第18話 街に出る


 ウェライン伯爵家が所有する屋敷。


 それは言わずと知れたウェライン領に建てられた邸宅であり、広大とは言えないが豊かな地域に存在する。


 ロベルトの父親であるクラインは領主である事もあって、領地のことで日々忙しなく働いており、母親のカーラは商いの才能を生かして自領の衣服店を経営し、財を稼いでいる。


 そんな中、ロベルトはというと。


「暇だな。おい。何か芸をしろ」


「げ、芸ですか? えっとそれなら、お足玉をします! 見てて下さい」


 兎人のニーナは器用に足を使って、綿の入った玉をくるくると宙空で回し始める。


「おお……」


「ど、どうですか? 私の足捌き! はぁはぁ……ちょ、玉を増やさないで! やめて!」


「ははは」


『あんまり虐めてやんなよ……』


 自室にてロベルトは兎人族のニーナを相手に遊んでいた。


 あの日のヴァンと交わした誓いはどこへやら、気の抜けた自堕落な生活を送っていた。


 シルヴィアが屋敷に遊びに来てから一月程経った今日、ロベルトは暇で暇で仕方がなかった。


 父親のクラインもいなければ、母親のカーラもいない。とすれば、やる事は一つ。


「そうだ。お前以前に場所が変われば気分が変わるとか抜かしていたな。よし、街に繰り出すぞ」


「ええ!? だ、だめですよ! 旦那様も奥様もいないんですから!」


「仕方がないだろ。俺は暇で死にそうなんだ。それとも何か? お前は俺に死んで欲しいのか?」


「うう、意地悪な事言わないでくださいよぉ」


「ほら。さっさと準備しろ。何か欲しい物があったら買ってやるから。だから父様には内緒にしろよ」


「待って下さい……なら、もう一人! 誰かもう一人巻き込みましょう!」


 巻き込むとは失礼な言い方をする、とロベルトは不満気な表情を浮かべる。


 だが、ロベルトは街に遊びに行くことだけしか考えられなくなってしまっているため、特にニーナの言葉に反論する気はない。


「わかった。じゃあ誰か目についたやつでも連れて行くか。暇そうにしてる奴がいればいいが……」


 ロベルトも使用人の手伝いなどをしながら、少しずつその苦労を理解していた。


 そのため、仕事の邪魔をしたいとは思ってはいない。ニーナは別だが。


『あいつでいいんじゃねえか? さっき庭の草を刈りながら恍惚の笑みを浮かべてたやつがいたぞ?』


 ヴァンの言葉に、一人の青年を思い浮かべる。


「そうだな。よし! ロイドのやつを連れて行こう。あいつは旅人だ。街での遊び方も詳しいだろうしな」


「庭師のロイドさんですか? わかりました……声をかけておきます」


『もし街に出るなら悪目立ちするんじゃねえぞ。どうやらオレは高級品らしいからよ』


 ロイドの話によると、ヴァンの魂が宿るそれは売れば高値のつく剣らしい。


 目立てば不埒な輩に狙われる可能性もあると考えて、ヴァンは注意を促したのだろう。


 方針が決まればロベルトの行動は早い。椅子から立ち上がり、上着を脱ぎ始める。


「え、ちょ、ロベルト様! ひやー……」


「何をぼうっと突っ立ってる? お前もさっさと着替えてこい」


「え? 着替えるってどうしてですか?」


「俺がウェライン家の嫡子だと知れれば、父様の耳にも入るかもしれないからな。俺は別に構いはしないが」


「着替えてきます! 出来るだけ街に溶け込む様に!」


「調子のいいやつだな……」


 そうして街へ遊びに行く事が決まった。


――――――――――――


「坊ちゃん。本当に馬車はいらないんですかい?」


「いらん。歩くのは嫌いじゃない。それに家の馬車にはどれも嵐鷲が描かれてるからな」


「お忍びって事ですか。まあ、一応庭師とはいえ雇われなんでね。坊ちゃんの身は俺が護らせていただきますよ」


「るーんるーんるー」


「おい……」


「はい? どうしましたロベルト様?」


「俺より先を歩くな」


「あ、すみません。出過ぎた真似を……そうですよね。お忍びとは言っても使用人としての態度で臨まないと……」


「いや、目障りだからだ。視界に入らない様に横を歩け」


「ええ! 酷いですぅ! ロイドさーん! ロベルト様が虐めますぅ!」


「まあまあニーナちゃん。ただでさえ兎人族なんて珍しいんだから、その上目立つ行動取ってたらすぐにウェラインの使用人ってばれちゃうよ」


「うう。ごめんなさいぃ」


「……はぁ。なんでお前はそんなに陽気なんだ?」


「だって、誰かと街で遊ぶのなんて初めてですから! それにウェライン領の首都シーガルは凄い活気なんですよ!」


 陽気な言葉の中に、物悲しい背景が見えるニーナ。


『確かにシーガルも随分と活気づいたもんだ。オレの時代は宿場街だったし、私兵、娼婦、傭兵くらいしかいなかったからな。一瞬わからなかったくらいだ』


 遠目に見える街の様子が視界に入り、時代の流れを感じる事を言うヴァン。


 楽しそうに喋るニーナに、ロイドが補足するように付け加える。


「シーガルは旦那様のお父様、コルカス様の代で大きく変わったみたいですよ。自領に人を集めるために景観をよくしたり、税を低くしたりして試行錯誤していたみたいです」


「それまでは私兵たちの駐屯地だったんですよね?」


「そうですね。今は近辺では大きな戦争も無いですから。私兵たちは隣街を拠点にしているらしいです。まあ、剣やら槍やら武器を持った人間が闊歩してたらどうしても物々しいですからね」


 ウェライン伯爵家には私兵が存在する。その数は五百程で、伯爵位にしては国で見れば意外と小さな数である。


「でも伯爵家の私兵の方たちは優しいですよ? 私がお屋敷に来る時に、道を教えてくれました」


「旦那様は私兵団に少なくない給金を払ってますからね。統率の取れたいい私兵団ですよ。ただ、市民から見たら怖い物は怖いんです」


『質実剛健。量より質って奴だな。だが、五百か。ちと少ねえな。いや、でも奴ら金食い虫だしな。時代が違うしもっと縮小できんのか……』


 ヴァンは自分が生きていた時代との差に考え込んでいる素振りだった。


 だが、純粋にその思考を楽しんでいる様子で、一人でああでもない、こうでもないと呟いている。


「ロベルト様はシーガルでいつもどんな事をされるんですか?」


 ニーナの言葉に、ロベルトは何でもないように言う。


「俺は街に降りるのは初めてだが?」


「「え?」」


 ニーナのみならず、ロイドの声も重なる。


 二人の様子にロベルトはため息をついた。


「何がおかしい? 欲しいものは使用人に金を渡せば揃うからな。わざわざ街に繰り出す必要もない」


 これまでは食べたいものや、欲しいものは使用人に金を渡して買いに行かせていたロベルト。


 だが、使用人の忙しさを知って、柄にもなく遠慮を覚えたのである。


 特に欲しい物があるわけではなかったが、暇というのと、両親がいない事も味方して、これを機にシーガルを練り歩いてやろうと思ったのだ。


「だ、大丈夫ですかねロイドさん?」


「いや、まぁこれで坊ちゃんは動じない方ですからね。でも、新しい物好きなんだよなぁ」


 意気揚々と足を向けるロベルトに対して、使用人と庭師は少し重たい足取りだった。


 ――――――――――――


「よお坊主。串焼きはいらねえか? 秘伝のタレで焼き上げた舌が落ちる串焼きだ」


「誰が坊主だ。お前俺を誰だと思っている? 舌が落ちる前にお前の首を落としてやればその舐めた口も聞けなくなるか?」


「ちょ、ちょっと、坊ちゃん!」


 ロイドに肩を掴まれるロベルト。


「なんだ喧しい」


 串焼き屋の前を通りかかったら、随分と無礼な輩がいたため、身の程を教えてやろうと考えたロベルト。


「あのですね。あれはただの商い言葉です。あれは"そこの高貴な方、もしよろしければ串焼きを買って行かれませんか?"というのを粗暴な言葉に直しただけですから!」


「そ、そうか」


 ロイドが小声だが焦った様子で語りかけてくる。その様子に鬼気迫るものを感じて、ロベルトは素直に忠告を聞く。


「なら、その串焼きを三本貰う。これで足りるか?」


「き、金貨!? ちょっと、こんな大きいの持ち合わせがなくて崩せねえよ!」


「ならまた来た時に串焼きを寄越せ。舌が落ちる程美味いんだろ? 取っておけ」


「あ、ありがとうございました!」


 串焼き屋の店主は感銘を受けた様に目元を抑える。


 ロベルトにとっては訳が分からず気味が悪いだけだったが。


「お前ら」


「坊ちゃんありがとうございます」


「え、くれるんですか? えへへ。やったあ」


 ニーナは串焼きを受け取るとすぐに頬張って満面の笑みを浮かべる。


 ロベルトは「美味そうに食うなこいつ」と素直にその様子を流し見て、自分もかぶりつく。


「……意外といけるな。どうだロイド?」


「美味いですね。やっぱ外でこうやって歩きながら食うのは、また違った楽しさがありますよ」


「お前もそう思うのか……なんとなくわかる」


「坊ちゃんは優しい方ですね。ただの使用人と庭師。それも獣人と、根無し草の旅人ときてる。そんな俺らの分の串焼きまで、悩む素振りなく買うんですから」


「な、なんだ突然?」


「はっはっは。きっとニーナちゃんもロベルト様に感謝している筈ですよ。獣人っていうのはテンダーウィン王国で暮らすのは想像以上に辛い物がありますから。坊ちゃんのそういう飾らない優しい所が、色んな人に知ってもらえればきっと伯爵家は安泰ですよ」


 ケラケラと笑うロイドに、ロベルトは串焼きに視線を落として呟いた。


「……優しいとは何だろうな」


「?」


「俺はその言葉の意味がわからない。お前は俺を優しいと言う。だが、俺は俺自身が優しいとは思わない。なら、本当の俺はどっちだ?」


「そうですねえ……人っていうのは、自分が思ってるよりも、自分の事をわかってないものですよ? これは受け売りなんですが、誰かの立場に立って考える事ができる。思い悩む事ができる。それを優しい人って言うらしいです。坊ちゃんはそれが出来るから優しい方です」


「誰かの立場……」


 ロベルトは串焼きを頬張る。肉汁が溢れて、口元が汚れてしまう。


 このままだと気持ち悪いな、と思っていた時、横から手拭いが口元に添えられる。


「ロベルト様。汚れてますよ? ふふ。食べ歩きに慣れてないんですね」


「……」


 ニーナは何だかんだでロベルトの願いをいつも聞いてくれる。


 怖いと言いながら深夜に墓地まで付き合ったり、芸をしろと言えば芸をするし、街に遊びに行くぞと誘えば止めはするが、その考えを否定したりはしない。


 伯爵家の使用人として当然と言えばそれまでだが、ロベルトはそうは思わなかった。


「どうしました? ロベルト様?」


「いや……お、お前は俺を優しいと思うか?」


 それは少し恐れを含んだ質問だった。だが、ニーナは何も思い悩む素振りすら見せずに言った。


「ロベルト様は私が出会ってきた中で一番優しい方です! 旦那様よりも、カーラ奥様よりも、ロイドさんより、他の使用人の方たちより、誰よりも! 優しい方ですよ! 少なくとも私はそう思ってます!」


 本当に楽しそうに微笑みながら言うニーナに、ロベルトは呆気に取られた。


 みるみるうちに顔が赤くなっていき、耳まで真っ赤になってそっぽを向く。


「お前ら。今日は欲しいもの全部買ってやる。遊び倒すぞ!」


「「おー」」


『ちょろい奴だなぁ』


 人の往来が激しい街中であるため、静かにしていたヴァンだったが、思わず独り言を漏らした。


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