第6話
雨月が目覚めた時にはすでに、嵐は過ぎ去っていた。
「父上……」
「あぁ、雨月……!」
枕元に座っていた父の長柄は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、雨月を強く抱きしめた。
何か起こったのか分からなかった雨月は苦しくなりながら、父を慰めるように頭をなでた。
二年前、母が亡くなった時もそうしてあげた。
「何が起こったのか覚えているか?」
「私……病気を治してあげたくて……あの人に手をかざしたんです」
父が使用人に、この男はもう手遅れだと話しているのを、雨月は偶然聞いてしまった。
病の進行が早く、治癒術ではどうにもならなかった、と。
当時、雨月はまだ力に目覚めていなかった。
そんな雨月を父は「他の者より、力の開花が遅いからといって焦る必要はない」そう慰めながら、誰より悩んでいるのが分かっていた。
だから雨月は真剣に苦しんでいる人を助けたいと願えば、力に目覚めるのではないかと思ったのだ。
だから病で苦しむ、その人に手をかざした。
父がいつもそうして患者さんを治しているのをよく見ていた。
強く願った。早く、力に目覚めたい。母を失ってから外では明るく振る舞いながら、今でも涙を流す父を一刻も早く安心させてあげたい。
治癒術士に見放された青年を助けたい。
その一心で。
すると、体から力が湧きあがるのを感じた。
体が熱くなり、その熱は両腕へとゆっくり伝わっていく。
(私にも力がっ!)
そう思った矢先、体に何かが侵入してくるが分かった。
それはどす黒い何か。体をめぐっていたよく晴れた春の午後のような温もりは瞬く間にその冷え冷えとする存在に塗り潰され、吐き気に襲われてしまう。
頭痛に苛まれ、気付けば目の前が真っ暗になり、意識が途絶えた。
「ち、父上……私にも力が……褒めて、ください」
雨月の言葉に、父は泣き笑いの表情になった。
「雨月。その力は決して使ってはいけない」
「……どう、して? 力が使えました。嘘ではありません……っ」
「……そうだね」
「あの男の人は?」
「彼はすっかり元気になって、昨日、村へ帰っていった」
「だったら……!」
「お前の力は、特別すぎるんだ」
「特別? 治癒術士の力は特別です」
そうじゃないんだ、と父は優しく言った。
「……普通、治癒術士の力というのはね、人の病や怪我を治す。でもあらゆる病や怪我を治せるわけではない。死に近づき過ぎてしまった人を救うことはできないんだ」
母もそうだった、と父は言った。
症状が表に出た時にはもう病という暗く、底の見えない怪物が、母の命の大半を食らいつくしていた。
「でもお前の力は、どんなものでも……死んだ人間以外を容易に治すことができる、どんな病や怪我も……。そんな特別な力を持った人が数百年に一度、出てくるという伝承があるんだ。それを人は、神の治癒術士――と呼ぶ」
「だったら……」
「……雨月。その特別な力にはね、は大きな代償を伴うんだ。お前自身の命を削り、人を治すことになるんだよ……」
父は、雨月の着物をやさしくはだけ、胸元を見せてくれた。
そこには小さな黒いあざが出来ていた。そんなものこれまではなかったはずなのに。
「詳しくは儂にも分からない。が、力を使うたび、おそらくこのあざがお前の体に広がっていく。そして最後に、お前は死んでしまう。儂はそんな人生を歩んで欲しくない」
「私はどうしたらいいんですか……?」
「力を使わぬようにするんだ。その代わり、お前には薬草の知識をたくさん教えてあげよう。だから約束しなさい。力は使わない、と」
「……はぃ」
「良い子だね、雨月。良い子だ……」
父はいつまでも雨月の頭をなでてくれた。
※
(この国の中心――途方もないほど大きな希望や理想を抱いてるこの方が亡くなって良いはずがない……そんな人を救えるのなら、どんな代償があっても私は……)
雨月は手をかざして、目を閉じて意識を集中する。
全身の神経を研ぎ澄まし、自分の体に眠っている力を揺り動かし、目覚めさせる。
指の爪先まで力が流れていくのをはっきりと感じた。
ズキッ、と胸に鈍い痛みがはしった。
清らかなる水が、泥によって次第に汚れていくように、体に腐臭を放つ汚水を遠慮無く注ぎ込まれるのにも似たような錯覚に陥る。
(なに、これ……)
体が重たい。
息が詰まりそうなくらい胸が苦しくなり、視界が二重にぶれる。それでもこの手だけは下げてはいけないと、雨月は思う。
(意識を集中して。痛みや苦しみに集中力を切らしては駄目……!)
全身から汗が吹き出す。
それでも力の続く限り、力を注ぎ込み続ける。
しかし蒼天の体に巣くう病は根深く、あまりに強大で、完全に癒やすよりも、雨月の体力が尽きるほうが先だった。
(だ、め……っ)
雨月はその場に倒れてしまう。
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