現在

 ※※※※

 サクラは一杯目こそカクテルを飲んだが、二杯目からはビールを勢いよく飲んでいた。

「普通さ、一杯目ビールで次からカクテルとかじゃない?」

 私が茶化すように言うと、サクラはバツが悪そうに答えた。

「やっぱりせっかくこの格好解禁したんだし、可愛いもの飲みたかったっていうか」

「ビール一気飲みするギャルもカッコいいと思うけど」

「可愛いって見られたかったの!」

「でも一杯目だけでやめたんだ」

「自分に正直に、自由に生きるって決めたからね」

 そう言って、また勢いよくビールを飲み干した。

「でも、東京行ったからって本当に自由になれるかなぁ。東京も人が多い分偏見も多そうだけど」

 私はちょっとだけ意地悪を言う。サクラは笑って返した。

「そうだよね。でもここには離れたい人がいるからさ」

 お父さんとはやっぱり険悪のままらしい。サクラはアンニュイな顔でエクステの髪をいじっていた。

 

 色んな話をした。中学生の頃の事、高校生の頃の事、大学生の頃の事。でも、あの日のエッチの事と私が手紙を破り捨てた日のことは、お互いに口に出さないようにしていた。


 サクラは酔ってほんのり頬が赤く染まってきた。

「今チラッと外見たら、吹雪止んでるみたいだったよ。そろそろ店出ようか」

 サクラに促されて私は席を立った。

「この後どうする?」

「うーん、駅でも行く?」

「何しに?」

「明日のサクラのお見送りの予行練習、的な」

 私の返事にサクラはカラカラと笑った。


 終電もとっくに行ってしまい、もうすぐ十二時になりそうだというのに、駅には思ったよりも人がいた。

 駅前にある、林檎を持った謎の男女の銅像の前までくると、ふとサクラは足を止めた。手袋を脱ぎ、銅像に積もった雪を手に取って握った。

「冷たくない?」

「冷たい。手が凍りそう。てか全身寒い」

「臍出してるからお腹痛くなりそうだよね。それにサクラ網タイツじゃん。脚寒くない?」

「実は、厚い肌色タイツの上に網タイツ履いてるんだ。だから脚は案外大丈夫」

 自慢気にサクラは脚を見せてくる。サクラのお父さんが馬鹿にしていた筋肉質の脚は、確かに生足では無さそうだ。

「ギャルが生足じゃないのってダサくない?」

「ギャル初心者だからそこは許してほしい」

 そう言いながら、サクラはパンパンと脚を叩いてみせた。

「寒いからどっかに入ろうよ。コンビニでコーヒーでも買おう」

 私がコンビニに向かおうとすると、サクラは急に真剣な顔になった。そして、言ったのだ。

「私、は」

「私は?」

「私、は、篠田がずっと親友でいてくれて良かったと思ってるよ」

「……は?」

「えっと、いやだから、私は……」

 私はサクラに近づくと、その口を勢いよく手で塞いだ。モゴ、という息が暖かくて、そしてすぐに冷たくなった。

「私とか、言わないで」

「篠田……?」

 不思議そうな顔で私を見つめるサクラの目から必死で心を逸らす。


 ああ嫌だ。あの日、サクラの目の前で手紙を破ってみせたあの時に、ちゃんと仕舞えなかったから。ぐちゃぐちゃに詰め込んで無理やり蓋をした気持ちが今になって溢れ出る。その一人称を聞いてしまったら、やっぱり堪えられなくて。


「嫌だ。嫌だ。やっぱり嫌だ。佐倉が女の人になるのは嫌だ」

 駄々をこねるように私は首を振りながら叫ぶ。佐倉は、そんな私にゆっくりと言い聞かせるように言った。

「女の人に『なる』んじゃなくて、私は初めから女だったんだよ」

「私、なんて言わないで!」

 私はイヤイヤと首を振る。

「佐倉は女じゃない。男だよ。綺麗な顔してるけど、喉仏あるし、肩幅広いし、私、佐倉のおちんちんだって見たし!」

「ちょっ、そんな単語大きい声で言わないで」

 佐倉は慌てたように、私をなだめだした。

「ほら、落ち着いてよ。なんか開いてるお店探して食べに行こう。寒いし、ね?」

「似合わない。佐倉にスカートなんか似合わない!ガタイがいいんだもん。顔だって、メイク浮いてるもん。佐倉は男の人の顔なんだよ」

 私のその言葉を聞いた佐倉は、明らかにショックを受けた表情になった。

 言ってはいけない言葉なのはわかっていた。特に、ずっと理解者を気取っていた私が言ってはいけなかった。

 でも止まらない。一度漏れ出した気持ちは溶け出した雪のようで、二度と結晶には戻らない。

「そっか。そりゃそうか。正直な意見ありがたいよ」

 佐倉は冷静な声で優しく言う。

 顔はうつむいていて、多分泣きそうな顔をしていたんじゃないかと思う。

「篠田は、まだ俺の事好き?」

 突然の質問に私は動揺した。でも答えは一つだ。

「好き」

「そうか」

 短く頷くと、佐倉は私を抱きしめてきた。

 冷たい身体だった。

 どこからともなく酔っぱらいの野次馬がフゥーとか、百合じゃん、とか声を発した。佐倉はそんな野次が聞こえていないようで、そのまま抱きしめたまま、私の耳に口を寄せた。そんな場合じゃないのにほんのり濡れてしまう自分の性器が、情けなくて悔しくて恥ずかしい。

「俺はさ、本当に篠田がずっと親友でいてくれて良かったと思ってるよ。でもさ、篠田が俺の事好きなのもずっと分かってたからそれはキツかった」

 キツかった。その言葉に私の心が凍え出した。

「篠田はさ、俺と離れたほうがいいよ。俺も篠田と離れたい」

 離れたいと言いながらも、佐倉は私のことを離そうとはしなかった。


 私の夢は、佐倉と結婚する事だ。

 あの日、佐倉と裸で抱き合った日。佐倉は女の子は無理だと言っていたけど、もしかしたらもっと年を取ったら大丈夫になるかもしれない。なんやかんやで周りから結婚はまだかなんて急かされれば、私と結婚してくれるかもしれない。気持ち悪くは無いって言ってたし、うまく行けば子供だって作れるかもしれない。

 それは自分勝手な夢想なのはわかっていたけど。それでも。


 佐倉の身体がゆっくりと離れた。

 時間が十二時を過ぎている事に、私は気づかなかった。

 雪が再度降ってきた。一度止んだのにまた大吹雪で。でもそれはこの街では良くあることで。

 佐倉が捨てるこの街に、明日がやってきた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

別れの日に、この街ではサクラが咲かない りりぃこ @ririiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ