真面目な彼女と空の上

「あ、あのぉ鹿角さん」


「なんでしょうか」


「まだ飛行機の中なのでプレゼン資料は読まなくてもいいのではないでしょうか?」


「どうしてですか?」


 横の席に座る彼女は分かりやすく不機嫌な口調で睨んでいる。


 僕は指定席につくなり無理やり持たされたプレゼン資料に目をおとしてからできるだけ柔らかい笑顔をつくって


「いやぁそのぉ、あんまり気負い過ぎても……ほらプレゼンの練習は社内で散々したし、せめて宿舎についてからでも」


「あまいですね」


 被せ気味に言われた。彼女は続けて、


「いいですか立花さん。今回の学会は我が支社、いえ、関東ブロック代表として恥ずかしくない発表をしなくてはダメなんです」



「分かってます。でも今からそんな気をはっていたら本番前には疲れてしまいますよ」


 僕の意見を聞いても彼女の表情は変わらない。それどころか鹿角さんは先ほどよりも集中してプレゼン資料を読み返す。


「はぁ」


 小さなため息をついたあと、僕は諦めて彼女と同じように資料に目を移した。途中で機内アナウンスが流れて少ししてから機体は動き始める。


「鹿角さんそろそろ離陸しますよ」


「そうですね」


「そうですねって……離陸するときくらいは資料から目を話しましょうよ。じゃないとよっちゃいますよ」


「そうですね」


 そうこうしている間にも機体は滑走路に向かって動いていく。


「あのぉ鹿角さん、聞こえてますか?」


「そうですね」


 抑揚のない声のまま鹿角さんは資料から目を離し真正面を向く。


「ふぅぅぅぅぅ」


「……鹿角さん」

 

 僕は機体が滑走路に近づくたびに彼女の顔がだんだんと血の気がなくなっていくことに気が付いた。


「あのもしかして飛行機怖いとかですか?」


「……怖くありません」


「でも若干震えてません?」


「震えてません、武者震いです」


 窓側の席に座る鹿角さんは外の景色をまったく見ようとしない。それどころか滑走路に入ってだんだんと速度があがっていく機体に怯えているように見えた。 


「あの……もしよかったら手とか握りましょうか」


 反応はない。茶化したように半笑いで行ったことがなんだか余計に恥ずかしい。


 そう一瞬思った僕であったが、昨今のコンプライアンス的に今の言葉はもしやセクハラの類になるのではと脳裏をよぎる。


 そう言えばネット記事で読んだことがある。何気ないデートの誘いや飲み会の誘いは女性にとって少しでも不快感や恐怖感があればそれはハラスメントになるということ。


『芳くん呼んだかい?』


 僕の頭の中でわかばさんがひょっこり顔を出した。あの同居人はいろいろと認識が緩いから勘違いしてしまったが、今の発言は鹿角さんを不快な気分にさせてしまったに違いない。


 ――これは最悪の場合懲戒免職もありえる。


 僕は顔を青ざめた。せっかく苦労して転職したのにクビにでもなったらわかばさんと破産するしか道はない。


「あの、鹿角さんすみませんでした」「……してください」


 すぐさま謝罪する僕の声にかぶって彼女は何かを言っていた。


「はい?」


「手を握ってください。」


「はい?」


「立花さんがご提案されたんでしょうはやく私の手を握ってください。飛行機怖いんです……」


 僕は早口で喋る彼女に圧倒されつつ彼女が差し出した手を握った。


「ぅぅ」


 小さく唸りながら目を閉じている。


「うぅぅん」


 彼女が瞼を閉じていることをいいことに僕は外の景色なんかよりも、真面目で仕事中はいっさいの感情を表に出さない鹿角さんの怯えた表情を堪能していた。

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