谷間に入らずんば乳房をえず
「いい湯だねぇ」
「そうですね」
「おやぁ元気がないじゃないか」
元気がないわけじゃない。この狭い風呂に大の大人が二人も入ってるんだ。窮屈で仕方ないし、背中越しとは言え素肌があたってるし別の意味でまずい。
「新しい仕事はどうだい?」
「あぁ、試用期間が終わったんで一応正社員で雇ってもらえそうです。でもいろいろ覚えることが多くて……親切に教えてもらってるんですけどなかなか……」
言葉がつまってしまう。物覚えがよくない僕は職場でも些細なミスをして注意を受けてばかりだった。
「一生懸命すぎるから失敗するんじゃないかい? もっと気楽にやりたまえよ」
そんな無責任な言葉に僕はほんの少しイラっときた。
「そうしたいですよ、でも僕みたいな人間は一生懸命やらないとついていけないんです」
語尾を強めるとわかばさんはやれやれと言いたげにため息をこぼし、後頭部を僕の胸のあたりに押し付けてきた。それから何も言わずに僕の両手首を掴んで自分の胸の方へ持っていく。
僕の手のひらが微かに膨らんだ柔肌に触れる。
力は入らない。入らないようにわかばさんが僕の手首を奥へ引きずり込んでる。
「まぁ、きみみたいな真面目で誠実で努力をしているやつは人に好かれやすいさ、しかもきみはそれでいてその実、不器用で物覚えが悪くてセンスがなくて、おまけに要領も悪い。だから会社の教え魔に目をつけられてどっちでもいいことをつっこまれて調子を崩す。一生懸命な人間はみんなが大好きだから」
「ぼろかすいいますね」
「違うよ、それがきみの魅力だといいたいだけさ、とても素敵だよ芳人くん」
なんだかとっても偉そうなことを言われた気がするけど、嫌じゃなかった。
「なんで一緒に入るんですか?」
でも癪にさわるから話題を変える。
「そうすれば水道代の節約ができるだろう」
さんざん無駄使いしといて?
「いやそうじゃなくて、一応僕は男なんですが」
「知ってる」
そう言ってわかばさんは風呂の淵に手をかけて立ち上がると、湯気が上がっていることをいいことにそのにやついた表情をぼんやり隠しながら振りかえって顔を正面に近づける。
「うわ」
思わず声が漏れる。意識して見ないようにしてたのに、産毛についた水滴までもう全部丸見え。
「それだけかい? この美女の裸を見といてそれだけの感想しか言えないのかい? 貧相な感性だねぇ」
「痴女の間違えでは?」
そうじゃない、本当はそんなことを言いたかったわけじゃない。ただ咄嗟に言葉がでなかったのと気恥ずかしかっただけ。
「間違えではないよ、痴女は痴女でも美しい痴女で美っ痴女だ」
「なんそれ」
わかばさんは外に出ないから肌は雪のように白い。
「綺麗ですよ。すごく」
「……でもこっちは全然だねぇ、傷つくねぇ」
「まだちょっと、すみません」
「その一言が余計に傷つくねぇ、さっき言った言葉にデリカシーもないを追加しておいてくれたまえよ」
そう言ってわかばさんは風呂を出て、風呂おけに座る。何事もなかったようにシャンプーハットをかぶって、
「何をしてるんだい? はやく髪を洗っておくれよ。私に風邪をひかせるきかい?」
「あぁすみません」
僕はまだ感触が残った手の平でシャンプーをプッシュし、わかばさんの髪に触れる。
ちょっとだけくっせけな彼女の髪質は、今の発言も相まって偉そうに感じた。
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