第11話 初めてのお使い
屋敷に帰ってきて、使用人から出迎えられる。綺麗に整列した彼らに、両親は苦労を労う。
だが、ロベルトは使用人を労う事などしない。顎に手を当てたまま考え事に耽っていた。
そのまま自室に帰ると、独り言の様に呟く。
「どうすればいい」
『馬鹿なんだから考えても仕方ねえだろ。とりあえず思いつく前に行動だ』
「行動?」
『そうだなぁ。とりあえず使用人に何か困ってる事はねえか聞いてみろよ』
何のためにそんな事をさせるのかわからなかったが、ヴァンに対してはみっともなく愚痴を溢した所を見られた負い目がある。そのため、虚勢を張る事が憚られた。
部屋を出て、ロベルトは目についた使用人に声をかける。
「おい。そこの女」
「は、はい。ロベルト様。ど、どうされました?」
ロベルトが声をかけたのは使用人の中では若く見える女だ。
歳の頃は兎人族のニーナと同じか、少し上くらいだろうか。
「何か困ってる事はあるか?」
ロベルトの突然の問いに、使用人の女は口を開けたまま放心する。
「おい……手間を止まらせるな。無いのか? 無いなら行くぞ」
「ああ! お待ちください! そうです。ありました。お屋敷の玄関の近くに落ち葉が溜まっているのですが、手が空いている者がおらずどうしようかと……」
「そうか。よかったな」
『おい! そうじゃねえだろ!? 手伝うんだよ!』
何でそんな面倒な事をしなくてはいけないのか。眉を顰めたまま、ロベルトは項垂れた使用人に言う。
「はぁ……わかった。それは俺が片しておいてやる」
「あ、ありがとうございます!」
何度も頭を下げる使用人を尻目に、ロベルトは玄関に向かう。
すると、自分の身体の倍ほどもある落ち葉の山が待ち構えていた。
「なんだこれは」
『あぁ……まあ時期も時期だしな。まあ問題ねえだろ。ちゃちゃっとやろうぜ』
「どうやって?」
『どうって……箒を借りるなり、袋を借りるなり。あっ』
ヴァンが思い出したかの様に声を上げる。
「どうした?」
『いや、お前にはもっと便利な物があるじゃねえかよ。忘れてたぜ。お前オレの子孫だもんな』
「何を言っている?」
『魔術だよ。風の魔術。使えるんだろ? 巻き上げて纏めちまえば、楽に運べるだろ』
確かにウェライン伯爵家は貴族であり、魔術への造詣も深い。
その中でも風の魔術は特に一族に馴染みが深い物で、貴族家の家紋には風を司る精霊である嵐鷲が描かれている程だ。
ロベルトもクラインが使っているのを見た事がある。
ただ──。
「魔術など……貴族に必要ない」
『はぁ? お前何言ってんだ。いいから早くやれ! まだ一件目だぞ!』
ヴァンの叱咤に、ロベルトは唸る。さも不服そうに口元をへの字に曲げて小さく呟いた。
「魔術は使えない」
『は?』
「仕方ないだろう。わからないんだから。マナだと? なんだそれは? 目に見えないのにどこにあると言うんだ?」
『お、おま、お前っ。オレの子孫のくせに』
戦慄するヴァンの言葉に、ロベルトは目敏く反応する。
「言ったな!? 口にしないと言っていたのに! はっ! 随分と意思薄弱な英雄様がいたものだ!」
『いや……そうだな。悪い。ってそうじゃなくて、お前本当に魔術使えないのか? 少しも?』
「努力はした」
『嘘つけお前っ! でも、そうか。それは頭になかったな。てっきり箱入りっぽいから、使えると思ったんだが……』
「教えられたが、出来なかった。マナを知覚するだとか、マテリアルがどうとか何を言ってるか訳がわからん。そんなもの知ってどうなる? それに、そんな事をしてるより、剣で襲いかかった方が早い」
『言うに事欠いて、オレの前でそれを言うのかよ……』
暴風と謳われている通り、風の魔術と身の丈程もある大剣を駆使して戦場を駆けたヴァン。
だが、ロベルトにとって、魔術とは所詮は小手先の技術であり、貴族たるもの戦いにおいては正々堂々剣で戦うべきだという固定観念があった。
そのため、他家に修行に出ていた時も、剣術に関してはロベルトなりに真面目に取り組んではいたが、魔術の座学は適当に聞き流していた。
それもこれも、魔術の訓練で使えなかったのが自分だけという劣等感から逃れるためというのが根本の理由なのだが。
「別に生きるのに魔術なんて……」
『魔術はいいぞ。特に風はいい。汎用性が高いし、何より、女のスカートの中身を見る事ができる!』
ヴァンの言葉に、微妙な顔をするロベルト。
『──なんだ? 嬉しくねえのか?』
「女の下着なぞ見て何が楽しいのかわからん。それに、魔術などなくても命令すればいいだけだろう?」
『貴族らしいのが腹立つなぁ! どこの家のもんだ……オレの家だっ!』
一人で盛り上がるヴァンに対して、ロベルトは素っ気ない。
「無理だ。俺だってなにも、練習しなかったわけじゃない。出来なかったんだ」
ヴァンが魔術を勧めているのはわかった。だが、魔術というのは一朝一夕で習得できる物ではない。
しっかりとした理論の理解を元に初めて扱える物だと認識していたため、魔術は自分には難しい、とロベルトは苦手意識を持っていた。
『安心しろよ。オレが教えて出来なかったやつはいねえからな』
「誰に教わろうが出来ないものはできないんだよ!」
ロベルトも魔術の原理については多少は知っている。
魔術を扱うにはルーンが必要だということ。
ルーンというのは身体のどこかに浮き上がる紋章で、マナの流れを知覚すると現れるというもの。
人によってルーンの種類は異なり、得意な魔術が変わる事。
例えば、最も多いのは五芒星のルーン。特に得手不得手がなく、さまざまな属性の魔術を器用に扱える。
六芒星の魔術は五感を強化したり、身体能力を向上させる魔術に優れているとされる等。
夢みがちなロベルトは自らに眠るルーンに興味を惹かれて、魔術を使うために特訓した事があったが、結局その望みは叶わなかった。
『魔術を使えねえと、実戦じゃ役には立たねえぞ。少なくとも強化の魔術くらいは使えねえとな』
「……」
ヴァンの言葉は尤もである。激化する戦争の最中で戦ってきた人間の言葉には簡単には否定できない重みがあった。
『んじゃ手早くやっちまうか。まず、人間には心臓があるだろ。それにひっつく様に、マテリアルってのが存在するんだよ』
「……知ってる。別名マナの心臓だろ」
『正解だ。大気から取り込んだマナってのは一様にこのマテリアルによって浄化される。そのままだと身体に悪いからな。そんで、血と一緒に身体を巡る』
「それと魔術になんの関係があるんだよ」
『まあ聞けって。そんでな、古代の魔術師ってのは魔術に必要な術式を自分で触媒に描いて魔術を発動させてた。ルーンが利用され始めたのは、魔術の歴史から見りゃまだまだほんの最近みたいな話なんだよ』
「術式っていうのは見た事はあるが、随分と気の長い話だな」
巷に溢れる魔道具にはヴァンのいう術式というのが描かれている。
ロベルト自身も何度か見た事があるが、複雑な幾何学模様で、それを一から描くには相当な時間がかかる事が理解できた。
『まあ敵の前で描いてる時間はねえからな。その分、古代魔術を使う魔術師ってのは肉体派で……いや、それは今はいいか。そんで、ある時、人間の中で魔術の術式を保存しておく魔術を生み出した奴がいた。それを使って、いつでも簡単に、素早く、魔術を扱えるようにした。それが今も伝わるルーン魔術の始祖であるアインリッチだ』
「その名前は知ってる。塔の神子」
今もなお、大陸中で大きな力を持っている魔術師を総括する"塔"と呼ばれる組織の礎を築いた人物がアインリッチである。
歴史上で最も魔術を扱う事に優れていたとされる人間であり、魔道具を初めて作ったのもアインリッチとされている。
『まぁ、オレの時代ですら魔術を扱う者にとってはアインリッチは神と同義だったからな。そんで、このルーンっていうのは手っ取り早く言えば、魔術に必要な術式を保存しておく魔術なんだよ。つまりだ。人間にだけルーンが顕現する事さえも、アインリッチが古代に様々な人間にルーンが扱える様に魔術を施した結果って事だ」
「……?」
『まあ、単純に言うと、保存の魔術、所謂ルーン魔術ってのは人間族にしか使えねえ。他の亜人族には使えねえんだ。アインリッチが人間族だけにルーン魔術の礎となる魔術を使ったとされてる。それを施された人間の子供にもその魔術の効果が現れるんだ。なら、亜人族はどうやって魔術を使ってるかって話だが』
亜人族というのは人間族以外を広く分別するための言葉だ。
今では獣人一つ取っても兎人や、犬人などと細かく分類分けされているが、昔は獣人や、ドワーフ、エルフなどは等しく亜人と呼ばれていた。
そんな所から昔の人間なのだと認識させられたロベルトは微妙な表情を浮かべる。
『まぁ亜人族がどうやって魔術を使ってるかは今は関係ねえからいいか。小難しい話はいらねえ。とりあえず地面に何でもいいから術式を描いてみろよ』
「知らん」
『まじか……オレですら"発火"の術式くらいは覚えてんぞ……』
「ちっ」
『仕方ねえな。教えてやるからオレの言う通りに地面に術式を描け』
ヴァンに口頭で説明されながら、渋々といった様子で地面に円形の術式を書いていく。
古代文字で象られたそれはロベルトにとっては理解ができなかったが、その効果はヴァンが言う通りならば発火、つまり小さな火が出る術である。
「描いたぞ。合ってるか?」
『ああ。まぁ不格好だが、しゃあねえ。そんじゃ、術式の端に手を置いて、オレの言葉に続け』
言われた通り、ロベルトは円形の模様が描かれた地面に手をつく。
砂利が手について顰めっ面をするが、ヴァンの声を聞くために集中する。
『火の精霊よ。灯火を与えたまえ。糧に我がマナを捧げん』
「火の精霊よ。と、灯火を与えたまえ。糧に我がマナを捧げん」
身体の中で、何かが動き出したのを感じた。
「『発火』」
手から、一筋の風が抜けた様に感じて、奇妙な感覚に飛び退いた。
恐る恐る地面を見ると、術式の中心が小さく燃えていた。
「使えた!」
少年らしい喜びを表現するロベルトに、ヴァンも少し気を良くした様に続ける。
『マナの感覚は掴んだろ? オレの時代じゃルーンが出せない奴にはこのやり方が一番よかった。まぁ、あれから三百年も経ったんなら古代魔術も寂れてるわな』
「これがマナか」
心臓部から、脈を打つ様に体内を流れる熱。今まで意識していなかったのが不思議に思うほど、それがはっきりと存在していると理解できた。
『じゃあマナの知覚ができれば、あとは簡単だ。息を止めて集中して、出口を作ってやればいい。魔術を使った直後だから、マナも大分わかりやすいだろ』
もはやヴァンの言う事を疑う事もなく、抽象的な言い分を素直に聞く。
息を止めて集中する。身体を行き場なく流れるマナに、出口を作ってやる。
すると、急に身体を巡っていた熱が抜けるような感覚に陥る。
熱の抜けていく箇所を見ると、左手の甲が光を発していた。
「出た!」
『ん? おお! お前、七芒星のルーンじゃねえか! 器用じゃねえし燃費も悪いが、強力な上に珍しいルーンだぜ』
「ふん。当たり前だ。俺を誰だと思ってる?」
『うるせえな。いいから、風の魔術をさっさと使えよ。言った通り、ルーンってのは魔術を保存してる。記憶していると言ってもいいが』
「いや、何となくわかる。風の魔術を使えばいいんだな」
ロベルトは自らの左手に生まれた七芒星の模様が、自分の頭にある想像を形にする事を手伝ってくれるような、そんな感覚に陥った。
『ああ。呼びかけるだけだ。何せ七芒星だからな。それくらいで丁度いい。落ち葉に向かって手を向けろ。いいか? 集中しろ。他のことは考えんなよ』
「ああ」
『巻き取れ』
張り切るな、と言われたがロベルトはその命令を聞かなかった。
「風よ」
身体に流れるマナをその流れのまま、全霊をかけてルーンから放出し、魔術を発動する。
七芒星のルーンが光輝いたと同時に、ロベルトの周りの景色がぐにゃりとねじ曲がる。
まるで蜃気楼の様に揺らめく自らの左手を見て、ロベルトは奇妙な高揚感を感じていた。
発動した魔術によって落ち葉どころか、根を張っていた玄関先の樹木ですらもが音を立てて竜巻に巻かれていく。
砂利や樹木、屋敷の石壁を次々と捲りあげ、近くにあった厩舎の屋根は吹き飛び、遥か上空に見える雲が絡め取られる様に渦を巻く。
天を貫くような旋風だった。轟轟と音を立てながら周囲の物を巻き取っていく様に、ロベルトは全能感を肌で感じていた。
「ふははははは!!」
『おい!? 一回止めろ! 馬鹿! 落ち着け!』
嵐が鎮まると、屋敷の玄関先はボロボロだった。
石畳は捲れ上がり、屋根を失った厩舎では、怯えた馬が隅で身を寄せ合っている。
根っこから引っこ抜かれた樹木は大きな音を立てて地面に落下し、当初の目的である枯葉は中空を舞いながらゆっくりと辺りに散らばっていく。
「はっ! 最高だな……!」
『いや、驚いたぜ。マナは枯渇してねえか?』
「枯渇? なんだそれは? 気分が良くて仕方がない。そうか、魔術師というのは、こういう気分なのか……」
『それは知らねえが、まぁ上出来だ。ただ、この状況をどうするか、もっと真面目に考えた方がいいんじゃねえか?』
「知るか。もう俺を止められる奴はいない。ふはは! いい気分だ! シルヴィアぁ! 首を垂れろ! お前に俺の足を舐めさせてやるぞ! どんな顔をするのか楽しみだ! いや、その前に俺を散々罵ったアルバート子爵家を吹き飛ばしに行こうか!」
『あ、だめだ。こりゃマナ酔いしてやがる』
ロベルトは腰に手をあてて衆目を憚らず高笑いしていた。
だが、急に襲いかかった眠気によって、糸の切れた人形の様に地面に倒れ込む。
『感謝しろよ……黒歴史を増やさずに済んだんだからよ』
眠りに誘われるロベルトの耳に、ヴァンの声が届く。
何を言っているのかわからなかったが、襲う睡魔に抗えず気を失った。
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