第3話 憧れの騎士様

 リゼナが向かったのは王宮に併設してある王宮図書館だ。


 重厚感と歴史を感じさせる大きな扉は出入りがしやすいように開館から閉館までの間は右側の扉だけが常に開いた状態になっている。


 国中の貴重な本がこの図書館に収められていて本好きのリゼナには寝食を放置してでも居座っていたい魅力的な場所だ。


 すっかり顔見知りになった司書に会釈し、読みたかった本を選んで、窓際の日当たりの良い場所に陣取る。


 窓からは心地よい春の日差しが差し込み、心地よい。

 夏場の日差しは強すぎて本を読むのに邪魔になるが、春は良い。

 ずっとここで春の陽気を感じながら本を読んでいたいと思うほどだ。


 ふと、窓の外に視線を向けると騎士団の制服を纏った厳つい体格の男性が視界に飛び込んで来る。


 縦も横も大きく、制服の上からでも隆起した筋肉がよくわかり、リゼナは尻込みした。


 何となく、ああいう体格のいい男性は苦手だ。

 自分よりも圧倒的に強そうで乱暴そうな印象があるので少し怖い。


 騎士団の中でも特に恐ろしいのが五番隊長を務めるリム・ヴァイオレットという人物だ。


 噂に疎いリゼナの耳にも入るほどの有名人で、この国きっての危険人物だという。

 何が危険かといえば、彼は百人に一人しか生まれないと言われている男性の魔法使いだ。


 魔法使いは魔法使いからしか生まれず、そのほとんどが女児のみとされている。

 男児が生まれる割合は非常に低く、貴重な存在である。


 貴重な存在である上に、彼は金色の瞳を持つ魔法使いだ。

 金色の瞳は強力な魔力を持つ魔法使い達に現れるといわれており、実際にリム・ヴァイオレットも超強力な炎を操る魔法使いだ。


 貴重な男性の魔法使いであり、強力な魔力を持ち、攻撃性の高い能力を持つ彼は非常に喧嘩っ早く、問題解決のためには武力行使を厭わない凶暴で残忍な性格だと聞く。


 リム・ヴァイオレットの通り道には人が倒れ、不興を買ったその瞬間に地面に沈められ、恨みを買えば社会から消されるともっぱらの噂だ。


 騎士団でありながら、裏社会の顔ではないかと囁かれている超危険人物だ。


 会ったことはないが、きっと厳つい体格の粗暴な人に違いない。


 もちろん、みんなが乱暴な人だとは思っているわけじゃない。

 騎士団には職業柄、喧嘩っ早い人もいると聞くが、大体の人達は国を守る善人だ。


 リム・ヴァイオレットが特殊なのだ。

 きっと。


 リゼナは席について本を読み始める。

 今読んでいるのはちょっぴり怖いホラー小説でもっと簡略化されたものなら沢山出回っているが原作は数が少なく、書店を巡っても見つけることはできなかった。


 しかし、先日この図書館で発見することができて歓喜した。


 人気作なのでびっしりと貸し出された記録が残っている。


 リゼナは胸を高揚させながらページをめくった。


 タイトルは『白雪の赤い心臓』。


 実母に虐げられた主人公の白雪は両親の離婚を機に父親に引き取られた。

 再婚した父の後妻はとても美しく、優しく、実母に虐げられていた白雪に愛を教え、白雪を大切に育て、三人で幸せな生活を送っていた。


 美しく成長した白雪は沢山の男性から求婚されるようになり、結婚しようにも相手が多すぎて選べずにいた。


 しかしある日、父は事故で亡くなり、遺産は後妻である継母に渡ることを知った実母が乗り込んできて義母を刺し殺し、遺産を持って逃げてしまった。


 一人残された白雪は言い寄ってくる男達にこう言った。


『私の実母の心臓を持って来てくれた者と結婚するわ』


 多くの男達はその言葉に白雪に愛想をつかしましたが、七人の小人達だけは違った。


『結婚はしなくてもいい。だから、自分達とずっと一緒にいて欲しい』


 そう言って小人達は実母を探すが、実母はありふれた容姿なので何度も間違えてしまう。


 心臓を差し出せど、差し出せど、実母の心臓ではなく、白雪は落胆する。


 しかし、白雪は『諦めないで。あなた達なら見つけられるわ。心臓を持って来てくれたら私は一生、あなた達のものよ』と囁くのだ。


 大好きな継母を奪われた少女が小人を操り、復讐を果たそうとする物騒な物語なのだ。


 作者はベアトリーチェ・ド・ブロワという魔女で、彼女著書はどれも魅力的だ。

 彼女の作品は子供向けの絵本から残虐なホラー小説まで幅広く、その多彩な文才にも憧れと尊敬の念を抱かざるを得ない。


 リゼナは初めて手にしたのは『卵』という題の絵本だ。

 番の小人が卵を授かり、育てる話だが、とても心が温まり、優しい気持ちになれる物語なのだ。


 あの本を読んで、この人のファンになったのよね。

 本の裏表紙には作者であるベアトリーチェ・ド・ブロワの名前と彼女を象徴する白鳥の絵が描かれている。


 子供の頃の感動は今も覚えている。

 幼い日を懐かしみながら、リゼナは手元の本を捲った。


 この本のあらすじは頭に入っている。

 簡略化されたものは読んだことがあるが、物語をより細部まで味わうには原作が一番だ。


**********


 疲れてるのかしら?

  

 本を読んでいる最中に急に眩暈がして、リゼナは一度顔を上げて本から目を離した。


 ふと顔を上げた時、並んだ書架に寄りかかり、瞼を閉じたまま腕を組んで立っている人物に視線を奪われた。


 黒く艶やかな髪、色白の肌、瞼を縁どる睫毛は長い。

 すらりと背が高く、白い騎士団の制服が映えて見える。


 きゃあ―――!!


 リゼナは心の中で黄色い声を上げた。

 胸が大きく脈打ち、嬉しいような、逃げ出したいような気持に駆られる。


 リゼナはばっと勢いよく視線を本に戻した。


 また会えたわ!


 王宮内の警備の一環なのだろう。

 たまにこの図書館で見かける騎士様にリゼナは憧れていた。


 騎士団に知り合いもいないし、声を掛ける勇気はないが、こうしてちらりと顔が見れるだけでリゼナは幸せな気持ちになるのだ。


 どんな名前なのか、どんな声でどんな風に話して、女性に対してはどんな風に接するのだろうか。

 妄想だけが頭の中で広がって行く。


 しかし、あんなに素敵な人に恋人がいないはずがない。

 いなかったとしても自分では彼の隣に歩くことは不可能だ。


 せめて、この視力さえどうにかなれば……。


 そう思って徐に眼鏡を外した瞬間に視界がぼやけた。

 視界に入るもの全てが輪郭を失い、物と物の境目が消えて絵具と絵具を混ぜる過程にできる曖昧な状態になった。


 無理だ。何も見えないわ。


「随分と厚いレンズだね」


 頭の上から聞き覚えのない男性の声が降ってくる。

 顔を上げて声のする方を見た。


 何も見えない。

 側に誰かが立っているということしか分からないが、視覚は人間の形を保っていないのだ。

 自分のできる限界まで目を細めるが、おぼろげな形が多少は形を成すぐらいで、気を緩めるとすぐに形は崩れた。


「…………眼鏡かければ?」


 あぁ、そうだったわ。


 リゼナは急いで眼鏡をかけようとしたが、眼鏡との距離感を間違えたようで指の先で机の端に飛ばしてしまう。


「あぁ!」


 慌てて眼鏡を取り、レンズに傷がないことを確認してから眼鏡をかける。


 一体、誰かしら?


 聞き覚えのない声だし、そもそも男性の知り合いがほぼいないリゼナにとって男性から声をかけられることは極々稀だ。


 しかし、眼鏡をかけて振り返った時にはもう誰もいなかった。


 そしてすぐそこの書架に立っていた憧れの騎士様の姿もない。


「もしかして……」


 私に声をかけたのは騎士様だったの⁉

 何で、もっと早く眼鏡をかけなかったのよ! 私!


 自分で自分を責めたくなるが、声を掛けられたところで『随分と厚いレンズだね』なんて言われたのだから、あまり楽しい会話もできそうにない。


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