第2話 獣人の少女ニーナ

 翌る日の事である。屋敷の自室にてロベルトは暇を持て余していた。


「あ、あの。ロベルト様」


「来たか。ここに座れ」


 ロベルトは自室に入ってきた兎人族の少女に、投げやりに言い放つ。


 ロベルトの前には、盤と駒が存在した。彼の趣味でもあるロキと呼ばれる盤上遊戯である。


 一人では出来ないため、屋敷で目についた獣人の使用人に声をかけて相手をさせる事にしたのだ。


「あの……」


「いいからこっちに来いっ」


「は、はい! ……それで私は何でお呼ばれしたんでしょうか……?」


「相手がいないんだ。どうせ初めてだろう? 獣人などに教えて物になるかは知らないが、俺が直々に教えてやる」


「は、はい……わかりました。あの、私、仰る通り初めてでして。上手く出来るかわからないんですけど」


 本人の口から初めてと聞いて、ロベルトは意地汚く笑った。


 憂さ晴らしに獣人の小娘をロキでコテンパンにするのはさぞ愉快だろうという意味の笑みだった。


 だが、顔を朱色に染めたまま使用人服の裾を握るニーナに、ロベルトは次第に怪訝な表情を浮かべた。


「……初めてで上手く出来る奴がいたら苦労しない。だが、真面目にやれよ? 出来るだけ長く保たせろ」


 すぐに勝ってしまっても、それはそれでつまらないという我儘な性格のロベルトであった。


「ふぅ……。わかりました……」


 深呼吸をして、覚悟を決めた表情のニーナが突然、服を脱ぎ始めた。


「お、おい? お前いったい何してる?」


「え? だって、脱がないと……皺がついちゃうので」


 数秒、固まったまま思考を働かせたロベルトは、そこで漸く会話のすれ違いを起こしている事に気がついた。


「馬鹿かお前は! 誰がお前を伽に誘った!?」


「ええ!? 違うんですか!?」


「違うわ馬鹿! よく見ろ! この盤上遊戯の相手をしろと言ったんだ!」


 ロベルトは目の前の遊戯盤を繰り返し指差した。


「そ、そうだったんですか……ごめんなさい。そういえばロベルト様はまだ十二歳ですもんねっ……」


 自らの勘違いに頬を紅潮させるニーナにロベルトはため息をついた。


「お前もガキだろ。いいから座れ。ルールを教える」


「むう。私はロベルト様の二つ上ですよ? ……わあ。これ綺麗ですねえ」


 駒を指で摘んで、細部まで観察するニーナ。ロベルトはそれを見て「人選を間違えたか?」と小さく呟いた。


「その駒はここだ。そっちのはここ」


「え? あれ? ここですか?」


「違う。こっちだ……お前もしかして馬鹿にしてるのか?」


「そんな訳ないじゃないですか! うぅ、ごめんなさい。上手く出来なくて」


 ニーナは嘘をついている様子もなく、単純にこういったものに慣れてない様子が見てとれた。


 そのためロベルトも多少は語気を和らげる。


「さっきも言ったが、初めから上手く出来る奴なんていない」


 それは不器用なニーナに向けて同情心から出た発言だったが、ロベルトの言葉にニーナは思い出した様に口を開く。


「でもロベルト様は、初めから剣術がお上手だったって聞きましたよ?」


 駒を並べていたロベルトの指が止まる。


「──あの英雄ヴァン・ウェライン様の再来だと言われてるって聞きました! 私も一度ロベルト様の剣術を見てみたいです!」


「口じゃなく手を動かせ」


「あ、ごめんなさい」


 馴れ馴れしいニーナの言葉に、今日初めてロベルトは気分が沈んだ。


 七歳という時分から十一歳になるまでの四年間、騎士見習いとして他家に行っていたロベルト。


 多少、似ていたから。多少人より剣が上手かったから。そんな理由でこれまで両親や様々な人間から大きな期待をかけられた。


 ロベルトにとって、どこに行っても、誰と話していてもついて回るヴァンという名前はまるで呪いの様に聞こえて仕方がなかった。


「じゃあ始めるぞ。先行はくれてやる。駒の動きは教えた通りだ。好きに動かせ」


「ええ、と。じゃあここ!」


「……やっぱり馬鹿にしているだろお前?」


 二マス先にしか動けない駒が大きく跳躍してきたのを見て、ロベルトは少年らしからぬ様子で頭を抱えた。


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