人影

 三人の体力も集中力も限界に近づいてきた。

 昼時に軽食を運び入れる以外で開かれていなかった扉がノックされた。


「はい」


「私だ。入るぞ」


 目当ての書類に読まれた形跡があることを確認すると、ホルガーは口角を上げた。


「首尾はどうだ。ヴィクター」


「自分の仮説と重なるところがあり、少し真実に近づけていると思います」


「ではその近づいた真実を語ってもらおうか」

「わかりました。魔物としての特異性、長年生息しているとしたら、異常なまでに少ない発見報告。すべて現在新たに誕生している。いや作られているとすれば納得できます。これら書物には根拠となる記述がいくつかありました」


「誰が作っていると考える?エルフは大昔にエンデの先に帰っているぞ」


「そもそもエルフが山を越えることが不可能と考えるのは不思議です。何らかの意図があって今まで超えてこなかった。人が超えていることに気づかなかった。小鬼ゴブリンという大きすぎる痕跡を残してでも果たすべき目的があるとすれば」


 ホルガーは大きく頷いた。


「素晴らしい。私含め教会情報部の考えと相違ない。だが一つ足りてないことがある。……情報だ」


 オリビアとレオンも書類を読む目をホルガーに向ける。


「昨日、魔の森で耳の尖った容姿端麗な男性が目撃されている。身体的特徴からして十中八九渦中のエルフだろう」


 投下された爆弾情報に三人は目を合わせ動きを止めた。


「さあ、どうする若人」


「行こう」


「行くぞ」


「行きましょう」


 散らかった部屋を放置して飛び出した三人の姿を、ホルガーはにこやかに見つめる。


「南部地方への人員を増加するように。ラングハンス伯爵及びアムガルト子爵には圧力を」


 主の突然の命令に意図を読めない執事は疑問を持った。


「どのような目的ででしょう。現在、南部は比較的安定しており、当家の介入の必要は感じられません」


「ヴィクター・ベルネットだ」


「少年一人には過剰ではないでしょうか」


「現状動員可能な範囲でだ。これでも不足している。彼は時期に大きな渦の中心になる」


「私には少し賢い少年にしか見えませんが」


「そうであろう。おそらく目を付けているのは私だけのはずだ。より賢い者、より強い者は探せばあちらこちらにいるだろう。だが特異性はそこではない。バランスだ。大貴族に物怖じしないのも、好奇心も評価できる。何よりも私が陛下以外で初めて胸の奥まで見抜けなかった人間だ」


「そこまでとは……」


「リューリク家がぜひとも手に入れたい人材だ。ベルネットなんぞに返してなるものか。全力で情報統制とベルネットの封じ込めの準備を行え。増員も圧力もその一環に過ぎん」


「かしこまりました」


「期限は一週間だ。王都がヴィクターの名を知ることになる」


「はっ。我が命に代えても」


「頼りにしている」


 ホルガーはヴィクターが最後に読んだであろう書類を拾い呟く。


「失望させてくれるなよ」




 自信を取り巻く状況の大きな変化に気づくことはなく、ヴィクターは先頭を走る。各々の身体強化魔法にオリビアの『加護』を重ねがげ最高速で進む。


 青銅貨の受け渡しすら手間だと、入り口の衛兵を無視して突き抜ける。どれだけ周囲を見渡したところで、森が一日で姿を変えるわけもなく、何の変哲もない魔の森が広がっているだけだった。


小鬼ゴブリンと戦ったところに行ってみよう」


 戦いの足跡が残るだけでエルフの影も不審な魔力の痕跡も何もない。


「なあ。俺たちは囲まれててそれどころじゃなかったけど、ヴィクターはどっちから来ていたか覚えてるか?」


「確かこっちからだったはず」


 指がさされる方向は森の真ん中。魔力噴出孔の方角と完全に一致していた。広大な森で人を一人探す、僅かなヒントにすら縋りたくなるものだ。三人は再び歩き始めた。


「魔力濃度が一気に濃くなった。深層に近い。ここからは戦闘態勢で行こう」


「了解」


「わかった。力を『加護』」


 三者三様の方法で魔物の接近とエルフの存在に警戒する。


「前方に魔物が一体」


「アサシンタイガー。厄介なのと遭遇しちゃった」


「どんな奴なんだ?」


「透明になる魔法に加えて強化魔法も使うから、とにかく強いの」


「逃がしては……くれなさそうだな」


 アサシンタイガーの双眸は三人をはっきりと捉え、体内の魔力は獲物に喜ぶように脈動している。


 刹那。姿が消え、レオンの鎧に傷をつける。


「なんて奴」


(どうやって倒す。魔法の滅多打ちで辺りもろともに吹き飛ばすか。ダメだな。目的はエルフだ。こいつを倒すことじゃない。騒ぎは起こせない)


 空気の揺らぎが、足音がオリビアに不可視の殺意が近づいていることを示す。


「間に合えッ」


 ヴィクターが差し込んだ剣は、ギリギリのところでアサシンタイガーの攻撃を防いだ。


(僕の動きを見ても回避行動がなかった。もしかして)


「レオン。頼む」


 アサシンタイガーの攻撃を避けながら、あちらこちらに魔力を残す。


「自身はないから、早く決めてくれよ」


「ヴィクターは何を?」


「知らない。だけど、あいつがこう言うときは上手くいくんだ」


 次第に攻撃の対象は、動かないレオンとオリビアに向かっていった。


「どこから来るかわからないってここまで辛いのかよ」


「守れ『加護』、癒せ『加護』」


 前から、横から凶刃は振るわれ続ける。


「まだか?もうそろそろキツい」


 重魔鉄の強固な鎧にオリビアの魔法による防御の上昇、絶えず行われる回復で持っているが、あまりの攻撃速度に限界が近づいてきていた。


「ありがとう。これで決める」


 フリーになったヴィクターが設置した魔力は、百を超える。


(瞬遷)


 唱えた瞬間、魔力は呼応するように明滅を始める。


「きれい」


 危険を感じ取ったアサシンタイガーは、攻撃の主たるヴィクターを刈り取るために姿を消し、刃を突き立てんと加速する。


「もらった」


 敵が自らを凝視していることに勝利を確信する。アサシンタイガーの瞳は立ったままのヴィクターを確かに捉えている。飛び掛かるアサシンタイガーの腹に、魔剣が音もなく差し込まれた。いるはずのない敵に回避行動をとれず、腹を切り裂かれたことで、深層の脅威は息絶えた。


(やっぱり透明になっていても攻撃は通ったな。光学迷彩のようなものだろう。最後は賭けだったけど)


「あれ?ヴィクターが二人?。おい、どっちが本物だ?」


 レオンは突っ立つヴィクター?を揺すろうとするが、その手はすり抜けバランスを崩し、地面に倒れこむ。


「なんで味方まで騙されるんだよ」


「よくできてるね。本物よりイケメンだったりして。どうやって作ったの?」


「『聖女オリビア』の応用だよ。呪文も技名も省略する代わりに、動かさないことで魔力を節約って感じ」


「『瞬遷』の時に光っていたのはダミー?」


「本来ならただの魔力に移動できるのが強みだけど、今回は強く反応するようにして、身代わりがばれないようにと、意識を僕に向けるために使ったんだ」


(バトル漫画の定番を拝借しただけだけど)


 カサっ。


「二人ともあれ」


「耳が長い」


「容姿端麗」


 見つからないよう、口を押えほとんど吐息のような音量で声を合わせた。


「「「エルフだ」」」

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