第23話 優しいとは


「俺が倒れた時は迷惑をかけたな……」


「いえ! それより……ロベルト様……なんか目が凄く腫れてませんか?」


「お前もだろ……?」


「え? 嘘!? 本当ですか? あ、あはは。実は朝から目が痒かったんですよねっ」


「そうか……実は俺もそうなんだ……もしかしたら、何か良くない風が吹いているのかもしれないな」


「はい! あ、なら私にお任せ下さい! 悪い風が入ってこない様にお呪いをしておきます!」


「それは……兎人族に伝わる呪いか?」


「はい! 祭司の舞という踊りなんですけど、兎人族の踊り子は綺麗な衣装を着て、祭祀の時に踊るんです! 白い泥で足に模様を描いて踊ると、悪い風が家に入ってこなくなるんですよ!」


「そうか」


 ロベルトの静かな様子に、ニーナは頭を掻いて笑う。


「ごめんなさい。話しすぎましたっ」


「いや、構わない……もっと聞かせてくれ。お前の話は面白いから」


「そ、そうですか? だったら次は兎人族を丸呑みにしてしまう伝説の大蛇の話をしますね! 私たちはそれをグリエッタって呼んでいて、古い言葉で食む者、という意味があるんですけど、昔に私たちの里の──」


 ニーナが嬉しそうに兎人族の話をするのを、ロベルトは相槌を打ちながら聞いていた。


 ――――――――――――


「盗賊?」


「ああ。最近領内に小規模の盗賊団が出来たらしくてな。物流にも少し影響が出ている」


「そうなんですか……」


「最初は取るにたらん烏合の集だったが、最近になって力をつけてきてな」


 クラインはふぅ、と息を吐いた。心なしか疲れている様な表情である。


「捕まえられないんですか?」


「末端の奴らは何人か捕えたり、討ってはいるが、それ以上に人数が増えるのが早い。市井では人攫いも起きている。万に一つもあり得ないことだが、お前もくれぐれも一人で街に出たりはするなよ?」


「あ、はい」


「いや、出不精のお前がわざわざ街へ出る用もないか」


「はは……」


 ロベルトは一瞬、街に遊びに行ったのがクラインにバレているのかと思ったが、単純にロベルトの突拍子のない性格を案じての忠告だった様だ。


「それと、身体はもう大丈夫なのか……?」


 クラインは苦虫を噛み潰した様な表情で訊ねる。


 一瞬何を聞かれているのかわからなかったロベルトだったが、すぐに自分が倒れた事に対してだと気づく。


「……特に問題はありません。治療師はなんと?」


「治療術で治す事は難しいと言っていた。安くない金を払ったというのに、使えない奴だ」


 ぎり、と奥歯を噛む様な音に、ロベルトは表情を曇らせる。


「すみません」


「あ、いや、お前に言ったわけじゃない。とりあえず、治療師は時間が解決する可能性もあると言っていた」


 可能性もあるということは、一生治らない場合もあり得るということだ。


 ロベルトはあれから、暇を見つけては中庭に出て剣の素振りを行っている。


 ロベルトが自発的にしていることで、ヴァンは何も言わずにそれを見守っている。


 苦痛を伴うそれが正しいのか、間違っているのかすら、腰の剣は教えてはくれない。


「ありがとうございます。ですが、心配は無用です」


 ロベルトの言葉に、クラインは背もたれに身体を預けて弱く息を吐く。


「そうか。アルバート子爵家から戻ってきた時は、お前が変わってしまったと思ったが、どんな変化にも理由はあるものだ。それを知らずに酷な事を言った。もし、話せるのなら、子爵家で何があったのか、私に教えてはくれまいか?」


「すみません……話したくないです」


「そうか」


「けど、もう立ち止まる気はありません。やっと気づいたんです。いや、気づかせてくれた子がいるんです。立ち止まっていても、何も変わらないんだって」


 ロベルトはクラインの顔色を伺いながら言った。


「……ロベルト。お前は俺とカーラの子だ。たった一人の。いずれお前の他にも子ができる事もあるだろう。だが、間違いなく俺とカーラの間に出来た、初めての息子だ」


「はい」


 クラインは虚空を見つめると、言葉を選ぶように逡巡しながら語る。


「大人になるにつれて、自分が子供だった時の思いというのは遠く彼方に消え、もはや自分が子供の時分にはどんな事を考えていたのか思い出せなくなっていく。初めての子供だからと言い訳する気は無いが、俺は、大人の物差しでお前を測っていたのかもしれない。それをまずは謝ろう」


 クラインが頭を下げるが、ロベルトは微妙な表情である。


「謝罪される様な事はありません。父様は何も悪くないし……父様は……俺にとって、尊敬できる方です」


 ロベルトの言葉に、クラインは乾いた笑い声を上げた。


「はは……そうか……そうだったな。幼い頃から、お前は優しい子だった。俺が領主の仕事で忙しい時も、お前はカーラの側にずっといてくれた。そんな事も忘れていた、自分が情けない」


 ──なぜ、こんな俺を優しい子だと言ってくれるのだろう。


「俺が腐っていたのは、ただ俺のせいです。だから、もうやめてください……」


「そうか……。だが、最後に一つだけ言わせてくれ。俺は嘘は言わない。幼いお前が、まるで初めからそう定められているかの様に剣を振ったのを見て、誇らしいと感じた。さすが俺の子だと……その気持ちは、今も、これからも、決して変わらん」

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