第1話
温かな日射しが木漏れ日となって大地を彩る。
高い空に浮かんだ白い雲が、ゆっくりと風に流されていく。
鏡雨月は吹き付ける風に、腰まで伸ばした黒髪を押さえる。
彼女の蜜色がかった瞳が、日射しを受けて橙色に輝く。
(良い天気……)
雨月は、風に揺れる野草を見ながら山道を歩いていた。
火傷用のキリ、解熱に効き目があるタズ、咳止めのチガヤ。
時折足を止めては野草の葉や茎を眺めるその表情は、あまり優れない。
(やっぱり植物の生育が良くない。草だけじゃない。樹木からも活力が失われてる……。雨も例年通りに降っているはずなのに……)
草木の生育状況だけではない。
山を登る最中にも気付いたのだが、大地がまるで日照りにでもあったみたいに、からからに渇いて、ひび割れていた。
川の水量も目に見えて減っている。
(青龍様に何かがあったということ?)
青龍様。それは雨月の住まう、ここ、青龍国の王である。
この大陸の東西南北にそれぞれ国が存在していた。
東方に青龍国、西方に白虎国、南方に朱雀国、北方に玄武国。
それぞれの国が、青龍、白虎、朱雀、玄武という神々を祭神として祀り、王はその神々から力を与えられ、現人神――人の形を取った神として、国を統治している。
統治というのは政に加え、王が健在であることで、その力によりそれぞれの国の自然の調和が保つ、ということ。
雨月が見た光景は、調和が崩れていることを示している。
しかし仮に王が病にかかっとしても宮廷にはすぐれた治癒術士たちが侍医として存在しているはず。
(一体何が起こって……)
雨月は王のことを考え、胸が苦しくなるくらい締め付けられる。
なぜなら雨月にとって当代の青龍王はただ仰ぎ見るだけの存在ではなかったから。
(……そもそも今の私は、あの御方に近づくことありえないことなんだから)
雨月は山を下りていった。
※
雨月がたどりついたのは、山の麓にある小さな集落。
「あ! 治癒術士様だ!」
庭先で放し飼いの鶏を追いかけて遊んでいた子どもが気付き、声をあげた。
子どもたちがわらわらと集まってくる。
雨月はにこりと微笑み、子どもたちの頭を撫でた。
「治癒術士様! 一緒に遊ぼう!」
「これ、綺麗でしょ! 山で拾ったんだぁ」
「これこれお前たち。困らせてはいけないよ」
村長に言われ、子どもたちは「はーい」と後ろ髪を引かれる顔をしつつも、大人しく離れた。
「村長様、こんにちは。ご無沙汰しております」
ヤギのような白ヒゲをたくわえた村長に、雨月は頭を下げた。
「治癒術士様。よくぞ来てくださりました」
「村長まで……。私は治癒術士ではりません。ただの薬師です」
「いやいや、治癒術を受けられぬほどに貧しいこの村にとって、あなたは正真正銘、立派な治癒術士様でございます」
曖昧に微笑んだ雨月は「では、患者様のところへ」と促す。
「おお、そうでしたな。どうぞこちらでございます」
案内された家の中には、中年男性と、子どもが二人顔を赤くして、寝こんでいた。
看病疲れした女性が、雨月を見て、「あぁ、治癒術士様、どうか夫と子どもを治してください……」とすがるような眼差しを向けてきた。
まずは何が起こったかを聞き、それから男性と二人の子どもの触診を行う。
のどの具合や、胸に耳を当てて呼吸の具合を調べていく。
「治癒術士様、いかがでしょうか?」
「安心してください。風邪をこじらせているだけです」
「ですが、治癒術士様が煎じてくださった薬を飲ませたんですが」
「何を飲ませたんですか?」
「熱を下げる薬です」
「きっと、飲ませるべきではなかったんだと思います」
「え、でも熱が……」
「それは高熱でしたか?」
「こ、高熱というほどでは。ただ顔が赤くなってぼんやりしていて……」
「そういう時には栄養のあるものを食べさせて眠っておくのが一番なんです。熱は無闇に出ているのではなく、身体が病気と戦っている証拠なんです。ですからすぐに解熱してしまうと、人が本来持つ病気と戦う力を奪ってしまったりするんです」
「あぁ、そんな」
「大丈夫です。十分対処できます」
「ありがとうございます……っ」
「ご家族に持病はございますか?」
「いいえ、大丈夫です」
「隣の部屋を借りますね」
あてがわれた部屋で抱えていた薬箱を開け、柔らかな布を敷く。
そこへ去年取って乾燥させていた薬草を出す。
葉っぱや茎、根、と部位ごとに分けて並べていった。
それから小型の石臼で細かく砕き、混ぜ合わせていく。
それらを個別に包装して、女性に渡す。
「これを食後に飲ませて下さい。お子さんは何も食べたがらないでしょうが、栄養をつけなければそもそも病気に勝てませんから、少しでもいいので食べさせて下さい」
「分かりました。ありがとうございます」
「そこれでもまだ治りが悪いようなら、すぐに連絡をください」
「ありがとうございます……っ」
女性に見送られ家を出ると、村長から深々と頭を下げられた。
「今回もありがとうございます。こちら、雨月様にとっては大したものではないとは思いますが……どうぞ、山菜でございます」
「ありがとうございます」
雨月は笑顔で受け取る。
以前は何度もいらないと辞退しようとしたのだが、どうしてもと言われて、受け取った。
それからは薬の代金の代わりに、と山菜をたくさんもらうことになったのだ。
山菜を薬箱に入れ、頭を下げて村を出る。
(治癒術士様、か……。こういう何でもない村こそ助けるべきなのに)
この大陸には昔より貴族と呼ばれる人々が存在している。
彼らに共通するのは、異能遣いだということ。
能力は戦いに特化していたり、民政に向いていたりと様々だ。
そして治癒術士もそんな異能の一つ。
死に近づきすぎていないかぎり、あらゆる病や怪我を治療することができる。
しかしその素晴らしい力の恩恵を誰もが受けられる訳ではなかった。
その恩恵を受け入れられるのは王や貴族はもちろんとして、庶民では力を持つ商人や大きな村や町の長など、異能の対価に大金を払える人々に限られる。
今、雨月が後にしたような日々の生活を無事に過ごすのがやっとな小さな村ではとても対価は払えない。
雨月はそんな村に足を運んでは、薬草を煎じたものを渡して回っていた。
そんな雨月もまた治癒術士の家系に生まれた。
しかし雨月は治癒術を使うわけにはいかなかった。
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