第13話 この胸の苛立ちは
結論から言うとニーナは虐められていた。
他の使用人たちにである。ニーナはロベルトより少し年上の筈だが、みっともなく泣いていた。
虐めの理由は単純で、獣人族で、尚且つ新人だからというものだった。
『まあ、どこにでもある事だ。集団ってのは厄介なもんでよ。目立ってたり、劣ってたりする部分があると、それを叩いて結束を固めようとする。そりゃ、丸を作ろうとして、尖ってる部分をそのままにはしねえわな』
ロベルトは少しの間、ニーナを陰から見ていた。
足を掛けられて転ばされたり、盛大に水を引っ掛けられたりしているニーナを見て、妙に苛立ちが募った。
それをしているのは、使用人の中でも年の行った女たちの様だ。
今現在は客室の大広間の中で、ニーナが三人の使用人に囲まれて罵声を浴びせられている。
ニーナは地面に座り込んで顔を覆って泣いていた。
使用人の一人がニーナの髪を掴み、それを見て他の女二人も笑っている。
『お前が獣人を嫌っていても、それはお前が悪いわけじゃねえのかもしれねえ。……なにせ、これはウェラインだけの話じゃねえからな。国がそうである以上、仕方ねえとも言える』
「黙れ」
『あいよ。まあ最後に一つだけ言っておくが、オレは我慢しなかったし、それを後悔はしなかったぜ』
ロベルトはヴァンの言葉を最後まで聞かなかった。剣呑な目つきのまま、ギリギリと奥歯を鳴らして部屋に立ち入る。
「おい!」
ロベルトの声に、そこにいた使用人たちが肩を震わせる。
「そこで何をしてる?」
「あ、あの。これは違うんですよ。これはそう! 教育なんです! やはり獣人は物覚えが悪いので、やはり身体に教え込まないと」
「だったら、俺にも教えてみろ」
ロベルトは咄嗟に左腰にある剣を鞘から抜き放つ。
それは激情に駆られたロベルトに呼応する様に、一切の澱みなく抜き放たれた。
考えてみれば、ヴァンの魂が宿る剣を抜いたのは初めてのことだった。
鈍色の光を放つ肉厚の鋼に、使用人たちの顔が青ざめる。
「ご、ご勘弁を。申し訳ありません。どうかご容赦を」
「なぜ謝る? ただ、お前はお前自身が言った様に物覚えが悪い俺にも教えてくれればいいだけだ。そこの獣人と同じ様にな。だが、俺は他人から物を教わる時に、静かに椅子に座ってる様な性質じゃない」
ロベルトが勉学のために屋敷に雇われた幾人もの講師を辞めさせてきたのは有名な話である。
噂好きの使用人たちも、ロベルトの傲慢さや、狡猾さを近くで見て知っている。
そして、ロベルトも自分がどう見られているかは知っていた。
だが、ロベルトは自分で思っているよりも使用人たちからは遥かに危険視されていた。
父親である伯爵に対してすら人目を憚らず舌打ちをする無礼。
暇だからと庭師の使っていた梯子を外して高笑いしている様や、果てには玄関の魔術騒ぎである。
ロベルトはこの屋敷において、話の通じない暴君だった。簡単に人を傷つけるだろうという事も容易に想像できた。
使用人たちはそこまで考えて、いつその右手に握られた剣が、自分を襲うのかと気が気ではなかった。
震えている使用人たちを尻目に、ロベルトは居心地悪そうに舌打ちをする。
「ちっ。おい! 兎人! お前はロキの相手をする約束をしていただろ!」
「え……?」
「さっさと来い!」
「は、はい!」
ロベルトは剣を腰の鞘に収め、自分の手を見る。僅かに襲う手の震えを、消し去る様に強く握りしめる。
そして、ニーナの背中を押して部屋の外に出し、去り際に、使用人の一人、リーダー格である女に近づく。
「ひっ」
女はその場にへたり込んで青ざめた表情を見せる。
ロベルトはその耳元で呟く。
「ここの掃除はお前が一人でやっておけ。塵一つ残すな。お前が掃除されたくなければな」
――――――――――――――
「あの、ロベルト様……」
神妙な顔でロベルトが駒を揃えていると、ニーナが伺う様に話しかけた。
「なんだ?」
「助けてくれてありがとうございます」
頭を下げるニーナに、だがロベルトは気分があまりよくなかった。
何故ならロベルトは目の前のニーナを助けたいと思って行動した訳ではなかったからだ。
ただ、胸がムカムカしたから。気に入らないから。自分の気分を少しでも良くするために憂さ晴らしをしただけだ。
「いつも、あんな事をされているのか?」
「そ、そうですね。大体は」
「そうか」
ロベルトはそれきり黙ってしまう。
彼にとって今まで自分以外の人間の事などどうでも良かった。ましてや獣人の事など毛ほども気にしてはいなかった。
だが今はなんとなくニーナが、獣人だからという理由で他人に何か言われているところを見ると苛々した。
それと同時にどこかやるせない気持ちもあり、感じた事のない思いにロベルト自身も戸惑っていた。
自らの内面の変化に押し黙ってしまったロベルトに変わり、ニーナが静かに語り始める。
「……兎人族というのは、争いごとが嫌いで、過去にあった獣人戦争でも日和見を決めた一族なんです。だから人間族だけじゃなく、一部の獣人族からもあまり好かれていません。私たちには小さな尻尾があるんですけど、普段は見えないので尾無しって呼ばれてて」
獣人戦争。王国がまだ侵略戦争をしていた時代、西に広がるウラキア大森林を切り拓いて領土とするために獣人と争ったという闘いだ。
獣人たちの結束は未だ硬く、王国人との間には決して浅くはない軋轢が存在する。
だが、その中で中立を謳う獣人の一派が存在するのをロベルトも知っていた。その中の一つに、きっと兎人族も入っているのだろう。
「そうか」
「だからウェライン家に来たんです。今は亡き古き英雄ヴァン・ウェライン様は獣人に対して寛容な方だったと聞いて、それで」
「……」
「私、間違ってませんでした。里を出て、このお屋敷に来れてよかったです。初めは不安だったけど……安心しました。だって、ロベルト様は少し意地悪だけど、兎人族の私なんかを気にかけてくれて、遊びに誘ってくれて、助けてくれて……」
──なんだこの胸のざわつきは。
「ふんっ。だったら、これからも何かあったら俺に言え。獣人の一人や二人、助けるのにさほど苦労もないからな」
ロベルトがそっぽを向いてそう言うと、ニーナは目元に浮かんだ涙を、袖で拭った。
「はい。その時はお願いしますロベルト様」
『やっぱ、素直じゃねえなぁ』
その日は、時間を忘れてニーナと盤上遊戯をした。
――――――――――――
ロベルトは柄にもなく緊張していた。
その理由は何故かと言うと、父親であるクラインに呼び出されたためである。それも直々に、家長室にである。
いつも悪さをして、ロベルトを厳しく叱る時、クラインは家長室にロベルトを呼び出した。
つまり今回のクラインは本気で怒っている可能性があるということだ。
『まあそんな気負うなよ。別に殺されるわけじゃねえだろ』
「気負ってない。だが、もしも部屋から出て使用人たちに声をかけていたのがバレていたら……」
『あ』
「お前、忘れていたな? くそっ。怒られるのは俺だからな! お前はいいよな!」
『ま、まあ別に悪さをしてたってんじゃねえんだからいいだろ? それに、魔術は言いつけ通り使わなかったんだからよ』
だからといって言いつけを破ったのは事実だ。
叱られようが小言を言われようが別にロベルトは気にしないが、もし罰として部屋に軟禁などされようものなら、暇で発狂する自信があった。
誰かに行動の制限をされるのが、この世で一番嫌いなロベルトである。
「失礼します」
「入れ」
クラインの威厳のある声に、扉を開いて入室する。
クラインの表情を見るが、何を考えているのかまでは窺い知れない。
「何か御用でしょうか」
「まあ、そうだな。とりあえず座れ」
傍にあった椅子を引いて座ると、書斎机を挟んでクラインと向き合う。
「──聞いたぞ。使用人たちに無差別に声をかけては、頼み事を聞いて去っていく妖精がいると」
「はは……噂話は当てになりませんよ。けど、そんな妖精がいるなら、きっとそれは善良なものでしょう」
「妖精は対価を求めるとも聞いたが?」
「対価って大袈裟な。ただスカートの中身を見せてもらっただけです」
「お前……いや、お前も男児だからな。そういうのに興味が出る年頃なのもわからなくはないが……」
「いえ。別にスカートの中身に興味はありません」
「なに!?」
それもこれも、ヴァンに懇願されてやった事なので、ロベルトは何の意味があるのかは分かってはいない。
ただヴァンが『たまらねえぇぇえ! 次はあの子の願いを聞くぞ! うひょー!』と喜ぶので、仕方なく頼み事を叶えた後にスカートの中を見せてもらっただけである。
「どうした?」
「い、いえ」
ロベルトは悩んだ。ヴァンの話をしてもいいものかと。
この腰にある剣に魂が宿っているなどと言って、誰が信じるのだと。ヴァン自身も『厄介ごとの種になるかもしれねえ。喋らねえ方がいい』と言っていた。
「ま、まあ、なんというか。そうだな。とりあえず貴族たるもの、責任を取れぬのなら、そういうことはしない様に。もしくはちゃんと同意を得て、だな」
「同意は得てますよ?」
「なぬ?」
「疑っておいでですか? それなら今から一緒に使用人たちに聞きに行きましょう。俺が嘘をついていない事がわかる筈です」
ロベルトは椅子から立ち上がって、部屋を出ようとする。そんな彼に、クラインは手を伸ばして待ったをかける。
「待てっ! よせ。やめろ。カーラになんて説明すればいいのだ」
「母様がどうかしましたか?」
「いや、なんでもない。こちらの話だ。使用人たちの噂はもういい。それとは別に、来月頭に公爵家の方々が我が家を訪問されることになった」
「そうですか」
ロベルトに驚きはない。
貴族の関係というのは複雑だ。ウェライン伯爵家が赴いて謝罪をしたからと言って、それで全て終わりという事ではない。
今度は公爵家が伯爵家に訪問することによって、貴族間の間柄が、険悪な物ではないと周りに友好を示すのだ。
つまり公爵家が伯爵家に来て、仲睦まじい様子を見せる事で、漸くこの件は終わりを遂げる。
だが、ロベルトにとって、一つ気がかりがあった。
それは、シルヴィアが来るのかどうかである。
クラインはそんなロベルトの疑問を知ってか知らずか、人の悪そうな笑みを浮かべながら言った。
「シルヴィア嬢も来るみたいだから仲良くするんだぞ」
「……はあ」
ロベルトはシルヴィアが来ると聞いて、気の抜けた返事をした。その頬は緩み、嬉しいという感情を隠しきれてはいない。
だが、それはシルヴィア・トルネルに対して好意を持っているからでは決してない。
ただ、覚えたての魔術を披露して、度肝を抜いてやろうという悪戯心からである。
そんな意地の悪い考えを見透かすように、クラインが続けて釘を刺す。
「いいか? くれぐれもスカートを捲ったり失礼のない様にな!!」
驚いて逃げ回るシルヴィアの姿を想像して悦に浸っていたロベルトだったが、それに水をさされた様に感じて、ため息を吐くとクラインに告げる。
「父様。それは妖精に言ってください」
『親も親なら子も子だな。あ、あぁ……オレの子孫だった……』
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