第20話 心に巣食う病
「ロベルト」
「はい? ど、どうされました父様」
ある日の事である。屋敷を歩いているとクラインに呼び止められた。
クラインと顔を合わせると説教ばかりなので、つい嫌な顔をしてしまうロベルト。
「いや、なに。随分と長い間、その剣を持ち歩いているな。そんなに気に入ったのか?」
「はい。落とし主も現れないみたいですし、捨てられた物ならどうせなら有意義に使ってやろうかと」
「そうか。だが、剣を帯びているからと言って、無闇にそれを抜いてはいけないぞ。貴族が剣を帯びるのは誇りを守るためだ」
また説教くさい事を言い始めた、とロベルトはげんなりする。
面倒な話をどうにか流すためにロベルトは口を開く。
「父様はあまり帯剣されませんよね」
「俺が守りたいものは、誇りではなく領民であり、お前たちだからな。それを守るのに剣は必要ない」
「そうですか。それじゃ」
「待て!」
足早に去ろうとするロベルトに、クラインが再度呼び止める。
「何ですか……? まだ何か?」
「いや、そうだ。剣の話だ。お前がもしもまたやる気を出したならば、剣術を教える指南役を雇おうかと思っていてな。屋敷にいるだけでは暇だろう?」
ついこの間、街に遊びに行ったから大丈夫です、とはもちろん言えないロベルトは微妙な表情を浮かべながらクラインを見る。
「──待て。そんな目をするな。俺はただお前にもう一度剣と向き合ってほしいだけだ。お前が嫌だと言うならこの話も無理に強制しようとは思ってはいない。だが、お前には才能がある。それは間違いない。それを腐らせてしまうのは勿体ないだろう」
普段は傲慢だが、こと剣に関しては自分に才能があるなどとは微塵も思っていないロベルト。
だが、しかし誰かの期待にはすこぶる弱い部分があった。
「わかりました……父様がそう言うなら、もう一度剣術を学んでみますかね……」
「お、おうっ……そうか……! そうか! ははは! 流石は俺の子だ。その言葉忘れるなよ!?」
高笑いしながら去っていくクラインに、腰の剣が明滅する。
『似た者親子だな。ま、いいんじゃねえか? 誰かに教わるのも一つの手段だ』
「そう、だな」
『どうした? お前、剣が嫌いなのか? そういや一度も振ってる所を見た事がねえな。ちょっとここで振ってみろよ。ほら』
「黙れ」
いつになく厳しい様子のロベルトに、ヴァンは『何が気に食わねえんだか』と軽く言う。
ロベルトにとって剣とは周りが思っているよりも大切な物だ。
それは一種のアイデンティティと言っても過言ではない。
だが、だからこそ、ロベルトにとって剣というのは呪いの様に重荷になっていた。
――――――――
「剣術指南役のミットンです! ご安心下さいロベルト様! 私が教える限り、必ずや貴方を一流の剣士にして差し上げましょう!」
『オレの勘が言ってる。雑魚だ』
ヴァンの言葉にロベルトはミットンを見る。枯れ枝の様な細い腕に、きつい香水の匂い。
髪は脂で撫でつけられていて、どうにも胡散臭い。
ミットンは木剣を手に取ると、縦に素振りを始める。
「さあ! 私に続いて素振りをして下さい! それイッチニ! イッチニ!」
緩慢な動きでぎこちなく剣を振るミットンに目もくれず、ロベルトは自らの手に持った木剣を見る。
それを見ていると、嫌でも封じ込めていた記憶が呼び覚まされる。
「どうしましたロベルト様? さあ! 振ってください! あ、私に向かって打ち込んできてもいいですよ!? さあ!」
ロベルトをただの十二歳の少年と侮ってか、ミットンは木剣を構えて防御の姿勢を取った。
ロベルトはだらりと力なく木剣をぶら下げ、ミットンに近づいていく。
「お? やる気ですね! いいですか? 剣は腰です! 腰で振るのです! さあ!」
ロベルトが木剣を大上段に構える。切れ長の瞳が、鋭く細められる。
「しっかり構えていろ」
「へ?」
ロベルトの木剣が耳をつんざくような風切り音を上げて振り下ろされる。
剛剣はその動線の間に掲げられた木剣に迫る。
木がひしゃげる音が鳴り響き、ミットンがその場にへたり込む。
「安い木だ」
「な、なっ……」
腰を抜かしたまま動けないでいるミットンに向き直ると、ロベルトは新しい木剣を手に取って歩み寄る。
「訓練中の事故で、頭を割られる覚悟はあるか? ないなら即刻出ていけ」
ロベルトの底冷えする様な視線に、ミットンは情けない声を上げながら屋敷を飛び出して行った。
「……」
『おいおい! なんだ! やるじゃねえか! いい太刀筋だったぜ!』
ヴァンがここまで手放しに褒めるのは珍しい。
だが、ロベルトはそれに気を良くするでもなく、ただ自分の手を見つめていた。
「っ……」
『あ? お前なんで震えてんだ?』
最初は手だった。ぶるぶると震え、それは次第に身体中に伝播していく。耐えられなくなったロベルトは木剣を取り落として、膝をつく。
自分の身体を抱く様に両手で包み、荒い呼吸を繰り返す。
『おい! 大丈夫か!? どうした!? 返事しろ!』
目の前が真っ暗になる様な感覚に、底知れぬ恐怖を感じていた時、誰かが横に立ったのを感じた。
「ロベルト様?」
大量の汗をかきながら、寒さに凍える様に震えるロベルトはニーナを見る。だが、視界はぼやけ、その声も遠ざかっていく。
「──ロベルト様!? だ、大丈夫ですか? どうしました?? ロベルト様!? ロベルト様──」
『おい!? ガキ! ちくしょう……何だってんだよ!』
暗い水の中に沈み込んで行くような感覚。ヴァンの声すらも次第に聞こえなくなる。
遠くなる意識の中で、ロベルトの胸中を支配するのはただ恐怖一色だった。
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