第17話 同い年の少女


 自室も紹介し終わって、さてどうするかと歩いていると、丁度いいところにニーナが通った。


「おい」


「あ、ロベルト様……と、シルヴィア様。こんにちは」


 花開く様な笑顔で駆け寄ってくるニーナの姿はまさに忠犬に見えた。実際には兎だが。


「?」


 シルヴィアがニーナの登場に不思議そうにロベルトを見つめる。


「言っただろ。こいつがうちの使用人で、俺の部屋の扉を破壊した挙句にパンツも履かないで屋敷を走り回ってた女だ」


「獣人には変わった文化があると聞いたけど、確かに変わってるわね。でも面白いわ」


「ちょっと! ロベルト様っ。なんて事言うんですか!?」


「事実を言っただけだろうが!」


「それはロベルト様が私のパンツをとって逃げたからじゃないですか!」


「お、お前。やめろ! それは俺であって俺じゃないんだよ!」


 ぎゃあぎゃあと言い合う二人を見て、シルヴィアは割って入る様に身体を寄せた。


「私もそれやりたいわ」


 シルヴィアの言葉にニーナが硬直する。


 ロベルトはぼうっとしていたが、シルヴィアの言葉を反芻して理解すると、意地の悪い笑みを浮かべる。


「ニーナ。公爵令嬢の頼みだ。仕方がない。脱げ」


「ええ! なんでですか! お願いしますシルヴィア様! 勘弁して下さい! 持って行くならロベルト様のパンツを!」


「お、お前! 仕える主を売る使用人がいるか!」


 また始まった言い争いに、疎外感を感じたのか、シルヴィアは、ロベルトの剣を剣帯ごと抜き取る。


「あ」


「親しい友人とは、追いかけっこをするものだと聞いたわ」


「返せっ!」


 ロベルトが手を振るが、既にシルヴィアはそこにはいない。霧の様に腕の間をすり抜け、走り出す。


『ほおほおー! 女の子に握られるのも悪くねえな。なんか目覚めそう!』


 ヴァンがおかしくなりかけているのを聞いて、ロベルトは慌ててシルヴィアの後を追いかける。


「仲良しですねえ」


 ニーナの気の抜けた声が後ろから聞こえた気がしたが、ロベルトに気にしている余裕はなかった。


 ロベルトはシルヴィアの事を変な奴だと思っていたが、その想像を軽く超えほど変わった少女だった。


 ――――――――――――


 厨房を横切り、窓から身を乗り出したシルヴィア。そして、それを追いかけるロベルト。


 その場にいた料理人たち一同に「ロベルト様っ!?」「一体何を!?」と驚愕されながら中庭に出る。


「ロベルトは足が遅いのね」


「お前が速すぎるんだっ……はぁはぁ! いいから返せ!」


「取っていいよ?」


 ロベルトが手を伸ばしても、身を屈め、上体を反らし、ロベルトの足の間を抜ける様に逃げ回るシルヴィア。


 ──くそ。


 ロベルトは仕方がない、とルーンを解放した。七芒星の印が、左の手の甲に浮き上がる。


「風よ!」


 自分の身体を風で弾く様に、前向きの慣性を消す。


 前方に向かって走っていたと思ったら、急に後ろに飛んできたロベルトに、シルヴィアは目を見張る。


 ロベルトの手がシルヴィアの腕を掴み、盛大に中庭に倒れ込む。


「はぁ……やったぞ。さあ剣を返せ」


「ふふ」


「?」


「あはははっ!」


 シルヴィアは、倒れたまま笑っていた。いつも眩いばかりの金色の瞳が、今は長いまつ毛に隠れていた。


 初めて表情を変えた所を見たロベルトは、仕方なくシルヴィアに合わせて表情を緩める。


「お前やるな」


「追いかけてくるロベルトの顔。すごく面白かった。話では追いかけっこの事を聞いてはいたけど、何が楽しいのか分からなかった。こういう事なのね」


 今も尚、小さくくっと笑うシルヴィアに、ロベルトは呼吸を整える。


 シルヴィアは公爵家の人間である。身分は他の追随を許さない最上級である。


 勿論釣り合いが取れる相手などそうはいない。年齢も含めたら同世代のそういった人間はもっと少なくなるだろう。


 加えて彼女は感情表現が下手な鉄仮面。ロベルトは何となくシルヴィアの新しい一面を垣間見た気がした。


「失礼な奴だなお前は。まあ、俺も、悪くはなかったかもな」


「ロベルトは使用人たちとも仲がいいのね。あのニーナもそうだし。私はずっと一人だから。今日は来てよかったわ」


「一人? 使用人もいるし両親もいるだろう。それにあのルシオも」


「私とちゃんと話してくれるのは家ではルシオだけよ。父様も母様も……兄様も私に構ってる暇はないみたい。それに、ルシオは家に仕える執事だし、話せるのも剣の稽古の時にある少しの時間だけ」


 公爵家も色々あるのだな、とロベルトはぼんやりと考えながら剣を腰に戻す。


『一人ってのは、まあ寂しいわな』


 ヴァンの独り言が聞こえて、ロベルトは考える。自分はどうだろうか、と。


 少し前までは一人でいた事が殆どだった。


 話し相手と言えば、庭師のロイドくらいで、そのロイドも仕事が無い時は屋敷にはいない。


 父親からは顔を合わせれば叱られるばかりで、母親とはあまり顔を合わす事もなかった。


 使用人はロベルトを見ると誰もが怯えた様に身体を硬くし、ロベルトはそれを見てますます苛立ってばかりだった。


 今はどうだろうか。あの時に感じていた様な暗いどんよりとした感情はなく、日々の忙しなさの中で誰かと触れ合う事が増えた気がする。


 両親とも少しずつ話をする事が増えた。使用人たちも全員ではないが、ロベルトに自ら声をかけてくる人間もいる。


 そこまで考えて、ロベルトははっとする。


 ──それは全て、一振りの剣と出会ってからだ。


「ふう」


 ロベルトはため息をついた。


 そして、いまだに座り込んでいるシルヴィアの方に手を差し出すと口を開く。


「俺を英雄の再来だ、なんて呼ぶ奴らは嫌いだ。だから、俺の名前を何度も呼ぶお前の事は……嫌いじゃない」


 シルヴィアは金色の瞳を真っ直ぐに向けてくる。


 その陰りを知らない瞳に、ロベルトは何度、自尊心を刺激された事か。


 きっと彼女は一人でも構わないと言うだろう。周りに誰がいようと、何を言われようと、一人きりだろうと彼女は自分の道を決して迷わない。


 そんなシルヴィアの姿に、ロベルトは自分の小ささを自覚させられた。あまりにも違いすぎると、何度も目を背けた。


 だが、蓋を開けてみれば違うなんて事はない。シルヴィアはロベルトと同じ孤独を抱えた一人の少女のように見える。


 だから、ヴァンが切っ掛けをくれた様に、自分に恥じない自分でいるために、ロベルトは意を決して口を開く。


「──もし、一人でいるのが辛いなら、俺がいる。俺だけはお前の話を幾らでも聞いてやる。もしも、面白い話ができるなら笑ってやるし、つまらない話なら悪態の一つくらい返してやる。俺は、お前が公爵家の人間だろうと、気を使うつもりはないからな」


「……」


「……ふぅ……だから、あれだ。暇があったら俺も会いに行く。お前も気にせず来いシルヴィア。俺はお前と、もっと話がしたいと思ってる」


 手を差し出したまま、羞恥心に顔を真っ赤に染めるロベルト。


 だが、言った言葉に後悔はない。


 シルヴィアを自分よりも優れた人間だと決めつけて、勝手に負けていると判断して、殊更何もかも"違う"と強調してきた。


 だが、ここに来て、それが間違いだと感じた。


 確かに違う箇所もある。だが、探せば誰しもが似ている部分を持っている。理解できないから遠ざけるのは、臆病者のやることだ。


 そう気がついたからロベルトは今回、慣れない行動を起こした。ヴァンの『考えるよりも行動』という言葉が、背中を押した。


「初めて……」


「?」


「そんな事言ってくれた人。貴方が初めて。ありがとうロベルト。貴方はやっぱり思っていた通りの人だったわ」


 差し出した手を、白魚の様な手が掴んだ。そして、立ち上がると、ロベルトに向かって小さく微笑んだ。


 そこにいたのは、貴族の矜持を備えた理解できない存在でもなければ、剣聖を望まれる稀代の天才でもなかった。


 ただロベルトと同じ歳の、一人の少女がそこにはいた。



 

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