悪夢の序章

「もう夕刻か」


 窓に映る沈みゆく日を眺めながらホルガーは呟いた。そこに居たのは大貴族でも暗部を抱える組織のトップでもなく、孫娘を心配する一人の老人だった。


「先程、『聖なる短刀』隊長から連絡がありました。『幻惑の監獄』内で一定の訓練が終了。疲労により全員が昏睡したため次の命令を待つ。との事です」


「起こしてしまわないように村へと移送する」


「承知しました。『蝙蝠の耳』より報告書が届いていますが、いかが致しましょう」


「いつも通り金庫に入れておいてくれ。明日確認しよう」


「かしこまりました」




 疲労困憊、泥のように昼まで眠り続けるはずだったヴィクターたち三人は、あまりの喧騒に意識を覚醒せざるを得なかった。




「なんか騒がしいな」


「いつの間に村に戻ってたんだろう?」


「多分おじい様の仕業だと思う。私たちがここにいる理由より、この騒ぎは何か知らなきゃ」


 家を飛び出した三人の目には、慌ただしく動き回る村人の姿が映った。


 オリビアはちょうど通りかかった男の腕を強く掴んだ。


「何があったの?」


「お嬢。いえ、お疲れでしょうから今は……」


「命令。何があったか教えて」


 祖父譲りの圧、積み重ねてきた信頼と尊敬が、男の口を割らせた。


「それが……。オットーとトーマスの姿が見当たらなくて」


「いつから?」


「えっと、昨日の午前中に森に行ったきり誰も見てないみたいで」


「今は誰が指揮を取ってるの?」


「広場でベンノが」


 村の事務を一手に担う男の名を聞いて、オリビアは少し心を落ち着かせる。


「彼なら適任ね。引き止めてごめん。ありがとう」


 三人はいつもは苦にならない広場までの道を、遠く、長く感じた。 朝の時間は閑散といているはずの広場には、村の人口を超えるほどの人が集まり、誰もが慌ただしく動いていた。


 便のは質の悪い紙に書かれた乱雑な文字と睨めっこしていた。オリビアたちが近づいてくることに気づくと、書類を傍に置いて向かった。


「オリビア様、お休みされていると聞いていたのですが」


「それどころじゃないでしょ。経緯、現状、わかってること全部教えて」


「オットー、トーマスが昨日の朝、森に向かった以降帰ってこないことが発覚したのが、昨日の夜です。状況によっては日をまたぐことはありますから、この時点では烏の止まり木など王都にいるメンバーに対しての連絡に留まりました。しかし朝になっても姿が見えなかったので、村の全員、傘下の村、王都メンバーで動ける人を動員して捜索しています」


「森には誰か行ってるの?」


「いえ。ご存知の通り、森で狩りをするならまだしも、広く捜索できるほど強い者は、オットー、トーマス以外おらず手が回ってません」


「そう」


 ヴィクター、レオンは身体強化魔法を展開。出発の準備を整えた。


「二人とも……」


「オリビアの思うところはお見通し」


「トーマスたちを探しに行くぞ」


 三人は街道を駆ける。しかし、その速度は最高速には程遠かった。彼らが見据えるのは、村人の知らない脅威。すなわちゴブリン、そしてエルフ。戦いに備え魔力を節約しながら、もどかしさを抱えながら街道を駆ける。


 再び入場料を無視して森へと入った。


「二人はいつも似たようなコースで動くらしいから、そこを重点的に調べよう」


 ヴィクターが方針を示し、三人は森を歩き始める。人の痕跡を探すと、視線は下を向き、歩みはいつもに比べ遅くなる。それは魔物に獲物だと言っているに等しい。


「こっちは急いでるのに。鬱陶しい」


 近づくラット系の魔物を剣で振り払う。


「ヴィクター左側にポイズンベアが」


 新たに現れた敵の方向を向くことなく、左手に魔力を集める。


「次から次へと。一点を貫き敵を射殺せ『石弾ストーンバレット』」


 頭部を吹き飛ばされたポイズンベアは動きを止めた。


 度々魔物に妨害されながら森を進む。捜索を始めてから二時間近く経った頃、三人は見知った布袋を発見した。僅かに膨らんでおり、中には魔物の素材が複数入れられていた。


「これトーマスじゃないか」


「こっちのナイフはオットーが解体用に持ち歩いていた物だな」


「散らかっているから、何かから逃げたのかな?」


「多分そうだろ思う。ヴィクター、レオンこっち見て」


 オリビアが指さしたのは、泥についた足跡だった。それは強く踏み込んだこと、慌てて逃げ出したことを示していた。


「跡を追おう」


 進むにつれて、足跡が向かった先が明らかになっていく。


「こっちって……。深層側に逃げたのか」


「本来なら浅い方へ逃げるのが定石だけど」


「逃げ場がなかったって事ね」


「それなら急がないと。あの二人が逃げる方向も決められないなんて、相当強い魔物に遭遇したに違いない」


 多少のロスは許容範囲と、三人は身体強化にリソースを注ぎ速度を増す。襲いかかる魔物を振り切りながら足跡を追う。一人のそしてもう少しして、二人の痕跡がなくなった。一瞬絶望感を感じた三人だが、血の跡、争った痕跡がないことに安堵する。


 手がかりは失ったが、進む方向は明らかだ。先程まで足跡が向いていた深層に、迷いなく足を踏み入れる。少しの情報さえも取り逃さないと、集中して辺りを見渡しているので、会話はない。


「また会ったなヴィクター」


 突如、上から声が発せられた。聞き覚えのある声色に三人は戦いの準備を瞬時に整えた。


「クソ。なんでここでエルフに遭遇するんだよ」


「リベンジでもしに来たのだと思ったのだが」


「人を探している。僕たちに戦う意思はない。通してくれないか」


 エルフの男は腕を組み、悩むような仕草をした。


「無理だな。私個人は人を数人通したところで何も気にならないが、誰も通すなと厳命されてる。悪いな。どうしても通りたければ、ヴィクター貴様の力でこじ開けてみろ」


「言われなくても。オリビア、レオン」


「任せろ」


「今度は私も」


 やる気のヴィクターたちをエルフの男は楽しそうに眺める。


「視界全ては我が手中。放て『瞬遷 全火魔砲フルバースト』」


 ヴィクターの足元に置かれた三つの魔力。魔法陣のような模様が現れ、それぞれが火柱を放った。が、涼しい顔で魔法防壁を発動され、辺りに魔力を散らした。


「なるほど。瞬間移動の魔法で人ではなく、魔法を移動させ遠隔複数同時使用できるようにしたわけか」


(ネタが割れるのが早すぎる)


 エルフの男が呟いたように、ヴィクターは修行の中で、『瞬遷』に魔法を転移させることで、魔力ポイントを起点に魔法を発動できるようにしていた。しかし未熟で発動できるのは一部の魔法に限られていた。


「僕が起点を作る。放て『瞬遷 全風魔砲フルバースト』」


 十数の魔力片から、暴風の柱がエルフの男を飲み込んだ。


「廻魔沸血!!」


「世界を力に『神の恩寵 吸収アブソーブ』」


 レオンは一つ目の道具を使い、オリビアは周囲の草花を枯らし自らの魔力へと変える。


 新たな力を手にした三人の戦いが始まった。

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