第22話 強くなりたい

 翌朝。いつもよりも早く起きたロベルトは、使用人が起こしに来る前に、着の身着姿のまま部屋を出た。


 久しぶりにヴァンを置いたまま部屋を出た事に少しの罪悪感もあったが、今は一人になりたかった。


 廊下を歩いている最中、使用人が近くを通ると、びくりと肩を震わせて隠れ、その視線から逃れる。


 自信満々で、傲慢だったロベルトの姿はそこには無かった。


 ロベルトはそのまま屋敷から出ると、中庭の隅で一人空を見ていた。


 そのうち、空腹感に気がつき、小さく舌打ちをする。


 厨房で何か勝手に食べようと思って足を運ぶと、向かう途中の部屋で使用人たちの笑い声が聞こえた。


 ロベルトは見つかりたくない気持ちと、興味を半分半分に、耳を澄ませた。


「あれだけ威張っていた癖に、情けないわよねえ〜」

「そうそう。治療師が言うには心の病ですって! ふふふ! そんな繊細なの貴方?って感じよね」

「いい迷惑よこっちは。何が英雄の再来よ! ただの臆病者じゃない!」


 誰のことを噂しているのかは、すぐにわかった。ロベルトは過去にそうした様に、壁にもたれるようにしながら、蹲って膝を抱えた。


 何も見ない様に、誰にも見られない様に小さくなった。それが本来の自分なのだと、諦めにも似た感情を抱いて──。


「訂正して下さい!」


 部屋の中から怒声が聞こえ、ロベルトは顔を上げた。


 それは震えた声で、怒り慣れてないのだと、すぐにわかるものだった。


「何よ!? あなた、また虐められたいの!?」

 

「ロベルト様は優しい人です! 私の事を助けてくれたっ……。あの方は決して臆病なんかじゃありません!」


「最近になって、使用人たちに声をかけて回ってるみたいだけど、そんなの外面をよくするためだけでしょ! 獣人のあなたは利用されてるのに気づいてないんだわ! 可哀想にね!」

 

「それの何がいけないんですか!? 誰かに好かれようと努力する事の何がいけないんですか!? ロベルト様が素直に優しくできないのは、貴方たちみたいな人が、彼をよってたかって、そういう風に変えてしまったからじゃないんですか!?」


「う、うるさいわね。騒いでたら人が来るでしょ!? 黙りなさい! どうせ貴方なんて簡単に捨てられるわ。獣人の事なんてなんとも思ってない様な人間なのよ!?」


「──それでもいいですっ……!」


 部屋に溶けていく様な、小さな声でニーナは言った。


「私は役立たずです。仕事だってまだ満足に出来ないし、ロベルト様が苦しい時に、近くにいる事だって出来ないっ……ひ、ぐ。私は獣人だから、私は何も出来ないからっ……」


「ちょっと、なに泣き出してるのよ……」


「けど、それでも、ロベルト様は私に話しかけてくれたんですっ。私に一緒に来いって言ってくれるんですっ……。その時の目が優しくて、私を獣人とか、そんなんじゃなくて、一人の人として見てくれて……私は……そんなロベルト様に、本物の英雄の姿を見たんです」


 部屋の中から絶え間なく鼻を啜る様な音が聞こえる。扉一枚隔てた向こうで、ロベルトのために涙を流す女の子がいる。


「──だから私はロベルト様を悪く言う人を許しませんっ! 誰が何と言おうと、私だけはあの人の味方です! だから、私が私に恥じないために、私の誇りにかけて、あの方を侮辱する事は許しません!」


 ロベルトは自分が泣いている事に気がついた。だが、あの時とは違って、その涙が何故か少し違う様に感じた。


 まるで抱える苦しみが洗い流される様に、とめどなく溢れる涙。


 ロベルトは空腹を忘れ、早足に自室に帰っていく。


 ――――――――――――


 部屋に戻ったロベルトはヴァンを抱えて走り出した。


 中庭に出て、一目を気にせず、その剣を鞘から抜き放つ。


 そして、がむしゃらに素振りを繰り返す。


 身体を得体の知れない恐怖が襲うたびに、ロベルトは歯を食いしばって耐えた。


 絶え間ない苦しさに、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、震えた身体で一心不乱に剣を振り続けた。


 やがて、腕が上がらなくなると、ロベルトはその場に仰向けに倒れ込んだ。


「はぁはぁ……強くっ」


『……』


「──強くなりたいっ! 誰かの期待に応えられる様な、そんな強さを持ちたいっ。もう誰も裏切りたくないっ……!」


 ロベルトの心の奥から湧き上がる様な叫びに、ヴァンの剣が強く光を放つ。


『なれるさ。お前はオレの子孫だからな。何も心配はいらねえ。誇っていい。お前は世の中の剣士が、一生を賭けても得られない物を得たんだよ』


「ぐ、う、う」


『弱さがくれる強さはある。自分の中でしか産まれない、力を求める理由ってのが、これからお前を幾らでも強くする。だから、今は泣きまくって、疲れて眠って、そんで明日にはまた前を向いて歩き出すんだ』


 優しいヴァンの言葉に、ロベルトは顔を覆って泣いた。これだけ泣いたのは、生まれて初めてかも知れない。


 だが、苦しくても、それが今自分に必要な事の様に感じた。

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