食ってバストを寄せ上げよ

「あぁ疲れたねぇ」


 よほどお腹がすいていたのだろうか、勢いよく即席麻婆豆腐を胃の中に収めたあとわかばさんはごてんと後ろに倒れる。


「それを言うなら僕なんだが、まぁいいか」


 蓄えた燃料が切れたように僕もカーペットに寝ころんだ。


「もう動けない」


 天井に向かってつぶやく。今週も働きづめだった。しかしこれから片付けと洗濯をしなくてはいけない。満腹の身体はエネルギーを回復したはずなのにうんともすんとも言わない。


 なんという燃費の悪さだろう。


 いや、燃えすぎか。


 久しぶりに辛い物を食べたからか、汗もどんどんと額や首筋に滲んで、仕方ないからシャツの袖で拭う。


 さっき飲んだ冷水の温度が心地よく、今頃になって身体を循環していく。


 仕事が終わった緊張の緩和と満腹感があまりの気持ちよくて僕は目を瞑りながら、意識が遠のく感覚が襲う。


「ねぇねぇ」


「……」


「おーい」


「なんすかっ」


 目を開けて早々僕は目を丸くする。眼前には二つの山の渓谷。


 わかばさんは僕の上に覆いかぶさっていて、にんまり笑っていた。


「お風呂入らせておくれよぉ」


「蛇口捻って、数分待てばいいでしょ」


「だるいぃ、お腹いっぱいで動きたくないのだよ」


「じゃあ明日にしましょ」


「そんなこと言わないでおくれよ、蛇口捻って、数分待てばいいだけじゃないか」


「こんなに波長が合わないミラーリングってあるんだ。そのセリフをそのままお返しします」


「じゃあその言葉を袋に包んでお返しするとしよう」


「じゃあさらにリボンをつけてプレゼントしますよ」


 不毛な会話が続いて、埒が明かなくなるとわかばさんは支えていた腕の力を抜いてガクッと僕の上に身体を預ける。


「重いのですが」


 指摘するとわかばさんは目を細めた。


「レディーに対してそう言うことを言わない方が良いよ」


「大丈夫です。わかばさんにしか言いません」


「おや他に何か言いたげな顔だねぇ」


「いや、すごく今さらなんですけどんな育ち方したのかなって思って」


 わかばさんの家庭事情など僕が知り術はない。


 だからこそ、明日が休日なんて日には余計に気になってしまう。


 もしわかばさんにお姉さんか妹さんがいたら、わかばさんと同じような性格なのかとか、両親は今のわかばさんを見てどう思うのかとか、仮にわかばさんのすべてを解明出来たらなにかしらのノーベル賞がもらえるだろう。


「うーん、なんてことない普通の家庭だったねぇ」


「本当ですか?」


 わかばさんはあまり話したくないのか、なめくじのように僕の身体の上を這いずったあと胸のあたりに顔を埋めた。やがてもごもごと口を動かしくもりかかった声で話し始めた。


「閑静な住宅街にそこそこ大きな家があって、そこに私がいた」


「ちょっと裕福そうですね」


「そうだろう、ご飯は三食毎日食べて、小学校三年生のときに地元の子ども劇団に入ってねぇ、中学校では生徒会の会長選挙に立候補して、落選してぐぬぬ。給食だって毎日残さず食べて……あぁでも集団食中毒とかもあって、小学校のときだったかなぁ、クラスメイトの子が入院するとか、しないとか……テレビの取材を受けて、顔と声が可愛いってなってちょっとした有名人なったり……」


「なんの話でしたっけ」


 支離滅裂な会話に僕は思わず口をはさむ

 

「きみが聞いたんだろう、私の黎明期れいめいきを」


 わかばさんが顔を上げて僕を睨む。


「はやくお風呂を入れておくれよぉ」


「あぁはい」


 僕はわかばさんを身体にのせたまま起き上がり、流れるように彼女をカーペットに滑らせた。









 


 

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