第19話 お忍び街歩き
「これはなんだ?」
「ああ。呼び笛ですね」
「呼び笛?」
「ええ。鳥の鳴き声を真似た物で、本来は狩の時に鳥を誘き寄せる為に吹いたりします」
「本来? 別の使い方をされているのか?」
「まあ楽器だと思えばいいですよ。ほら、小さな穴が幾つか開いているでしょ? その穴を塞ぎながら吹いたりして、色んな音色を奏でるんです。吟遊詩人の楽団とかに混じってたりしますよ」
「ほう。なら店主。これをくれ」
「はいよ。銀貨一枚でいいよ」
「……銀貨なら多分入ってますよ。間違っても金貨なんか出しちゃだめですよ」
「わかってる。よし、これだな」
「どうも。また来てね」
金の価値がわからないロベルトは、行く先々で金貨で払ってきた。
それに気がついたロイドが慌ててロベルトを止めたのだ。
ロイド曰く「金貨をほいほい出してたら、物盗りに狙われる」との事だ。
ロベルトはそれに対して「俺の物を盗んだら腕を切り落としてやればいいだろ」と言い放ったのだが、ロイドのみならず、ニーナも加わって慌てて止めてきたから仕方なく言う事を聞いている。
ロベルトにとって金は足りるかどうかだけで、それがどんな価値を持っているのかなど、知る由もなかった。
それを見かねたロイドが、貨幣の価値と、買い物の仕方を根気よく教えているのだ。
「ここで吹いたらだめですよ?」
「馬鹿にするな。ちゃんと屋敷に戻ってからにする」
「その際はぜひ聞かせてください。庭仕事の最中に笛の音が聞こえたら気持ちいいでしょうね」
「気が向いたらな」
「あ、ロベルト様! こっち来てください! 珍しい帽子がありますよ!」
「ふんっ。仕方ないやつだ」
大きく手を振るニーナに近づいていく。
すると、そこには地面に敷物を敷いて、その上に商品を並べている露店があった。
「これです! 王国じゃあまり見ない形ですよね!」
「そうだな。つばが広いな」
「ロベルト様に似合うと思います! ねっ! 被ってみて下さいよ!」
ニーナに煽てられてため息をついたロベルト。敷物の奥で地べたに座り込んでいる店主に声をかける。
「この帽子。被ってみてもいいか?」
「ああ。好きにしろ。羽飾りがついている方が前だ」
店主は日中にも関わらず外套を目深に被っており、胡座をかいた粗暴な佇まいから男だと思っていた。
だが、聞こえたのは鈴を鳴らす様な高い声で、そこで漸く店主が女だという事を知ったロベルト。
だからなんだ、というわけではないが、少し覗く肌、指先や口元が不自然に白かったため、疑問を持った。
「早く早く!」
「ん? あ、ああ」
ニーナの声で疑問はかき消され、被っていた外套を捲って手に取った帽子を被る。
姿見など存在しないため、自分の姿を窺い知る事は出来ないが、意外にもサイズはぴったりだった。
「似合うな。黒髪の少年」
声の主である店主にロベルトは視線を向ける。
「商魂たくましいな。煽てても出るのは金貨くらいだぞ」
「ロベルト様……」
生暖かい視線を向けてくるニーナにムッとする。
「なんだ。今日は遊び倒すと言っただろう」
「まあ、そうですけど……でも本当によくお似合いですよ。店主さんもそう言ってくれましたし」
「ああ。嘘じゃないさ。その帽子は黒い髪によく映える」
髪色の事をしつこく言われ、剣呑な目つきになるロベルト。
「おい店主。俺は髪の色と目の色の話題がすこぶる嫌いだ」
「そうか。それはすまなかったな。けど、より似合うという意味で言っただけさ。気分を害してしまったなら悪かった」
「く……まさか、全部買わせたいのか……?」
「坊ちゃん。落ち着いて下さい。店主。この帽子は幾らだい?」
様子を伺っていたロイドが横から口を挟む。これまでは、気を使ってか、店先で喋るロベルトを遮る様なことはしなかったロイドだったが、今回は違った。
「ああ、そうだな……いや、金はいい。元よりただ並べていただけの物だ。使ってくれる人間がいるなら、それだけでいい」
店主はお代はいらないと言った。だが、ロベルトはふん、と鼻を鳴らすと、ロイドに訊ねる。
「ロイド。お前の目から見てこの帽子は幾らの価値がある」
「そうですねえ。生地も上等だし、綺麗な縫い目です。珍しい物でもある。銀貨三枚って所ですかね」
「わかった」
銀貨を三枚、ちょうど懐の袋から取り出すと、敷物の上に叩きつけるようにして置く。
「いらないって言ったんだけどな。まあ、ありがたく貰っておくよ。よい日を」
店主は一瞬驚いた様子だったが、すぐに飄々とした態度に戻って銀貨を仕舞う。
「坊ちゃん。ニーナちゃん。行きましょう」
「急かすな。一体どうした? さっきから変だぞ」
「そうですよ! 他にも珍しい物があったから色々見たかったのに!」
ロベルトとニーナが口々にロイドに詰め寄るが、ロイドの表情には余裕はない。
その額に玉の様な汗をかいているのを見て、ロベルトは不審がる。
『庭師は間違っちゃいねえぜ。素直に聞いといた方がいい』
「どうした? 何かあったのか?」
小声でヴァンに訊ねると、彼は何でもない風に言った。
『あの店主。ありゃ戦士の一族だ。飄々とした態度とは裏腹に、隠しきれねえ殺気が見え隠れしてた』
戦士の一族とは聞き慣れない言葉である。殺気というのもよく分からなかったが、それが事実ならば、ロイドが早々にその場を立ち去ろうとしたのも合点がいった。
「ふん。興が冷めたな」
「あ、見て下さいロベルト様! ここ凄いですよ! 綺麗な髪飾りです!」
移り気なニーナに気が抜けたロベルト。そんなロベルトの耳元に顔を寄せて、ロイドが小さく呟く。
「警戒して下さい。往来で何かする気はなさそうでしたが、危険な人間を見つけました」
「さっきの店主だろ? 気にするな」
「わかってらっしゃったんですか……流石は」
「その先は言うな。今は気にせずお前も楽しめ。一通り見終わったら屋敷に帰るぞ」
――――――――――――
帰る途中でもロイドは、しきりに背後を気にしていた。いつもの軽口は形を潜め、警戒心を露わにしている。
『オレの勘だが大丈夫そうだな。まあ、善良な者とは言えねえかもしれねえが、悪と決めつけるのも早えかもしれねえ』
「どういうことだ?」
『オレの時代はあんな奴がたまにいたんだよ。戦いに囚われた戦士の一族だ。殺伐とした中で生きてきたからか、殺気の隠し方を知らねえ。安心しろ。そこらへんにいる毒虫だと思えばいい』
そもそも殺気などわからないロベルトだったが、これだけロイドが警戒を露わにしているのだ。
一応はヴァンに言われた事を信用して伝えた方がいいと考えた。
「おいロイド。あまり気にしすぎるな」
「そうはいってもですねえ。俺はこの中じゃ年長者ですし、坊ちゃんに何かあったら旦那様に顔向けできないんですよ」
「安心しろ。追手はいないし、あれは毒虫の類だ」
「毒虫?」
「手を出さなければ、刺す事もない」
ロベルトの言葉に、ロイドは漸くふう、と息を吐いた。
「俺はたまに坊ちゃんが怖くなりますよ。あ、怖いって言っても畏敬の念って事ですがね。突然人が変わった様に大きく見える。恥ずかしい話ですが、坊ちゃんに言われて、硬くなりすぎてた事に気づきました」
「それよりお前、荒事が得意なのか? 妙に手慣れているようだが」
ヴァンはロイドのことを手練れだと称していた。
その時はあまり深く考えてはいなかったが、今日のロイドの様子を見るに、それが間違いではないことを知った。
「大陸中を旅してきたんでね。好奇心のままに色んな所に行きましたから。そりゃ危険な目にも遭うってもんです。ようは慣れですよ」
「そうか。ただの庭師にしておくには勿体ないな」
「その言葉が聞ければそれだけで庭師冥利につきるってもんです」
「ロベルト様! また行きましょうね!」
それまで鼻歌を歌っていたニーナが駆け寄ってくる。
その頭には先程露天で買った鳥を模った髪飾りがついていて、それが夕日に照らされて光を反射している。
最後にケチがついた街歩きだったが、天井知らずに明るいニーナがいるとバランスが取れている気がする。
「そうだな。また父様と母様が留守の時に行くか」
「坊ちゃん。別に二人がいてもいいじゃないですか」
「馬鹿野郎。それじゃお忍びじゃないだろ」
「そうですよロイドさん! 顔もあまり知られてないロベルト様だから出来るんです。旦那様や奥様がいたらすぐに伯爵家だってバレちゃいますよ」
「う、うーん。バレたらまずいので?」
「拙いだろ」
「拙いです」
「あれえ……?」
当初は勝手に屋敷から出て街に行っている事をクラインにバレない様にと、お忍びで出向いた一行だったが、途中から目的が変わってしまっていた。
お忍びで行くと普段は感じられない庶民的な雰囲気が味わえて、意外にも楽しい事に気づいたロベルト。
活気のある街で、仕事を気にせず仲良く歩くのが楽しいニーナ。
それに対して気を張ってしまって精神的な気疲れが大きいロイド。
そうして初めての街歩きは三者三様の感想を残した。
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