過去

 ※※※※

 地元の大学の附属中学校。そこで私は初めてサクラと出逢った。

 サクラは両親とも立派な人で、特にお父さんが議員だかでとても厳しい人だと噂があった。

 サクラは厳しい教育の賜物で、成績はいつも優秀、部活でもそれなりの成績を残し、制服を基本通りに着こなし、三年生の時には生徒会長までこなす、まさに絵に描いたような優等生だった。

 そして、それとは別に、私の目にはずっとサクラは魅力的な人に映っていた。

 同級生よりも少し大人びた表情をしていたサクラ。運動部なのに白い肌とサラサラの髪の毛。優等生なのに、またに先生に意地悪な質問をする時の子供っぽい表情。私はサクラに激しく憧れていた。そして、頑張って頑張って、サクラの親友の席を獲得した。それはとても誇らしくて、私はいつでもサクラの理解者であろうと決意していた。


 そんなサクラが、ある日顔を真っ赤に腫らして学校に来たことがあった。

 転んだ、そう説明したサクラに、学校はそれ以上何も聞かなかった。でも私はしつこく聞いた。転んだだけでこんなになるわけがない、誰がやったんだ、と激しく問い詰めたのだ。

「マイクロミニスカートと、臍ピアス」

 ようやく話してくれたのは、サクラの内に秘めた願望だった。

「こっそり買って、隠しておいたマイクロミニスカートと、ピンクのおっきい臍ピアス。それが親父に見つかって、殴られた」

「……それで?」

 それで私のサクラの顔にこんな腫れを創ったというのか!?私はサクラのお父さんに殺意が湧いた。それはともかく、一旦スカートの件についてたずねなければいけない。

「何でスカート隠してたの?」

「そりゃ隠すでしょ。ちょっと屈めばパンツが見えちゃいそうな、ゴリゴリのギャルブランドだよ」

「……そういうの好きなの?」

「ドン引きした?」

 サクラは私を寂しそうに見つめた。何かに縋り付くような目線は私の体を締め付けた。

 私は考えるより先に首を勢いよく横に振った。

「全然。意外に似合うかもしれない」

「そう?かな」

 サクラは少し笑ってくれた。

「親父は『そんな筋肉質の脚をスカートから見せびらかして歩く気か?恥ずかしい』って馬鹿にしてきたよ」

 確かに、サクラは部活で運動をしているせいか、かなりガッシリした脚をしている。しかしその脚は決してバカにされるような代物ではないはずだ。

「そんな事ない。私はサクラの脚キレイだと思う」

 私は必死だった。

 正直、びっくりはした。でもその時は、サクラの理解者にならなければと必死だった。

「ピアスって、臍にピアス開けたいの?」

「ううん。単純に臍ピ、可愛くてつい買っちゃっただけ。さすがに今は開ける勇気無いよ。でも一応ピアッサーも勢いで買っちゃったし、いつかは開けたいなあ」

 そう言って笑うサクラは本当に可愛かった。

 可愛くて可愛くて、その時はそのサクラの抱えている悩みの重さなんて、正直どうでも良かったのだ。


 中学卒業後、成績優秀なサクラは勿論、地元で一番の進学校へ行った。そんなサクラを必死で追って、私も同じ高校へなんとか進学した。

 サクラは高校でも上位の成績だった。先生達は、サクラに県外の偏差値の高い大学を薦めた。しかしサクラ本人は、地元の国立大学への進学を希望した。

「県外の大学に行く意味は無いって。地元の大学でも十分だって親父が言い張るんだ」

 サクラは諦めたような顔でそう言っていた。

 私はサクラのお父さんのことは嫌いだったけど、このときばかりは感謝した。私の成績はサクラ程良くないし、家もそこまで裕福ではない。サクラが県外の有名大学なんて行ったら、離れ離れになってしまう事が確実だ。

 そんなわけで、地元の国立大学なら何とか頑張る、と私は勉強に励んだ。そして、学部は違うものの、サクラと同じ大学に進学することが出来たのだ。


「さすがに大学卒業したら、自由に生きたい」

 ある日、大学の学食で昼食を食べながら、サクラが真面目な顔で言った。

 私はサクラの決意をあまり理解できていなかった。

「え?大学である程度自由にできてないの?服装だって制服とかじゃないし、ピアスでもなんでも開け放題だし」

「そりゃ校則は無いけどさ。私が大学内を臍ピつけてミニスカ履いて歩くことを親父が許すと思う?どっかでバレちゃったらもう外に出してもらえないね」

 サクラは苦笑いした。

「大学卒業しても、自由にするなんて、絶対にだめだって言われてるんだ。あんな恥ずかしい格好で外を歩くような馬鹿になるつもりなのかって」

「恥ずかしい格好って……」

 さすがに呆れた。この時代に、あまりにも考えが古すぎやしないだろうか。そんな人が政治家なんてやってていいのだろうか。

「ま、そんなわけで、大学生活四年間かけて、親父を説得するつもり。もう大人だしね」

 明るい顔で話すサクラに、私は頷いてみせた。

「そっか。頑張れ」

 そう、まだその時は、私はサクラの理解者であろうとしていたのだった。


 大学生になると、たくさんの誘惑がやってくる。私は勿論、サクラにも色んなお誘いが来ていた。

 サクラはメイクをしない。

 それでもサクラは、メイクをして着飾っている誰よりも美しかった。人間の美を独り占めしているかのような整った造形は、大学の友人たちからも人気があり、サクラの恋人になりたいと言う人はたくさんいたし、サクラ目当てに合コンだって沢山開催された。

 私は落ち着かなかった。サクラに恋人が出来たらどうしよう。サクラに近づく者は何としてでも排除しなくては。

 どんな時でも私がサクラの一番でありたかった。親友で、理解者で……。いや違う。ずっと目を逸らしてきたけど、ずっとそうだったのだ。多分中学の頃から、初めて会った時から。

 私はサクラを、性愛の対象として好きなのだ。その想いが今になって、サクラを誰かに取られるんじゃないかという焦りから、顕著に現れてきてしまった。

 勿論それは、サクラに対する裏切りだと確信していた。

 ずっと親友のふりをして、理解者のふりをして。理解者になろうとしたのはサクラの近くにいるため。サクラの近くにいたかったのは、サクラに欲情していたからなんだから。


 黙っているつもりだった。でも私は別にそんなに意思が強いわけではなかったので、あっさりと、お酒の力を借りて言ってしまったのだ。

「私、サクラの事が好きなの」

 当たり前だけど、サクラは困った顔をしてみせた。

「好きっていうのは……」

「性欲のある『すき』。エッチもしたい」

「そっかぁ」

 サクラは明らかに困っていたけど、私に優しく答えてくれた。

「ごめんね。性の対象、女の子じゃないと思う」

「わかってる、でも」

 ちょっと試してくれないか、と私は食い下がった。もしかしたら試してみたらイケるかもしれないじゃん。

 サクラにも思うところがあったのか、私とのエッチに了承してくれた。


 その日、私達は古いラブホテルの一室で、お互いに裸になって、そっと抱きしめあって、キスをした。

 私はキスしただけて、溺れているように息苦しくなって身体中が中から焼かれているように熱くなった。抱きしめられただけで、下半身がジンワリと濡れた。

 でも、サクラの方は一切反応が無かった。性器もどうともならなかったし、キスした後もちょっと首をかしげて、「どうかな?」と困ったように笑っただけだった。

「乳首、舐めてみてもいい?」

 私はサクラから了承を取ると、そっとその大きくない胸に顔を寄せた。

 どうにかしたかった。私だけが反応しているのが悔しくて悲しくて、少しでも、生理現象でもなんでもいいから反応させたかった。

 小さな乳首は舌で転がすとすぐに固くなった。でもそれも、サクラは少しくすぐったがるだけで、徒労に終わった。

「そこって、実際感じるものなのかな?あれってAVが大袈裟なだけじゃなくて?」

 サクラは困ったように笑ってそう言った。

 大袈裟じゃないと思う。だって、もし私がサクラにされたら、多分快楽に溺れて死ぬ。

 でも、そんな事声に出して言ったら、やっぱり私の気持ちの一方通行さに打ちひしがれてしまいそうで、「確かにね」と笑って返すしか無かった。

 性器も触らせて貰えないかと言おうとしたが、やめた。これで触っても反応しなかったらもう私は立ち直れない。

「ごめんね、やっぱり駄目だったね」

 申し訳無さそうなサクラに、私は首を振った。

「ううん。むしろこっちこそ付き合わせてごめん。気持ち悪くなかった?」

「気持ち悪くはなかったよ。でも、やっぱり自分は女の子とは無理かなって確信しちゃったかも」

 サクラはそう言いながらも、私に悪いと思ったのか、再度キスをしてくれた。

「無理しないで。女の子無理なんでしょ」

 私はちょっと不貞腐れたように言うと、サクラは少しだけ笑った。

「そうだね。でも気持ちよくしてあげたい気持ちはあるよ」

 そう言って、サクラはキスの場所を、口から耳へ首へと移動させ、唾液を含ませながら私の身体を舐めてくれた。ぴちゃり、という魅惑の音は、私の臍の下に響いてきて、脳味噌を湧き立たさせた。私がやったのと同じように乳首を舌で転がしててきたので、案の定私は溺れて息ができなくなって、そしてすぐにこっそりと達した。

 サクラにバレないように息を整えて、最後に私からキスをして、その中途半端なエッチを終えた。

 この日の事は、私の人生の中で、最高に嬉しくて、最高に屈辱的な出来事だった。


 それから私達は、ごく普通の親友同士に戻った。

 あの日の事は無かったかのように、普通に話をして、普通に遊んで。

 サクラはモテたけど、恋人を作ることはしなかった。作るつもりも無かったようだ。それは少しだけ私をホッとさせた。


 そうしているうちに、大学も最終学年となった。

 サクラは県庁の試験に受かり、私は地元の信用金庫に就職を決めていた。

 転勤もあるし、多少今よりはサクラと離れることもあるだろうけど、同じ県内就職だし、休みの日などはいくらでも会いに行くつもりだった。

 そのつもりだったのだ。


 ある日、私達は大学の空き教室で一緒に卒論に励んでいた。

 ふと、サクラは卒論のための資料を読みながら、私に素っ気なく言ったのだ。

「大学卒業したら、東京に行く」

「……は」

「東京に行く」

 サクラの口調はサラッとしたものだったが、顔は緊張で強張っていた。

「東京?何で?県庁に就職決まったんじゃないの」

「蹴った」

 サクラは短く答えた。

「県庁の試験受けたのは、アリバイづくりみたいなもん。東京の会社、何個かウェブ面談で受けてて。受かったから春からはそこに就職する」

「いつの間に」

 私は愕然とした。

 サクラが県外就職をする事を考えなかった訳では無い。あんなにお父さんから自由になりたがってたサクラだ。勿論都会を視野に入れてはいるだろうと思っていた。

 でも実際は県庁を受けていたし、県外へ就活しに行っている様子も無かったので、自由になるのはもう少しあとにしたのだろうと勝手に思っていた。

「ごめんね、黙ってて」

 サクラは、愕然とした私の顔を見て、申し訳無さそうに小さく頭を下げた。

「言ってくれても良かったのに」

「うん。そうだよね。でも、絶対に親父にギリギリまでバレないようにしたかったから。念には念を入れて、誰にも言わないでこっそり動いてたんだ」

 言い訳するようにサクラは言った。

 私は頭が真っ白になった。目の前にあるノートパソコンで何かを勢いよく打ちながら落ち着こうとしたが、全く落ち着けない。むしろどんどん手が震えていく。

「就職、東京」

 ボソリと私は呟いてみた。遊びに行くのではない。就職する。生活拠点をそこにする。帰ってくる?いや、サクラは多分帰らない。帰らないからこそ……。

 私はパソコンを閉じた。

 そして、立ち上がってサクラの側に身体を寄せた。

「嫌だ」

 こぼれ落ちたのは、本音だった。

 嫌だ。絶対に嫌だ。

 サクラは、優しい顔をして私の顔を撫でた。

「遊びに来てよ。東京」

 遊びに行く?そんな一時的な事で満たされるわけない。サクラが東京に行っちゃったら、他の親友ができる。理解者もできる。私の事をいつか忘れる。だって多分、サクラはこの街に戻ってこない。

 私はパソコンや資料を片付けると、何も言わずにサクラに背を向けてその場を立ち去った。

 私には言えない。頑張ってね、とか。東京では自由に出来たらいいね、とか。

 なのに私には、決まっている安定した就職先を今更蹴って、サクラを追うほどの度胸も無いのだ。

 そんな私が考えた事といえば、サクラの東京行きをどうやって止めさせるかということだった。


 サクラのお父さんは知っているのだろうか。知っていて許したのだろうか。いや、サクラのお父さんはサクラを手放そうとはしないはずだ。私にはわかる。だからこそ私にまでギリギリまで秘密にしてたのだ。どこから漏れるかわからないから。

 だとしたら、今私に教えたのはサクラの落ち度になるだろう。

 私はサクラのお父さんに東京行きをチクる。そしてお父さんに邪魔して貰う。


 サクラのお父さんは忙しい。直接会うことは難しい。私は手紙を書くことにした。

 不審な手紙に思われないようにあえて名前はちゃんと書く。それで私がチクった事をサクラにバレても構わない。サクラが離れていかないことがその時の私にとって何よりも一番重要な事だった。

 自分がサクラの友人である事、サクラが県庁の内定を蹴ったこと、東京での就職を決めていること。ああ、就職先の具体的な社名聞けば良かった。そうすればもっと確実に邪魔出来るのに。

 私は何度も書き直した。どうやったら信用してもらえるか。どうやったらお父さんを動かせるか、どうやったら……。

 書き直した手紙を、ふと我に返って破り捨てた。

 しかし悪夢を見て、サクラが知らない人とエッチをする夢を見て、再度手紙を書く。

 しかし一緒にギャル雑誌を見て笑っていた頃や、ピアスをつけて歩く女子高生を羨ましそうに見つめていたあのサクラの切なげな表情を思い出しては、また書いた手紙を破る。

 何度も何度も繰り返した。

 その間にも、サクラから何度も連絡は来ていたが、私は無視をした。


 何度目かの書き直しをした手紙を持って、郵便局へ向かおうと家を出たその日、とうとう私を訪ねてきたサクラに遭遇した。

「連絡無視しないでよ」

 サクラは怒った顔だった。

「だって」

 私はサクラの顔をまともに見ることが出来なかった。だってカバンにはサクラの東京行きを止めるための手紙が入っているのだ。

「黙ってたのは謝る。でも春になったらここを離れちゃうから。大事な親友と喧嘩したまま離れたくないよ」

 そう言ってサクラは泣きそうな顔をした。

 狡い。なんて狡いんだ。

 泣きたいのはこっちなのに、サクラの泣き顔を見たら、そして大事な親友なんて言われたら。

 私はサクラにむけて、カバンから手紙を取り出した。

「な、何?」

「これ、私がサクラのお父さんに書いた手紙。サクラの東京行きをチクる手紙」

「は?」

 真っ青な顔になるサクラの目の前で、私は手紙を勢いよく真っ二つに切り裂いた。

「ごめん。書かない。もう二度と書かない」

 二つに切り裂いた手紙を更に細切れにしていく。小雪の如く細かくなった手紙を放り投げて、私はサクラにしがみついた。

「ごめん、私もサクラが大事な親友だから」

 だからいなくならないで。私の側にいて。私はそんな本音を勢いよく蓋で潰して必死で別の言葉を引きずり出した。

「応援するから。サクラが自由に生きられるように、応援する。絶対に」

 サクラは私の言葉を聞くと、しがみついた私の手を優しく掴んだ。

「ありがとう。ごめん」


 ごめん。その言葉は何に対して言っていたのか、未だにわからないのだ。


 そうして、私達は残りの大学生活を、卒論や思い出づくりに費やすごく普通の若者として過ごした。その間にもサクラは、東京行きの準備を着々と進めていった。

 ちなみにあの後、私が何もしなくてもお父さんにはすぐにバレたらしい。

 この街の守秘義務の脆さ故に、サクラが県庁を蹴ったことなど、すぐに議員のお父さんの耳に入る。

 案の定サクラはお父さんと大喧嘩した。しかし中学生の頃とは違って大人で賢くなっていたサクラはすぐに協力的な親族のところへ身を隠し、更に、自分の事でいくらでもお父さんを炎上させることができるのだと自虐的に脅して、黙らせることに成功したのだ。


 そうして今日、卒業式を迎えた。


 サクラは、この街では最後まで優等生でいることをお父さんと約束していた。

 だから、ちゃんと卒業式にはきっちりとしたスーツで、出席した。

 私は振り袖を着て出席していたが、背筋をしっかりと伸ばしてビシッとスーツを着たサクラの方が、よっぽど綺麗だったと思う。


 卒業式の後の団体での飲みの後、二人きりで最後に飲もうと約束した。

 明日には、サクラはこの街を出ていく。その前に二人きりで沢山話をしたかった。

 そうして夜遅くの待ち合わせ、雪の吹き荒れる街で、私は生まれ変わったサクラを初めて見ることになったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る