捻くれた先祖だ」
『可愛げのねえガキだ』
――――――――――――
中庭で笛を吹いているロベルト。お世辞にも上手いとは言えなかったが、その音色にロイドは目を閉じて穏やかな表情を浮かべる。
以前に街に繰り出した時に買った呼び笛である。これが思っているよりも難しく、ロベルトは未だ練習中だった。
「どうした?」
「はは。いや、やっぱり楽器っていうのはいいものだと思いましてね。音楽の絶えない街は、平和なものですから」
「音楽と街の平和になんの関係がある?」
「そりゃ平和でなければ、人は楽器になんて手を出さないでしょ? 争いの絶えない場所で握られるのは、いつだって剣であり、槍であり、弓なんですから」
「そういうものか」
「はい。そういうものです。あ、丁度いいですから、楽団の話でもしやしょうか」
「楽団?」
「ええ。旅なんてしてると、ついあと先を考えずに行動してしまう事があるものです。立て続けに悪事に見舞われまして。パン一つ買う金も無くなるほど困窮した事があります」
「ほお。そこらへんの草でも食ったのか?」
「口に入れた事はありますよ。すぐに吐き出しましたがね。飢えというのは身体のみならず、心の余裕さえも奪っていくものです。恥ずかしい話ですが、盗みを働いた事もあります」
その言葉にロベルトは驚いた。ロイドはロベルトから見ると冷静で思慮深く、誠実な人間だ。
悪事をなす様な人物には見えなかったが、ロイドは事もなげにそれを告白した。
「……」
「見損ないましたか? 俺もなんであんな馬鹿な事をしたんだろうと思います。けど、その時は頭の中には食い物の事しかなくて、それが得られるなら人を殺しても構わないとすら思っていました」
「誰かを殺したのか……?」
「いえ。踏み止まりました。けど、それは俺が意思の強い人間だったからという訳ではなく、ただ出会いがあったからです」
「出会い?」
「ええ。小さな楽団なんですけどね。色んな街を旅しながら演奏だったり、大道芸だったり、様々な催しものをしてお金を得る。そんな集団です。見た事はありますか?」
「ないな」
「そうですか。稀にシーガルでも見かけますよ。俺は野垂れ死にしそうになってる所、とある楽団の団長に拾われまして、そこで色々と世話を焼いてもらったんです」
「どうしてそいつはそんな事をするんだ?」
「その時は俺もそう思いました。何か裏があるんじゃないかって。けど、今になって団長の気持ちがわかる気がするんです。楽団ではいつも誰かが楽器の練習をしていたりして、煩くて眠れた物じゃないんですよ」
「煩いのは嫌いだ」
「──でも、楽しかった。ただ食って、寝て、そうやって満たしていた心ってものが、他のもので満たされていくのを感じたんです。皆思い思いに踊ったり、楽器を奏でたりして、一緒に一つの空間を作るその様は、なんて素晴らしいんだろう、って思いました」
「……」
「俺は違う道を行く事になりましたが、その楽団はある街で今も演奏を続けているんでしょう。道は違えど一度だけ交わったあの時の暮らしを俺はきっと一生忘れません。いつかロベルト様にも見ていただきたいですね」
ロイドは哀愁の漂う表情で言った。笑っている様な、悲しんでいる様な、不思議な表情だった。
「お前はいつも、面倒くさがらず俺に話をしてくれるよな。……これまでに本当は話したくない事もあったんじゃないか?」
ロベルトの言葉にロイドは面食らった様に目を丸くした。その後、すぐに無邪気に笑う。
「不思議と坊ちゃんには口が緩くなります。なんてね。本当に話したくない事は、坊ちゃんにも話してはいませんよ」
「そうか……」
ロイドにも、ロベルトに話したくない事があるのだと、今更ながら知った。
勿論ロベルトにだってそれはある。ニーナにもあればヴァンにもある。
話したくないのだから仕方のない事なのだが、何故か納得する事が出来ず、ロベルトはその理由もわからず無力感を募らせる。
「坊ちゃん。ありがとうございます」
「何に対しての礼だ……?」
「流浪の旅人の言葉なんて、本来は話半分に聞く物ですよ。真実か、嘘かなんてわからないし、判断のしようもありませんから。けど、坊ちゃんはいつも真剣に話を聞いてくれる。それが嬉しいんです」
「……」
「──話しずらい事、話したくない事。そんな物は人にはたくさんあります。けど俺は、いつか話せる時が来たら、坊ちゃんにだけは聞いてほしいと思っています」
「……ああ。その時は必ず聞かせてくれ」
「はい」
ロベルトはまた笛を吹く。これまで静かだった屋敷に、楽器の音が鳴る。
ロイドは庭仕事を再開して、口笛を吹く。ロベルトの笛の音と重なる様に、思い思いに音を奏でる。
お世辞にも上手いセッションでは無かったが、二人はずっと笛を鳴らし続けていた。
――――――――――――
『素振りも少しはこなせる様になってきたな。前よりは良くなってきてるんじゃねえか?』
「そうだといいんだけどな……はぁ、そういえば、お前に身体を乗っ取られている時はどうなんだろうな」
ロベルトを襲う病は、剣を振る行為や、剣を持って誰かと対峙する時に牙を向く。
それが精神的な物ならば、全く違う精神を持つヴァンに乗っ取られている場合はどうなるのか。
『さあなぁ。やってみるか?』
「いや、やめとく」
『ちっ』
しかし、ヴァンに身体を貸すと碌な事にならないのがわかっているため、ロベルトは話題に出しただけですぐに却下した。
「それにしても……素振りをするのはいいが、これだと物足りない」
『オレは今やただの剣だからなぁ……。お前の剣を見てやろうにもこの体じゃな』
宝石を明滅させてヴァンは言う。
このままではいけないという焦りはロベルトの中にはあったが、だからと言って手当たり次第に指南役を呼んでもまたあのミットンみたいな詐欺師が来るだけだろう。
難儀な物である。
「魔術の練習は止められているしな」
『初めがあれだったからな。まあ、魔術に関しても出来れば誰かに師事した方がいい。オレの時代とは考え方も違うだろうし、魔術は本来危険な物だからな』
そこでロベルトは疑問に思っていた事を聞く。
「そういえば魔術を使いすぎると、人ならざるものへと変わるというのは本当なのか?」
王国で魔術を教わる者は、ほぼ全てと言っていい程口酸っぱく教えられている事である。
『ああ。オレらの時代だと魔人って言われてたな。マテリアルがぶち割れて、マナを浄化する手段が無くなるんだ。だが、それは一握りの人間だけで、本来はぶっ倒れて死ぬだけだが、どちらにせよ悲惨だな』
「魔人か……」
『悪い事は言わねえ。興味本位であいつらには近づくんじゃねえぞ。元がそうだったとしても同じ人間だとすら思うな。あいつらは唯の怪物だからな』
貴族的教育からか、選民思想が残るロベルトと違い、ヴァンは本来は差別する事を嫌う。
獣人に対する考え方がその証拠でもあるが、そのヴァンが迷う事なく怪物と悪し様に罵る魔人にロベルトは興味を抱いた。
「そんなに危ないのか?」
『魔人になっちまった奴は自分の欲だけを追い求める会話の通じない化け物だ。オレも何度もやり合った事はあるが、出来れば会いたくはねえな』
「そうか……」
『魔術を扱うなら胸に秘めとけよ? 魔術を扱う者は誰だって魔人になる可能性がある。そうなったら砕けたマテリアルは二度と元には戻らねえし、一生人には戻れねえ。見るも悍ましい形に変えられて、人や獣を食い荒らすだけの狂った生き物になる』
ヴァンのいつになく真剣な声に、ロベルトは生唾を飲んだ。
『ま、魔人になる奴なんてのはオレらの時代でも少なかった。なろうとしてなれる物でもねえし、気をつけてれば問題ねえよ。だからそんなビビんな』
「だ、誰がっ。ふんっ。オレに怖い物などない」
『期待に応えられないのが怖いって泣いてた奴が何言ってんだ』
「お前っ……! ……はぁ。やめだ。素振りで疲れててそんな気力もない」
『……なんか調子狂うな』
そんな話をしながら自室に帰ろうとすると、丁度中庭に出てきたニーナと遭遇する。
父親の話をしたきり、なんとなく気まずくなっていたロベルトだったが、ニーナは気にした様子なくロベルトを見ると目を輝かせて寄ってくる。
「ロベルト様っ! そういえば来月は奥様の誕生日ですよ!」
「ああ。そういえばそんな時期か」
「豪勢な料理が並ぶんでしょうねえ。ウェライン伯爵家で誰かの誕生日を迎えるのは初めてなので、今からすごく楽しみです」
「主役はお前じゃないけどな……」
ウェライン伯爵家の人間の誕生日には、ささやかながら内輪だけで小さな誕生会を開く。
伯爵家に伝わる言いつけで、その日だけは使用人も揃って同じ食事を摂る。
「それでも楽しみなんです! 私も奥様に何か差し上げたいんですけど、迷惑だと思われないでしょうか?」
「母様は呆れるほどのお人よしだぞ。そもそも、どうして物を贈る話になる?」
貴族の家では誕生日だからと言って何かを渡す風習はないとロベルトは記憶している。
強いていうなら、その歳まで健やかでいられた事に対して祝いの言葉をかけるくらいだ。
誕生日に両親に何かを贈った事もなければ、ロベルト自身も受け取った事はない。
「ええ、そうなんですか……? 私の里だと誕生日は好きなものを食べられて、里の人たちから色々と贈り物を貰うんですよ」
「ほお。例えばどんな物を貰うんだ?」
「そうですねえ。私の話ですけど、魔除けの首飾りだったり、おもちゃだったり、人によって違います。あ、でも履き物とか、下衣とかは定番でしたよ。兎人族にとって脚は大切な物ですから」
「そうか。なら、俺もお前に倣って母様に何か贈ってみるか……」
「ええ! そんなの! 奥様も絶対に喜びますよ!」
「そ、そうか?」
ロベルトが幼い頃にあげた手拭いを未だに使っているカーラであるから、確かに喜んでくれる可能性は高いが。
「──なら、宝石を散りばめたドレスでも贈るか」
「……ロベルト様。それはちょっと違いますよ」
『オレもそれはズレてると思うぞ』
二人の言葉に首を傾げるロベルト。価値のある物を上げれば、それで嬉しい物ではないのだろうか。
「お金じゃないんですよロベルト様。気持ちっ! 気持ちですよ!」
「ちっ」
「いたたたたた」
人差し指を向けながら生意気に言ってくるニーナに苛立って耳を摘むロベルト、
「ふう。少し気が晴れた」
「にゃ、にゃにするんですか! うぅ……耳取れてないよね……?」
ニーナはみっともなくいじけた声を出しながら、垂れた耳をさする。
「……だったら何を贈ればいいんだ?」
「それは、ロベルト様自身で考えなくちゃ意味がないんですよ……本当に、奥様がドレスを欲しがってるとロベルト様は思ってるんですか?」
ロベルトは考えた。
母親は衣服店を経営しているし服には詳しい。
公爵家のマルタ夫人とも仲良くしているし、流行にも目敏いだろう。そんな人間がドレスをもらって喜ぶのか。
「確かに、ドレスはいらなそうだな。ならなんだ? 髪飾りか? それとも腕輪か? 指輪か?」
「どうして高価な物ばかりなんですか……? そうじゃないです! もうっ! そうじゃなくて、奥様がハッとする様な物を贈ればいいんですよ」
「ハッと……? 帽子とか?」
「もういいです……」
ニーナは諦めた様に項垂れる。
その様子を見てロベルトは焦った。
ただでさえ出した案を尽く棄却されているというのに、ニーナが教えてくれなかったら何を贈ればいいのかわからない。
「教えてくれ……何を贈ればいい?」
「ロベルト様は奥様の事を知らなすぎます。だから、まずは奥様の事を知るところから始めましょう!」
「知る?」
「そうです。奥様が普段何をされているのか、どんな気持ちで生活しているのか、それが少しでもわかれば、自ずと贈る物も見えてくるはずですよ」
「ふむ。なら、母様に直接訊ねてくるか」
「それは禁止です」
「なんなんださっきから!」
ロベルトの腰にしがみついて止めるニーナに、ロベルトは訳がわからなくなって叫んだ。
「それじゃハッとしないでしょ! 陰から調べるんです! そうすれば贈り物を貰った時の奥様の喜びは何倍にもなります! わかりましたか!?」
「わ、わかったって。だから地面を踏み鳴らすのをやめろっ」
地団駄を踏んで地面を抉るニーナに、本能的な恐怖を覚えて引き下がるロベルト。
『贈り物はいいぜ。女は大概喜ぶからな』
ヴァンが話し出すと、宝石が明滅する。すると、ニーナがじーっとそれを見る。
「また光りました。時々そういう風になりますよね。その腰の剣」
「あ、ああ。それが珍しくて持ち歩いているからな。お前は不吉だなんだと言っていたが」
「今はそうは思いません。ロベルト様がいつも身につけていられるからでしょうか? なんだか親しみが湧いてきました! 宝石が光るのも綺麗ですしね」
にっこりと笑うニーナに、ヴァンが嗚咽を漏らす。
『いい子だなぁニーナちゃん……こんな我儘なガキの言う事を真面目に聞いてやって、その上オレまで褒めてくれるなんて』
「……」
「あ、また光りました! ね? 光りましたよねロベルト様? 今日はなんだかいい事が起きそうです!」
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