第2-2話

「それでは上着を拝見いたします。着たままで問題ありません」


 見たいのは袖口だから、脱ぐ必要はない。生地はブラウンで、今のボタンは虎の縞模様だった。割とオーソドックスだが、特にこだわらなければそんなものだろう。

 さてこのお客様、何の仕事か知らないがやたらとガタイがいい。服のサイズも大きいので、普通のボタンを目立たせるのは困難だ。ただ、ボタンが付けられそうなのはよかった。ボタンがないタイプもある。そうなるとより面倒だ。


「……非常に良いものでございますね」


「企業人たるもの、着るものにこだわるのは常識だからな」


 企業人か……。まあ、そうだろうな。安物では服というより、着ている本人の価値を下げているといってもいい。俺もその辺をわきまえて、安易な服装はしないものだ。


「しかし、サイズの関係上、ボタンが小さく見えますね。それを補うためにはボタンも大きくしなければいけません」


「む。確かに」


「だからといって、高価な宝石を取り付けるのはおすすめいたしません。宝石は大きいほどより高価ということはご存じかと思います。それを紛失しやすいアクセサリーに付けるのは避けるべきでしょう」


「だが、予算がないわけじゃないぞ?」


「それでもです。我々は宝石とは一生を共にされるものとしてお出しさせていただいています。ですから、一時の見栄えの為にお出しすることはおすすめしかねます。それに……」


「それに?」


「宝石にあえて保険をかける方もいらっしゃいます。これは宝飾品が財産と認められるためです。ですが、自己都合による紛失は対象外となるケースが多いのです。それに保険金が下りたからといって、同じ宝石は二度と戻ってきません。宝石は同じものが二つとない。そのことが価値を高める一因であるということも考慮いただければと思います」


「私は保険なんて掛けないぞ?」


「もちろん、そういう方は稀です。ですが、保険をかけようがかけまいが、ご自身で手に入れた宝石を失うことは悲しい事ですし、私もお出しした身として大変残念に思うことになります」


「あんたもなかなか変わっているな」


「おっしゃる通り、そうでないとこの仕事は務まりません」


「ははは、ならあんたに任せよう。言うからには考えがあるんだろう?」


「ご明察恐れ入ります。私がおすすめしますのは、こちらの石です」


 そう言って俺が置いたのは、大粒の黒くて丸い石だった。


「何だこれは? 宝石には見えないぞ?」


「確かにそうかもしれません。ですが私としましては、ボタンにダイヤモンドやエメラルドなどの宝石をあしらっても意味がないと思うのです」


「なぜ?」


「いわゆる透明な宝石には光を当てることに意味があります。ダイヤモンドは無色透明ですが、エメラルドやルビーなどは色付きの透明な宝石ですね」

「それらは宝石のための研磨によって、複雑な光の反射を生み、より魅力的な輝きと色味を引き出すのです。ですから、光を当てない宝石はその魅力を半減させているといってもいいでしょう」

「それゆえ、カフスボタンのような光が当たりにくい部分に付けるのは不適当と思います。ですから、こちらをお見せいたしました」

「これは色付きの石英で、石としては比較的ありふれたものです。ですが、こちらを見ていただくとわかりますように、黒地に青い一本線が入っています」


「そうだな」


「これは『ホークアイ』、『鷹目石』と呼ばれるものです。一見地味であまり主張のない中に強く鋭い目線を隠している。お客様にぴったりだと思いませんか、企業の?」


 ピクッとお客様の体が動き、少し顔が強張ったのが分かった。


「……どういう意味だね?」


「私は宝石鑑定士の資格を持っていまして、今まで数多くの宝石に接してきました。そしてその数だけお客様にも接してきたのです。ですから、お客様が企業人だという言葉に違和感を覚えただけのことです」


「……貴様! 俺を馬鹿にするのか……!」


「お待ちください。私はどんな方であれ、お客様を無下にすることはございません。この石を選んだことにも意味がございます」


「意味だと?」


「お客様がわざわざ企業人としてやってきたということは、そうでないことが表に出ることは良くない。ならば、安易に見栄えだけを気にして飾るのは悪手です」

「この石をもう一度ご覧ください。黒くて不透明で、あまり宝石に見えませんね? しかし、これも立派な宝石なのです」


 そう言って俺は、ホークアイにペンライトを当てた。


「こうして光を当てると、しっかりツヤがあって光を反射しているのが分かりますね? そして極めつけはこれです」


 ホークアイの青い筋の部分、いわゆる目の部分を中心にライトを左右に揺らしながら当てた。

 するとどうだろう。青い部分だけ光の反射する角度が異なっている。それはさながら暗闇で獲物を捕らえる獣のような眼だ。

 お客様は不思議そうに見入っている。これが宝石の恐ろしさである。誰でも聞いたことがある宝石なら特徴も知っていようが、名前も知らない石など、どう変化するのかわかるはずもない。そして、その意外性が大きいほど引き込まれてしまう。

 これは宝石とは言え、ありふれた石だ。しかし、今ここにいるお客様は、蛇に睨まれた蛙のように目が離せない。鷹の目に捕らわれたのだ。もうこの石はお客様にとって特別なものになっただろう。


「…お客様、この石がいくらなのかわかりますか?」


「え……? これほど不思議な石なんだ、50万くらいはするんじゃないか?」


「3,000円です」


「は?」


「先ほども申し上げましたが、これは石英というありふれた石です。ただ、色や効果がちょっと特殊というだけです。ですから、それほど高価な石ではありません」

「今、お客様が申しあげた50万という金額、それはお客様がそれだけの価値があると思ってしまった額です。ならばそれでいいではありませんか。元値が3,000円なら、たったそれっぽっちで50万の物が手に入るのです。私はそれを否定いたしません」


「う…む。そうか……。そうだな」


「これを最初から3,000円と聞いてしまったら、それほどの価値は感じられないでしょう。私はこれをボタンにするためにお出しいたしました。お客様に50万の価値があると思ったものならば、その価値だけ大切になさるはず。しかし、万が一紛失してしまったら、3,000円を落としてしまったとして気持ちを切り替えてください。それが可能なものをお出ししたつもりです」


「なるほどな、やられたよ。これで最高のボタンを作ってくれ」


「かしこまりました。お買い上げありがとうございます」


「俺の正体に気づくとは、お前さんもただ者じゃないな」


「何をおっしゃいます。私はただの宝飾店店主ですよ」


「俺をおちょくったことを後悔するといいぜ」


「…お客様は宝石に理解ある方とお見受けします。そういった方はいつでも歓迎いたします。厄介ごとを持ち込むのはご遠慮くださいませ」


「その言葉、覚えておくよ」


「ご来店ありがとうございました」


 あんまり裏の人とつながりたくはないが、お客様はお客様だ。差別することは許されない。

 それに、俺の話にちゃんと耳を傾けてくれる人はそう多くない。彼は間違いは犯さないだろう。


 ……うちの中だけでは、ね。

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