第3話

そして、その週の土曜日の夜のことだった。

「こんばんは」

一人暮らしをする竹中のアパートに、安永と田鍋がやって来た。

「あ、どうぞ」

「お邪魔します」

「田鍋ちゃん、久しぶりだね。安永が絶対に会わせようとしてくれなくて」

「当たり前だろ」

安永がムッとする。

「今日はありがとね。何か、いきなり二人でって言うのも抵抗あるかな、と思ってさ。安永に協力頼んじゃって。とりあえず、適当に座って」

「僕はいいんですけど、めずらしく慎重なんじゃないですか?僕のこと誘った時は、この店に何時に!って、一方的に、返事も聞かず強引に誘ってきたのに…」

「いや、本当に、マジで自分でも分かんないんだよね。何でこんなに慎重になっちゃうのかさ」

「好きになったんだろ?」

安永が呟いた。

「え?」

竹中と田鍋が、同時に安永の方を向いた。

「片瀬渉流に、本気で恋したんだろ、って話だよ」

「そうなんですか?」

田鍋が、竹中のことを興味津々と言った目で見る。

そこに、インターホンが鳴った。

「あ、はい!」

竹中が慌てて玄関へと向かう。扉を開くと、片瀬が立っていた。

「こんばんは」

綺麗な顔立ち。黒くて澄んだ瞳が、少し潤んでいた。

うわっ!ヤバい。安永が変なこと言うから、めっちゃ意識しちゃって、目が合わせられない…。

「渉流君!」

田鍋が奥から覗き込む。

「あ、翔汰君」

片瀬が笑顔になる。

初めて見るその笑顔に、竹中の心臓が跳ね上がった。

「あ、どうぞ。上がって」

「お邪魔します」

部屋へと向かう片瀬の後ろを竹中が歩いて付いて行く。郵便局の制服の時とは全く違う印象の片瀬の後ろ姿から、竹中は目が離せずにいた。

「あ、安永さん、こんばんは」

「こんばんは」

安永が優しい笑顔で応え、チラリと竹中を見ると、

「竹中、顔が赤いぞ」

と、からかい交じりに言う。

「本当だ。すごい赤い。大丈夫ですか?」

田鍋が心配する。

「もう飲んでるんですか?」

片瀬がコートを脱ぎながら尋ねた。その、思った以上に華奢な体付きに、竹中はドキッとした。

「いや、まだ飲んでないよ。今、鍋の準備するから、座ってて」

竹中がキッチンへと向かう。

「手伝います」

片瀬が声をかけ、一緒にキッチンへと歩き出す。

「渉流君、調理師の免許持ってるんですよ」

田鍋が言うと、

「へぇ!すごいじゃん」

と、竹中が片瀬の方を見た。

その瞬間に目が合う。

うわあっ!

竹中は思わずフイッと目を背け、俯いたまま流しで手を洗い始めた。まともに目が見られない。何だ、俺。何でこんなに意識してしまうんだろう。

「あ、すごい。もう材料切ってあるんですね。これ、あっちのテーブルに運べばいいですか?」

「うん。テーブルの上に、簡易コンロと鍋用意してあるから、材料入れて火にかけてくれる?」

流れる水を見たまま、目を合わせずに返事をする。

「了解です」

了解です…だって。超カワイイじゃねぇかよ!

竹中は、誰にも分からないように、一人でニヤけていたのだった。

それから、片瀬の顔をまともに見られず、横顔を眺めながら、竹中はチビチビと酒を飲んでいた。

「ちょっと酔ったかも…」

田鍋が、安永の肩にもたれかかる。

「大丈夫?少し横になる?」

安永が田鍋の肩に手をやり、その顔をそっと覗き込む。

「良かったら、こっちの部屋使えよ。安永、布団の場所分かるだろ?」

竹中が言うと、

「悪いな」

と、言いながら、安永は田鍋を連れて別の部屋へと移動した。

「いいなぁ…」

片瀬が呟く。

「何が…?」

「あんな素敵な人が彼氏で、翔汰君、本当に幸せだな…って思います。お似合いだし」

「確かに…。ちなみに、片瀬さんは、付き合ってる人とかいないの?」

竹中がさりげなく聞くと、しばらく黙って、そして

「今はいません」

と、静かに答えた。

「好きな人も…?」

「そうですね…。今は、まだいいかな、って思ってます」

「そっか。じゃあ…」

竹中が、床に置いてあった片瀬の手をギュッと握る。

「俺っ、こんなこと初めてで、戸惑ってるんだけど、片瀬さんに毎日でも会いたいって、すげぇ思ってて。LINE一つするのにも、こんなこと送って嫌われないかな、とか一時間以上考えたり、めちゃくちゃ慎重になってしまって。遊び相手とか、もう本当にそんなのどうでも良くて。ただ純粋に…」

フウッ、と一度息を吐く。そして、勢い良く空気を吸い込むと、

「俺は、片瀬さんを好きになったんだと思う。できれば、ずっと側にいさせてほしい。俺のこと好きじゃなくてもいいから。でも、もし、今度誰かのことを好きになろうと思う時が来たら、俺のことを好きになる努力をしてもらえたら嬉しい…んだけど。絶対に大事にするから」

ドッドッと、激しく心臓が鼓動を打つ。

片瀬は、返事をせずにいた。しばらくの沈黙。竹中は分が悪くなり、

「ごめん。マジで何言ってんだろうな、俺。超ハズい。こんなこと今まで誰にも言ったことなかったから、何か顔とかめちゃくちゃ熱いし、ちょっと外に出て涼んでくるわ」

竹中が、慌てて外へと出て行った。片瀬は、その場から動けなかった。

そこに、

「どうするの?」

と、安永が後ろから声を掛けてきた。

ビクリ、と、片瀬の体が一瞬、硬直する。

「あ、翔汰君は寝たんですか?」

「ああ…。俺が言うのも変だけど、竹中は悪い奴じゃないよ」

「…はい。分かってます。ただ、今はまだそういうことを考えられる余裕がなくて。それに、竹中さんは相当な遊び人なんですよね?俺、もう傷付く恋愛はしたくないんです」

安永が、片瀬の横に、ゆっくりと座る。

「今はまだ深刻に考えなくていいよ。竹中も戸惑ってるところだろうし。それに少しは恋愛で悩んで辛い思するといい」

「安永さん、竹中さんに厳しいんですね。まあ、今までの話を聞いてたら、仕方ないのかもしれないけど…」

片瀬がクスクスと笑う。

「渉流君も、竹中に冷たくしてたんだろ?」

「そうですね。最初の出会いも最悪だったし、俺、極度の人見知りなんで…」

片瀬が安永のグラスにビールを注ぐ。

「ごめんなさい。何かいろいろあって、気持ちが追い付いていかなくて」

「大丈夫だよ」

安永が、ポンポンと、片瀬の頭を軽く叩く。安永の優しさが心に響き、片瀬の瞳から涙が零れた。

「すみません」

片瀬は、安永から顔を逸らすと、

「俺、今日はこれで失礼します。片付けもせず、すみません」

と、立ち上がった。

「いいよ。竹中にはうまく言っておくから。気を付けてね」

「はい。ありがとうございます」

そして、片瀬は竹中のアパートをあとにした。


「あれ?片瀬さんは?」

竹中が戻ってくる。

「何か明日早いからって、先に帰った。片付けもせず、すみません、てさ」

「そっか…」

竹中が少し残念そうに俯くと、そのまま安永の横に腰を落とし、あぐらをかく。

「さっきの、もしかして聞こえてた?」

「ああ。思いっきり」

「片瀬さん、何か言ってた?」

「別に何も。渉流君が考えることであって、俺が口出しすることじゃないしな」

「確かに、そうなんだけど…」

竹中が黙り込む。

「俺たちもそろそろ帰るよ。片付け手伝うから、これ、流しに運べばいい?」

「いや、いいよ。明日休みだし、ボチボチやるから。今日はマジでサンキュな」

「いや。それより、渉流君のことだけど。本気で好きなら、ちゃんと誠意を見せろよ」

「え?ああ。それはもちろん」

「渉流君、真面目なんだから、傷付けるような真似したら、俺と翔汰が許さない」

「わ、分かってるよ」

そう釘をさし、安永は田鍋を連れて帰って行ったのだった。

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