ブリキの姫とカカシの王子

最終章

第1話 ブリキの音

 錆びたブリキが、年老いた猫のような鳴き声をあげた。


 左膝ひだりひざの駆動部の調子がわるい。一ヵ月ほど前に替えたばかりだというのに、反応はにぶいし、妙な音が鳴る。まさか本当に年老いた猫が中に入って動かしているんではないかと、メアリーは半分本気で疑っていた。



「くそ、部品屋ギアジャンめ。不良品つかませやがって」



 メアリーはかるく叩いて膝を黙らせる。サクラタウンで義体持ちはさほど珍しくない。ただ、義体持ちは静かに道の端を歩くのがこの町の暗黙のルールだ。悪目立ちして良いことなんて何もない。


 小柄な少女。そう傍目はためから判断するのは難しいだろう。薄汚れた灰色のコートにすっぽりと身を包み、フードを目深にかぶっている。いや、仮にフードを被っていなかったとしても彼女の容姿を気にかける者などいないだろうが。


 貧民街の住人スラムダラーなど。


 別に印がついているわけではないのに、貧民街の住人かどうかはすぐにわかる。隅を歩いている小汚い連中。彼らの多くからは油の臭いがただよい、鈍い機械音が聞こえてくる。メアリーもその例に漏れない。


 背中には大きな籠。貧民街の住人はこうして町のゴミを集める仕事をしている。やたらごついブーツで地面に大きな足跡をつけて、メアリーは今日も道の隅をのっそりと歩いていた。


 

「おい! 欠陥品ガラクタ! カチカチうっせぇんだよ! もっと静かに歩け!」


「……さーせん」



 ときおりこんな罵倒ばとう受ける。たいてい昼間っから酒を飲んだくれるおっさん。彼らもろくな仕事にありつけない底辺。そういう意味では貧民街の住人と変わらない。しかし、貧民街の住人よりも上だという自尊心を満たすために、こうしてたまにけなしてくる。こんなものは通り雨のようなもので、メアリーもいちいち取り合わない。


 メアリーは歩く。きぃきぃと鈍い音を鳴らしながらのっそりと進み、狭い脇道に入った。飲み屋の裏。店で出すのだろうか、そこにはたるが並ぶ。酒の甘ったるい匂いが充満しており、通るだけで酔いそうだ。そして、メアリーは左から三番目の樽に手をかける。


 中はから。ここからゴミを回収しようというわけではない。むしろ逆。メアリーは背負っていた籠から布袋ぬのぶくろを取り出して、どすんと樽の中に入れた。


 そのまま、メアリーは通り過ぎる。何事もなかったかのように。あまりに慣れた動きで誰も気に留める者はいない。


 路地裏を進むと男が一人、壁にもたれ煙草を吸っていた。小太りで姿勢がわるい。口元には無精ひげ。煙草の火が燃え移らないのだろうかと、メアリーはいつも思っていた。



「あんたが来るなんて珍しい」


「たまには運動もしないとな」


「荷物は入れたよ」


「おう、ご苦労」


「ただ次からは別の場所にしてくれ。この臭いは好きじゃない」


義体持ちブリキのくせに臭いだと? おまえにしちゃ、おもしろい冗談だ」


「……鼻は自前だよ」



 メアリーは鼻を一度すすって足を止める。こんなところで長話などしたくないのだが、彼が来ているのならば別だ。


 ネズミと呼ばれる男。メアリーの雇い主だ。それはゴミ収集業務の、ではない。それとは別の



「運び屋も板についてきたな」


「おかげさまで」


「今回はクローヴィア方面か?」


「そうだよ。だから、もう足が棒なの。話があるならさっさと済ましてくんない?」



 ネズミは煙をふぅーと吐いてから予想通りのことを告げた。



「次の仕事だ」


「ペース早くない?」


「いいことだろ。金が欲しくないのか?」


「危険な橋を渡っているんだ。数が多けりゃいいってわけじゃない」


「贅沢な奴だな。他にまわしてもいいんだぞ」


「……」



 そこでメアリーは間を置く。別に迷っているわけじゃない。仕事は受けるつもりだ。おそらく仕事を他にまわす意図はネズミにはない。なぜなら急な仕事であり、メアリーにしかできないことだろうから。そうでなければ、最初から他の部下に頼むだろう。


 運び屋。


 スペードランド王国の中にあるいくつもの家領かりょう。その領境を超えられない違法な品を運ぶ仕事。領境警備隊にみつかったら命はない。そんな仕事をするのは命知らずのバカか、金に困った貧乏人。とはいっても、雇い主の方もちゃんと運んでもらわないと困る。そうすると自然な話で、実績を積んだ運び屋にはこうして仕事が舞い込んでくる。


 一仕事終えたばかりのメアリーに頼むのだから、わりと急ぎの仕事に違いない。だとしたら、少し焦らして報酬を上げた方がいいと考えた。



「わかったよ。報酬ははずむ。これでいいだろ」


「りょーかい」



 平静を装いつつ、メアリーはコートの下でやったと拳を握った。



「荷物はいつもの方法でトカゲから受け取れ」


「急ぎなの?」


「まぁな。早くさばいちまいたいんだ」


「盗品か?」


「いつも言っているだろ。長生きしたかったら」


「はいはい、聞きませんよ。あたしはただ荷物を運ぶだけのブリキです」


「それでいい」



 にやりと笑ってから、ネズミはタバコを地面に捨て足の裏でつぶし、大通りの方へと足を向けた。メアリーの運んだ荷物を回収するのかと思えばそうでもないらしい。運動が聞いて呆れるとメアリーは捨てられたタバコを拾い上げ、籠に放り込んだ。



「はぁ、クソみてぇな人生だな」

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