第3話 永遠の輝き
とある平日の午後3時。
今日は雨か。これは早締めも考えていいな。人通りも多くはならないだろう。
湿気というのは厄介だ。宝石は無機物であっても、外気に敏感なものもある。ただ、そういったものは宝飾品に使われないことがほとんどだが、それを承知の上で使いたくなるものもあるから面倒だ。
空気とは、窒素・酸素・二酸化炭素を主成分とし、それ以外に微量な気体が含まれる。
この中で最も厄介なのは『酸素』である。それはなぜか。
酸素とは文字通り『酸化』させてしまうからだ。酸化してしまうと、元の石とは別物になってしまう。脆くなり、輝きを失い、石としての価値が無くなる。
それは何も空気だけではない。湿気、いわゆる水にだってしっかり酸素が含まれている。水をかけたら早く錆びるようになったというのは、酸素をぶっかけているからにすぎない。
なので、宝飾品の中には取扱い厳重注意なものがある。完全密閉し、窒素充填をする。これで酸化は防ぐことができる。
その類が、うちにもあることはあるが、扱いが面倒すぎて、少し後悔している。
チリチリン♪
おっ、お客様が0人じゃなかっただけ今日はラッキーかもしれない。
「いらっしゃいませ」
む。ずいぶん濡れているな。外はいつの間にか豪雨なんだろうか。
「あ、お客様お待ちください。こちらをどうぞ」
俺は慌ててタオルを差し出した。
「すみません。ありがとうございます。すぐそこで浴びちゃいまして……」
浴びた? 泥跳ねでも喰らってしまったということか? なんにせよ、その姿のまま店内に入るのは勘弁してもらいたい。
「そうでしたか、災難でしたね。では、雨除けでいらっしゃいますか?」
「い、いえ。指輪を見たくて来たんです」
「それは大変失礼いたしました。ご来店ありがとうございます。まずは落ち着きましょう」
とりあえず、身体を拭くのを手伝いながら、どうするのか考える。
びしょ濡れなためか、ちょっと興奮が過ぎるので、まずは冷静になってもらわねば。物を選ぶときに思考が散らかっていては、判断に差し支える。それと気になるのは服装だ。
なんというか警察官や警備員といった格好なのだが、そんな姿のお客様は初めてだ。こういう制服的なものは着替えるのではないだろうか。俺が職質受けているようで居心地が悪い。
身体を拭いて、椅子に座ってもらった。少し時間をかけた方がいいだろう。
サーバーから薄いコーヒーを入れて、お客様に差し出す。
「どうぞ。…コーヒーは大丈夫でしたか?」
しまった。先に聞いておくべきだった。ちょっと俺も引きずられている感があるな。
「あ、ありがとうございます。大丈夫です」
身体が暖まるまで営業はしない方がいいだろう。外の様子はあまり見えないが、やはり雨足は強くなっているようだ。
5分ほどすると、呼吸も落ちついてきた。濡れた衣類はまだ生乾きだが、冷えはだいぶ治まっただろう。
「ありがとうございました。もう大丈夫です」
「それは良かった。それで、当店にはどのようなご用向きで?」
「そ、そうでした……。実は結婚指輪を買いたいと思ってまして……」
「ほう。それはおめでとうございます」
「ありがとうございます。でもどんなものがいいかわからなくて……。とりあえずダイヤでいいんですかね?」
ピクッ。
来たな。
こういう、とりあえずテンプレの品を送っておけばいいという男性の多い事多い事。だが、それも答えの一つである。
もっというと、婚約指輪は給料の3倍が相場なんていう迷信を未だに信じ続けて、値段だけで指輪を選ぼうとする人もいたりする。
「お客様。そのような理由で相手に指輪を贈るのは賛成しかねます」
「えっ?」
「確かにエンゲージリングとはダイヤモンドの指輪が一般的でしょう。ですが、その意味を考えたことはありますか?」
「意味…ですか?」
「聞き覚えがあるかもしれませんが、『ダイヤモンドは永遠の輝き』というキャッチコピーがあります。これは販促のための誇張ではないのですよ」
「ダイヤモンドとは地球上でもっとも固い鉱物といわれます。ダイヤモンドに衝撃を与えようが傷つけようとしようが、相手の物質のほうが破壊されてしまいます。ならば薬剤で溶かしてしまえばいいと思っても、ダイヤモンドは極めて安定な鉱物なので、全く反応がありません。何をやっても元の形を変えられない。だから永遠の輝きといわれるのです」
「それが派生して、ダイヤモンドを相手に贈ることは、『ずっと変わらずに一緒にいたい』、『君と永遠の時を過ごしたい』という意味に捉えられるようになりました。ただ単に、宝石の王だから選ばれるということではないのです」
「……そうだったんですね」
「私はこういう時によく同じ話をするんですが、お客様がお相手の方にどのような想いを込めて贈るか、そこが一番重要だと思っています。ですから、漠然とダイヤにしましたでは気持ちが伝わらないと思ったのです」
「確かに。おっしゃる通りです…!」
「何か事情があって、急いておられるのでしたら選ぶこともできますが、こういうことはじっくり時間をかけ、事によってはお相手の方に相談するのもよろしいかと思います」
「彼女にですか? それじゃサプライズにならないんじゃ」
また始まった。なんというか、無駄に演出にこだわる男性が多いのも問題だ。別に驚かせることを否定はしないが、婚約指輪をサプライズで渡すのは良くない。嬉しいより困惑させる方が多いだろう。
結婚とは人生の分岐点ともいわれるように、ここが一世一代の勝負所として明後日の方向に先走ってしまう人はいるものだ。
俺たちはそんな暴走を止めて、正しい方向に導いてあげなければならない。
うちで手にした宝飾品で揉め事を起こすのは許さん。
「……お客様。エンゲージリングをサプライズで贈るのはやめたほうがよろしいかと」
「え? どうしてです?」
「そのような行為は、はっきり言って無意味です。エンゲージリングを贈るような間柄なら、正面から贈っても受け取ってくれます。逆に演出じみたことをすると、お相手にも気を遣わせてしまいますし、白けてしまうリスクもあります」
「もし、お相手の方が迷われていて、もう一押しほしいのでしたら、指輪ではなく別の方法がよろしいかと私は思います」
「そ、そうですね……。もう一度よく考えます。今日は帰りますね」
「はい。ご来店ありがとうございました」
ちょっと含んだものがありそうな顔で出て行かれたが、これで彼も、下手な意地を張らずに冷静になってくれたらいい。
まだ、雨は降っているな。外が暗くなるのがいつもより早い。
結局、彼が何の仕事をしているのか聞きそびれた。まあ、そんなことより大事なことを伝えられたから、今日のところはいいだろう。
幸せの道はひとりで敷かない方がいい。
ずっと同じ道を行くんだ。心ゆくまで話し合ったらいい。
俺はそう思う。
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