第24話 姿見の前で


 自室にて、ロベルトはベッドに腰をかけて俯いていた。


『愛されてんな』


「……」


 ここに来て、初めて耳にした父親の思い。飾り気もない我が子に対するその思いは、ロベルトにいつもとは違った苦痛を与えた。


 今までは、両親や、使用人、周りからの期待に、苛立ちばかり覚えていた。


 ヴァンと比べられ、一人で他家に修行に出たあの時から、ずっとロベルトは孤独の中にいた。そして。それを嘆いたり、恨んだりする事も少なくなかった。


『大人と子供の関係ってのは難しいもんだ。大人は子供をちゃんと見ている様で見えてねえ事もあるし、子供は大人を見てない様で、ちゃんと見てる事もある。今でも両親が苦手か?』


「そんな事ないっ!」


 ロベルトは咄嗟に叫び声を上げた。そして、ハッとするとバツが悪そうに頭を掻きむしる。


「……父様も母様も、優しい人だ。母様は長い間、俺を看病してくれた。父様は責任などないのに……過去を謝った」


『そうだな。オレも鼻がたけえよ』


「二人がそうしたのは、きっとお前が言っていた様に自分に負けないためなんだろ? 母様は弱い人だと思ってたけど、そんな事はなかった。躊躇う事もなく俺を抱きしめてくれた。過去のしがらみなんて一瞬で乗り越えたんだ。真似できる気がしない」


『いつの時代も母親は一番強いもんだ。喧嘩がって訳じゃねえのは、お前もわかってるだろ』


「ああ……」


 ニーナもそうだ。弱々しく、不器用で、明るいだけが取り柄の使用人の一人だと思っていた。


 だが、あれだけ怯えて、泣いて、蹲っていた相手に、真っ向から言葉をぶつけた。


 ──それはきっと他でもない俺なんかのために。


「俺はきっと心が弱いんだろうな……。みっともなく負けて、悔しくて恥ずかしくて、耐えられなくて剣から逃げ出した。あの時投げ出さなければ、もう少し変わっていたのかな」


『まだ十二のがきんちょが、なんか言ってらあ』


「だって……シルヴィアは同じ歳なのに」


『おい。他の奴と比べて卑屈になるなって言ったろ。比べる事自体は悪い事じゃねえ。差を感じて、前を向けるならな。けど、お前のそれは自罰的すぎんぞ』


「仕方ないだろっ。だって俺には何もないから……」


『お前にはオレがついてる。いつだってな。だから、もう置いていくんじゃねえぞ』


 倒れた翌日の朝、一人で部屋を出たロベルトに対しての文句だとわかった。


「ああ……悪かった」


 ヴァンについ弱音をはくロベルトの耳に、自室をノックする音が聞こえた。


「あのぅ。ロベルト様?」


 ニーナが部屋にやってくる。


 倒れたロベルトを元気付けるために兎人族の話をしてくれたニーナだったが、それに興味を示したので兎人族の特性を詳しく教えてくれるという話になったのだ。


「ああ。悪い。少し待ってくれないか……」


「はい!」


 ニーナは何が面白いのか満面の笑顔を携え、ロベルトを待っている。


 自室の姿見に指で触れる。いつ何時でも華麗であれ、とは貴族の言葉である。


 それは片時も貴族である誇りを失わずにいるようにとの戒めの言葉だ。


 そのため、ロベルトも例に漏れずよく姿見で自身を検めていた。


 だが、ロベルトは本当にその言葉の通りに出来ていたのか疑問に思い過去を振り返る。


「無様だな俺は」


 過去に縛られ、ずっと立ち止まっていた自分がそこに映っている。


「よし!」


 ロベルトはヴァンブレイドを鞘から引き抜く。


「え?」


『あ?』


 そして、長い髪の毛を結いていた部分から、一思いに切り裂く。


 ロベルトの黒髪が、床にぱらぱらと落ちる。


「ちょ、何やってるんですかロベルト様っ!?」


「よし」


「よし、じゃないですよ! ああ、綺麗なお髪が……」


 ロベルトは深呼吸を繰り返し、慌てふためくニーナを見る。


「ニーナ。庭に出るぞ。兎人族の凄い所を見せてくれるんだろう?」


「え、ええ! そうですけど……その前に髪を整えませんか?」


「問題ない。きっと誰よりも見た目に囚われているのは、俺自身だったんだ。似てるからと、躍起になって空回って、それで随分と周りに迷惑をかけた。俺は変わるんだ。今この時からな!」


「……それとこれとは話が違う様な……」


「うるさいな! 人が決意を口にしている所をっ! いいからさっさと出るぞ!」


「は、はい! あ、待ってくださいロベルト様!」


 ただ髪を切っただけなのに、妙に晴れやかな気分だった。

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