第8話 シルヴィア・トルネル

 ロベルトは件のシルヴィア嬢を探すために、中庭に出てきた。


 前回公爵家に来た時は親同士の話があるからと一人で放任されていたため、好き勝手に庭先を闊歩していたが、シルヴィアと顔を合わせた記憶はない。


 つまり探しているシルヴィア嬢の顔がわからないのだ。


 使用人の一人や二人いれば、直接訊ねてみようと思っていたのだが、赴いた中庭は閑散としており、シルヴィア嬢どころか、使用人の一人も目に入らない。


 どうしたものかとロベルトが立ち尽くしていると、庭の奥から金属を打ち付ける様な音が聞こえた。


『いい音だな。中々の使い手だ』


「……」


 最早反応するだけ無駄だと言わんばかりに、ロベルトはヴァンの声を無視する。


 そして、金属音の鳴っている方に行くと、そこには少女と青年が剣を交えていた。


 どちらも卓越した剣技だ。人並みに剣を振ってきたロベルトの目から見ても、二人とも相当な実力者だと伺えた。


 その内の一人である青年が、気がついて剣を止める。


「おや? ああ。ウェライン伯爵の御子息の」


「ロベルト・ウェラインだ」


 間髪入れずに名乗るロベルトに対して、青年は苦笑を浮かべる。


『お前、もうちょい愛想よくできねえの……?』


 ヴァンの懇願する様な声に「ふんっ」と鼻を鳴らしてロベルトは手に持っていた包みをぶら下げながら二人に近づいた。


 ロベルトは、汗を拭いながら無機質な視線を向けてくる少女の額に、決して小さくはない切り傷の様な物があることに気がついた。


(女の癖に一端の剣士のつもりか)


 ロベルトは随分と失礼極まりない事を考えながら、手に持った包みを無言で差し出す。


「……それ、くれるの?」


「ああ」


 少女は、布で汗を拭っていたのを止めると、ロベルトに向き直り、焼き菓子の包みを受け取る。


「ありがとう。それだけ?」


「お嬢様……そんな言い方はよくないですよ」


 青年が耳打ちをすると、シルヴィアは気がついた様にハッとする。


「こんばんはロベルト・ウェライン殿。トルネル公爵家、第二子にして長女、シルヴィアです」


 そこには無いスカートの端を摘みながら、華麗な仕草で挨拶をしたシルヴィアに反応を示したのは腰の剣だった。


『……なんで、おま、お前! エクリア!? 女になっちまったのか!?』


 腰で明滅する光をロベルトは手で隠す。


「ウェライン伯爵家が嫡子。ロベルト・ウェラインだ。この度は其方の花を潰してしまった事を深く謝罪する」


「花?」


 シルヴィアは何の事かわからない様子だった。


「お嬢様。花壇の。ほら」


 青年に耳打ちされてシルヴィアは顎に手をやって目を伏せた。


 少しの間考える素振りを見せると思い出した様に顔を上げた。


「……思い出した。あれ、貴方がやったの?」


「ああ」


「そう」


「……あの、お二方。よろしければ席でご一緒にお茶でも飲まれては?」


 重たい沈黙が支配した状況に、傍にいる青年が助け舟を出す。


「さっきからお前は誰だ?」


 これまでのやり取りから使用人だと見るや、態度が一段と大きくなるロベルトに、さして気にした様子もなく青年は胸に片手を当てて腰を曲げた。


「私はトルネル家に執事として仕えています。ルシオ、と申します。どうぞお見知りおきを。ロベルト様」


「そうか」


「はい。それでは準備致しますので、お嬢様は一度湯浴みしましょう。ロベルト様はこちらで少しお待ちいただけますか?」


 ルシオは中庭の隅にあるテーブルを指差して椅子に座る様にロベルトを促した。シルヴィアはルシオに言われた通りに剣を片手に屋敷に帰っていく。


「ああ。急げよ。時は有限だ」


「はい。出来るだけ早急に。お待ちの間庭の景色を楽しんでいてください」


 ニコリと人のいい笑みを浮かべながら流すルシオ。そのやり取りに対してヴァンが騒ぐ。


『お前、他家の使用人に、なんつう口の聞き方をっ……むぐぐ!』


 ヴァンが何かと煩いが、既にロベルトは無視した方が楽だと気がついていた。


 そして、一人と一本しかいない中庭で、ヴァンが神妙な様子で話しかけてくる。


『なあ。今って王国暦何年だ?』


 それくらいは答えてやってもいいか、とロベルトは脚を組んで椅子にふんぞり返る。


「802年だ。そういえば、お前が生きていた時代は何年だったか?」


『500年だな。丁度300年くらい経ってるって事だ。それでもまだ続いてる我が家に涙が出るぜ』


「器用な剣だな」


『お前、どうしてそんな皮肉屋に育ったんだ……? というか、あのシルヴィアって子だよ!』


「あれがどうした? まさか年端もいかない小娘に劣情でも抱いたか?」


 ヴァンの事については、自らの祖先という事もあって少しは知識として知っている。その中に"無類の女好き"と称されているのを知っていた。


 それを揶揄してロベルトは言ったのだがヴァンの反応は思っていたものとは違った。


『んなわけがねえな。昔の腐れ縁にあまりに雰囲気が似ててよ。そのせいでちっとばかし感傷に浸っちまっただけだ』


 ヴァンの話にロベルトは鼻先を指で擦る。


「それは"雷鳴の剣聖エクリア"の事か?」


 ヴァンに関する史実にも出てくる、ヴァンに比肩する英傑の名前である。


 言うに及ばず、トルネル公爵家を率いた先人であり、正義を絵に描いたような人物像である。


 ヴァン・ウェラインとエクリア・トルネルに交流があったため、今も尚ウェライン伯爵家と、トルネル公爵家は付き合いがあると言っても過言ではない。


 それだけ、二人の友好の結びつきが強かったと言う証明でもある。


『知ってんのか。まあ、そりゃそうか。オレの事を知ってる子孫がいるなら、あいつの事も知ってて当然だわな。にしてもトルネル家もまだ残ってたんだな』


「お前が剣聖エクリアと名乗っていたら、俺ももう少しは優しく出来たんだけどな」


『へっ。滑稽なガキだ。あいつの事もトルネル家の事もなんも知らんから、そんな事が言えるんだ』


「正義の人物だろう?」


『全員が納得する正義なんてねえってこった』


 ヴァンはそれきり話したくないのか、黙ってしまった。剣の柄にある宝石も今は輝きを失っている。


「あら。ご子息?」


 傲慢な様子で足と腕を組んで座っていたロベルトの耳に、女性の声が届く。


「え、ええ。ロベルト。挨拶を」


 現れたのはロベルトの母であるカーラと公爵夫人だった。


「ロベルトです」


「私はマルタよ。よろしくね」


 随分と人懐こい様子の人物である。シルヴィアの母親の筈だが、表情の変わらないシルヴィアと違って、マルタは随分と感情表現が豊かである。


「よろしくお願いします」


 一応は目上の人間である。素直に頭を下げるロベルトに、マルタは口元に手を当てて小さく笑った。


「噂では随分な暴れ者と聞いたけど、いい子じゃない。あまりカーラと似ていないのね」


「ええ……。けど、似なくてよかったと思います。私は目つきが悪いから」


「カーラの目は素敵よ。切れ長で、綺麗な目じゃない」


「マルタ様の目の方が綺麗ですよ」


 夫人の会話につまらなそうにそっぽを向くロベルトだったが、カーラが突然慌てた様に声を上げた。


「あっ! 手拭いが……」


「旋風ね……偶に強い風が吹くのよね」


 カーラの白い手拭いが飛ばされ、マルタは髪をおさえた。


 飛んでいった手拭いの行方を視線で追うと、どうやら、樹木の高い枝に引っかかって止まった様だった。


「あれじゃ取りにいくのも一苦労ね。そうだ! 丁度いいし、新しい手拭いをプレゼントするわ! 最近流行りのお店で縫われた物なの。綺麗だし、きっと気に入ると思うわ!」


「あ、でも」


「ほら。風でお髪が乱れちゃうわ。庭も紹介できたし、部屋に戻りましょう」


 マルタに手を引かれる様に屋敷に戻るカーラ。


 だが、その目は何度もチラチラと手拭いの方向を向いていて、まるでさも大切な物であるかの様に気にした素振りで去っていく。


 二人が去った後でヴァンが声をかけてきた。


『使用人に言えば取ってくれるんじゃねえか?』


「他の家の使用人を顎で使うなと言ったのはお前だろ?」


『でも名残惜しそうに見てたぜ?』


 ヴァンの言葉にふん、と鼻を鳴らすロベルト。


 また何か皮肉でも返してやろうとロベルトが考えていると、夫人二人と入れ替わる様にシルヴィアが姿を見せた。


 使用人も連れずに、一人でやってきたシルヴィアにロベルトは少し驚きながらも、すぐにそっぽを向いた。


「──あれが飛ばされた手拭い?」


 白銀色の絹の様な髪が風に揺れている。


 その目が件の木の方向を向いているのを見て、ロベルトは腕を組んで傲慢に言い放つ。


「手拭いの一つや二つ。落としたところで何も問題はない。貴族は物に執着しない」


『誰の教えだ馬鹿』


 傲慢なロベルトの態度に、シルヴィアは気にした様子もなく言葉を続ける。


「来る前に二人が話しているのを見たけど、貴方のお母様はなんだか寂しそうだったわ。あれはきっと大切な物なのね」


「どうせ使い慣れているからだろう。母様はそういう所がある。物が捨てられないんだ」


 貧乏性な母親に対して、ため息混じりにロベルトが言うと、シルヴィアは意に介した様子もなく、手拭いがぶら下がる木に近づいて行った。


「おい。お前何する気だ?」


 椅子から立ち上がってその後ろを追いかけるロベルトに視線もくれず、シルヴィアは木の下に辿り着く。


「ん……く」


 シルヴィアは突然、ドレスの袖を捲ったかと思ったら、木に張り付いて登ろうとし始めた。


「お、おい! 落ちたら怪我するぞ!? 手拭い一つくらい放っておけばいいだろ!」


「……大丈夫っ……木登りは得意だから」


 ロベルトの目から見て、どこをどう見ても得意には思えなかった。


 白い肌に玉の様な汗をかきながら、木を登っていくシルヴィア。


 お転婆などという言葉を超えて、もはや破天荒な行動にロベルトは焦った様子で見ていた。


「掴んだ……あっ」


「お、おま!」


 シルヴィアが白魚の様な手でしっかりと手拭いを掴むと、途端にずるりと木から滑って身体が投げ出される。


 ロベルトは考えるよりも先に身体が動いて、シルヴィアを受け止めようとその下に待ち構えた。


 だが、いくらシルヴィアが小柄と言ってもロベルトにとっては背丈の変わらない人間である。


 ロベルトは落ちてきたシルヴィアを受け止めきれずに地面に潰れる。


「……あれ? 痛くない」


「当然だ馬鹿……」


 思わず悪態をついたロベルト。


「馬鹿じゃないわ。私の名前はシルヴィアって言った」


「なら、シルヴィアと書いて馬鹿と読むんだろう。さっさと退け……」


「あ、ごめん」


 飛び退いたシルヴィアを見ると、ドレスは所々枝に引っ掛けたのか切れていて、身体には赤い擦り傷が幾つもついていた。


「木登りは得意と言ってなかったか……?」


「うん。一度だけ登った事があるもの」


 一度やっただけで得意と言い張るシルヴィアに気が抜けるロベルト。


 シルヴィアは汚れや傷を少しも気にする素振りも見せず、身体についた汚れを大雑把に払うと、手拭いを差し出す。


「はい。返しておいてくれる?」


「お前が渡せばいいだろ……」


「大切な物ならすぐに返してあげるべき。私はまた着替えないといけない。汚れた身なりで夫人の前には立てないわ。それは貴族としてよくないこと……でしょ?」


「むっ……」


 納得しかけた結果、二の句を告げなくなるロベルト。仕方なく手拭いを受け取ると、その刺繍に見覚えがある事を思い出す。


「……これ、俺が母様に上げた物だ」


 ロベルトがまだ騎士見習いとして他家に行く前、まだ母親と仲のいい普通の親子だった時に、一緒に刺繍をやった時のものだ。


 出来のいい物とはお世辞にも言えなかったが、お互いに縫った物を交換したのを覚えている。


 手拭いには不細工な鷲が描かれていて、ところどころにほつれも見える。


「泣いてる?」


「泣いてない。どこをどう見ればそうなる」


 顔を覗き込んでくるシルヴィアに舌打ち混じりに返すロベルト。


「お嬢様!? ど、どうしたんですか!?」


 茶会の準備のために、使用人を引き連れてやって来たルシオが傷だらけのシルヴィアを見て驚く。


「少し木登りをしただけ。何の問題もないわ」


「問題大アリですよ! ああ! こんなに傷を作っちゃって!」


 まるで兄と妹の様なシルヴィアとルシオの関係に、ロベルトは胸にちくりと痛みを感じた。


 尚も言葉を続けるルシオを無視して、シルヴィアはロベルトに再度向き直る。


「さっきのは方便。その手拭いは二人で取った物よ。だから、貴方が渡して」


「二人?」


「私が登って、貴方が受け止めた。だから二人の成果」


「そっちの方が方便だろう……」


 どうにか返事をしたが、最早ロベルトの言葉にも力がなかった。

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