いつか君の英雄になれたら

新田青

第一章 英雄の子孫

第1話 プロローグ


 屋敷の玄関をロベルト・ウェラインは肩で風を切り歩いていく。


 弱冠一二歳にして既に貴族としての威厳を備えた表情は、見る者を否応なしに萎縮させる。


 この屋敷はロベルトにとっては勝手知ったる我が家である。


 誰に気を遣う必要も無ければ、どれだけ暴虐無人な態度をとろうとそれを咎める事の出来る人間は少ない。


 漆黒の長髪の毛は後ろで縛られており、凶暴なその性格を表す様に要所が癖で跳ねている。


 前髪の隙間から覗く眼光は鋭く、その翡翠色の瞳は雄大な草原を彷彿とさせる。


 整った容姿に、他を寄せ付けない鋭い眼光。


 すれ違う使用人たちは誰に言われるでもなく、皆一様に嵐が過ぎ去るのを待つかの様に顔を伏せる。


「ふんっ」


 大きく鼻を鳴らしたロベルトは、使用人が掃き掃除を済ませた床を、わざと踏み鳴らすように歩いた。


 これまで屋敷の外に出歩いていたせいか、靴底に付着していた土や草が落ちる。


「おい! 汚れてるぞ! ちゃんと掃除しろ!」


 振り返ったロベルトは近くにいた二人組の使用人に怒鳴る。


 使用人二人は慌てて箒を持って駆け寄ってくるが、その一人にロベルトは興味を惹かれたように顔を近づける。

 

「おい! お前!」


「はいぃ! ロベルト様! ど、どうなさいましたか?」


 その少女は量の多い毛髪から長く茶色い耳を垂らしており、ロベルトはこれ幸いにと底意地の悪い顔で問いかけを続ける。

 

「お前、見ない顔だな。新入りか?」


「は、はい。今月の始めから屋敷で働く事になりました! ニーナと申しますです!」


「ふむ。お前獣人だよな?」

 

「そうですぅ……兎人族です」


 ペコペコと頭を下げる度に揺れる長い耳を見て、ロベルトの額に青筋が浮かぶ。


「──おい!」


「いたっー!」


 ニーナの両耳を鷲掴みにすると、ロベルトは苛立ちを隠さず言い放つ。


「もし俺の部屋にお前の毛が一本でも落ちてるのを見かけたら、逆さにして血を抜いてやるからな!」


「は、はい! わかりました! 気をつけます!」


 平伏したニーナの横を肩を怒らせながら通り過ぎる。


「ふん。獣人などを雇い入れるとは我が家も落ちた物だ。全く、父様は何を考えてらっしゃるのか」


 ロベルトはぶつぶつと文句を言いながらホールの階段を登る。


「ロベルト」


 踊り場にさしかかったところで聞こえた威厳ある低い声に、ロベルトは振り向いた。


「父様」


 そこには腕を組んだ姿の髭を生やした偉丈夫がいた。色素の薄い金色の頭髪に、コバルトブルーの瞳。


 およそロベルトとは似ても似つかない容姿ではあるが、彼は目の前の人物を父と呼んだ。


「お前はまた使用人の仕事を増やして……何をそんなに苛立っている? いったい何が気に食わない?」


 父親であるクライン・ウェライン伯爵の言葉にロベルトはおどけた様子で肩をすくめた。


「高貴な血は誰よりも尊ばれる。貴族らしくあれと教えられた通りに振る舞っているだけです」


 ロベルトの言葉にクラインは額に手をやってため息を吐く。


「獣人だとしても迎え入れた時点で我が家の一員だ。貴族の地位には大いなる責務が伴う。それを全うする事が我らの矜持であり、尊ばれる所以だ。なのにお前ときたら……修行先から追い返されたお前を見て私がどう思ったか、本当にわからないのか?」


 ロベルトは騎士見習いとして他の貴族家に修行に出ていた。


 だが、素行の悪さから追い返されて実家に戻ってきた。それが一年前。ロベルトが十一歳の頃である。


 他家から手に負えないと言われ、面倒を見る事を放棄されるのは、貴族社会では前代未聞の出来事だった。

 

「──お前をヴァン・ウェラインの生まれ変わりだと思っていた私が間違っていた。いいか? これ以上勝手をする様なら、お前は金輪際部屋から出さんからな! 自分を少し鑑みよ!」


 ロベルトの父親であるクラインは、怒り冷めやらぬ様子で床を踏み鳴らしながら出て行った。


 一人残されたロベルトは父親の言葉を反芻して、苛立ちにひとりごちる。


「ふん。何がいけないって言うんだ。傲慢じゃない貴族なんてどこにいる」


 まだ幼いロベルトにとって、父であるクラインの言う貴族の矜持という物の正体がわからなかった。


 ロベルトにとって貴族は常に下々の者に高圧的かつ簡単に弱みを見せてはいけないという、ただそれだけの存在だった。


「何がヴァンだ。そんな奴、俺が知るものか」


 このウェライン伯爵家を、貴族の一大名家として作ったとされる英雄ヴァン・ウェライン。


 元々は凡俗の剣士ながら、王国史でも類を見ない活躍をしたとされる無双の豪傑。


 そんな男と、たかが髪や目の色が似ているからといっていつもロベルトは比べられてきた。


「俺はロベルト・ウェラインだ……ヴァンなんかじゃない」


 小さく呟いた言葉が、静かな屋敷に溶ける。ロベルトは「ふん」と小さく鼻を鳴らすと、その場を後にした。

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