第4話

 休憩もほとんど挟むことなく日の出ているうちは移動し続け、寝る時は牛車という生活を繰り返す。

 外に出られるのは水浴びをするほんの僅かな時間。

 そんな苦労を重ね、都にたどりついたのは、故郷を離れておよそ一週間ほど経っていた。

 村を出発してからはほとんど擦れ違う人々のいなかった街道も、都に近づくにつれて、旅人や荷車などと擦れ違うことが頻繁になっていた。

 そしてここ数日は行列から「どけ! 王の使者である!」とわざわざ呼ばわって、道行く人たちに注意喚起しなければならないほどの通行量になっていた。

 そして今、雨月の目の前には都の入り口であろう巨大な門があった。

(なんて大きくて立派なの……)

 朱塗りの柱に黒光りする瓦を葺いた四つ足の巨大な門だ。

 周囲は常人では越えられぬほど高い壁に囲まれている。

 行列が門を抜けると、雨月は目を瞠った。

(蒼天様が仰った通りだわ!)

 窓から見える大通りの様子に、雨月は驚きを隠せなかった。

 実家のあった周辺の集落の全ての人間を集めても、これほどの人数にはならないだろう。

 大通りを行き交う、老若男女。

 ある人は商売のために声を道行く人々へ声をかけ、ある人は目的地を目指して黙々と歩き、雨月たちと同じように都に上ってきたばかりと思しき一団は大通りに軒を連ねる大きな店に目を丸くして何事か囁き合う。

(ここが都!)

「これくらいで驚いてるわけ?」

 嫌みったらしい香の声。

「何?」

「別にこれくらい何でもないわ。都じゃ日常だもの」

 香と宮音は何度か都に行ったことがある。

 二人が屋敷を留守にした時は雨月にとっては天国みたいな時間だったからよく覚えていた。

 なにせ、嫌味ったらしい義母と異母妹がいないのだから、いびられなくて済んだ。

「そうなのね。私は都に来るのがはじめてだから」

 香の嫌味にいちいち付き合ってることこそ時間の無駄。

 流すように言うと、それが不満だったらしくキッとにらみ付けられた。

 しかしここに香の手足となって動くような使用人たちはいない。

 いなければ、何も怖くない。

 睨まれるくらい可愛いもの。

 大路を北進していくと、建物が見えてきた。

 瑠璃色の瓦屋根に、柱部分は翡翠。

 どちらも青龍を象徴する色としてこの国において禁色に指定されている。

(あれが王の住まう、青龍城……!)

 あまりに大きく、あまりに広いせいか、その全容は分からない。

 立派な鐘楼がいくつもあり、周囲を深い堀に囲まれ、数少ない出入り口は兵士たちによって硬く守られていた。

 行列の先頭を行くものが、兵士たちに何事か告げる。

 兵士たちはすぐに脇にどく。

 通行を許可したらしい。

 一時停止した牛車が再び動き出した。

 橋を渡る時のごとごという物音と震動を感じながら、青龍城の中へ。

 敷地はたくさんの建物が入れ小細工のように収まっていて、建物同士が渡り廊下で結ばれている。

 王に仕える官吏たちが忙しなく、廊下を行き来している。

 次に牛車が停まったのは、とある建物に横付けされた時。

 牛車の出入り口が開けられると、王の使者が立っていた。

「さあ、こちらだ。ついて来い」

 王の使者と護衛の兵士に挟まれながら廊下を進んでいくと、使者はとある部屋の前で足をとめた。

 部屋には二人分の文机、寝台、衣装箪笥が置かれていた。

「ここがお前たちの部屋だ。必要なものがあれば係の者に伝えよ」

「お、お待ちください、使者様」

 大人に媚びを売る時、香お得意の上目遣い。

 だいたいの大人(特に男)はこの上目遣いを見ると、鼻の下を伸ばす。

 しかし使者は眉ひとつ動かさない。どうやら香の必殺技も、使者には通用しないらしい。

 それでも香はめげず、猫なで声を出す。

「そのぉ、こちらの部屋一つなのでしょうか? 私たちは二人なんですけど……」

「見て分かるだろう」

「ですが、我々は仮にも貴族で」

「私もそうだ。そしてお前たち田舎貴族よりも位は私のほうが高い。私が何が言いたいか分かるか?」

「さ、さあ……」

「つべこべ言わずに黙ってここで待機していろ、ということだ。姉をもっと見習うのだな」

 雨月は香の馬鹿に付き合ってなどいられないからさっさと一人部屋に入って、箪笥を調べていた。

 下着や服は二日分。ここには長居しないらしい。

 使者に袖にされ、香は不機嫌そうに床を踏みならす。

「なんなのよ、あいつっ! 偉そうにっ!」

 そう口汚く罵る。

(うるさいし、どっちが偉そうなのよ)

 こんな馬鹿な異母妹と一つの部屋で暮らさなければいけないなんて、牛車で過ごした時以上にうんざりする。

 しかし何かを指摘しようものなら、それを理由に突っかかってくるだろうから、無言が一番。

 文句を言うことにも飽きたのか、香はでーんと仰向けに大の字で床に寝転がる。

 貴族が聞いて呆れる。

「ねぇ。なんで私たち呼ばれたんだと思う?」

「さあ」

「さあって……。あんた、何も疑問に思わないわけ? 鈍い女。私が見るに、きっと陛下のお身内が病気なのよ。それで私が呼ばれたんだわ! あぁ、私が無事に治療果たせば、どれだけの褒美がもらえるのかしらぁ! もしかしたら都人との縁談なんかも叶ったりするかもねぇ!」

 ただの病であれば、都の治癒術士で十分、対応できるはず。

 わざわざ田舎の治癒術士まで呼びつける必要などない。

 香は立ち上がると部屋を出ようとするが、部屋の前には通せんぼするように兵士がいた。

「あのぉ……ちょっと外の空気を吸いたいんですが」

「申し訳ありません。手洗いに行く以外は不用意に歩かせぬよう申しつかっおりますので。お戻りを」

「……わ、分かりました」

 引き攣った笑みを浮かべて兵士と別れ、引き返してくる。

「これじゃ監禁じゃない……って、何見てるのよ」

「障子を開けた時、西日が差してきたの。まぶしくて、そっちをつい見ちゃっただけ。別にあなたを見てたわけじゃない」

「ほんっと、あんたってむかつく女よね」

「ね、ずっと聞きたかったんだけど。どうしてそこまで私につっかかるの」

「はぁ? 分からないわけ?」

「ええ、せっかくだから教えて」

 雨月がこうして妹とまともに話すのは初めてかも知れない。

 話したくて話す訳ではないが、自分が不当に虐げられてる理由が知りたいと思った。

 子どもが虫を殺すように弄びたいだけなのか、それともなにかしら明確な理由があるのか。

「あんなたみたいな無能者と同じ血を分けていると思うと、虫唾がはしるからよっ。恥知らず。お父様もお父様もどうしてあんたみたいな女を大事にしてたんだか分からない。私がいればそれで十分なはずなのに!」

「……そう」

「なにが、そう、よ。冷静ぶって。家にいた時みたいに、情けない顔で嫌がりなさいよ――」

 その時、障子が開き、うやうやしく御膳を捧げ持った女性たちが入ってくると、雨月と香の前に差し出す。

「夕餉をお持ち致しました」

「あぁ、ちょうど良かった。お腹が空いてたの!」

 香ははしゃぎながら御膳をのぞく。すぐに、その笑みはぎこちなく強張った。

 食事は質素な一汁三菜。

 肉はなく、野菜や豆、根菜だ。

 いわゆる精進料理。

 これで身の内にある淀みを一掃するのが目的の食事。

 体の淀みを減らすことで、異能の力が高まるのは有名な話だ。

「では……」

 すぐに立ち去ろうとする女官を、香は呼び止める。

「待って。これ、何かの間違いなんじゃないの?」

「いえ、こちらをお持ちするよう言われておりますので」

「でもこれはどう見ても……私たちは仙人じゃないんだから……」

「私どもには分かりかねます。では失礼いたします」

 女官たちはあくまで事務的に対応して部屋を出ていく。

「なんなのよ、女官の分際! こっちは貴族よっ!?」

 すぐに香は眉間にしわを刻んで、素の表情になる。

(こうして傍から見てると、香って意外に面白いわね)

「なによこれ! こんなの食べろっての!? お肉は!? 魚は!? こんな質素な食事で我慢しろっていうの!? 私を誰だと思ってるの……!?」

「……どうでもいいけど暴れないで。埃が立つわ」

「ふん!」

 香は思いっきり御膳を蹴り上げた。

 御膳が引っ繰り返り、板の間を汚す。

(……どうしようもないわね)

 物音に兵士たちが慌てて部屋に入ってくると、香がすかさず猫なで声を出す。

「あら、駄目じゃない。お姉様。いくら実家とは違って質素な食事だからってそんな怒りにまかせて御膳をひっくり返すなんて……」

「あ、新しい食事を持って来るよう頼みます」

 兵士たちもさすがに困惑の表情を浮かべつつ引っ込んだ。

 香は舌打ちをして、寝台に横になる。

「食べないの?」

「そんなもん、まともな食べ物じゃないわよ。馬鹿らしいっ」

 雨月は香の分の夕餉を食べることにした。

(さすがは宮廷の料理人が作ったものね。確かに質素で味気ないけど、どれもこれも上品だわ)

 父が亡くなってから雨月があの家で食べたどんな料理よりも上等だった。

 結局、香は夕餉に一切手を付けなかった。

 雨月はありがたく、二人分夕飯を頂くことにした。

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