ホルガー・リューリク

 廊下に立つメイドに執事、あらゆる人がオリビアを視界に入れた瞬間。頭を下げ、行く先を開ける。この屋敷で唯一頭を下げない男の部屋へと三人は足を踏み入れた。


「数日ぶりだな。オリビア」


「突然の訪問を受け入れていただき、感謝します」


 男はヴィクターがかつて領地で会った時とは全く異なる強者の威厳オーラを放っている。


「久しいな。ヴィクター・ベルネット」


(やっぱりバレてるよなぁ)


「お久しぶりです。その節は父が大変な失礼をいたしまして。申し訳ありません」


「謝る必要はない。謝罪が意味を成すのは両者が対等である時のみだ」


 オリビア、ヴィクターと順に視線は動き最後はレオンに注がれた。


「初めてお目にかかります。ホルガー様。発言の機会をいただき、ありがとうございます」


「元ヴァイザーブルク騎士見習いレオン。孤児院育ちにも関わらず、よく礼節をわきまえている。二人の影響か、それとも生まれ持った才か。まあどちらでもよいか」


 ホルガーはもう一度三人を順に見渡し、発言を促した。


「単刀直入に伺います。私たちの知りたいことについて、教会が把握していることを教えていただけますか?」


 文脈も何もかも吹き飛ばした、自分たちしか知りえない動向を前提とした質問。だがオリビアはこれで十分だと確信していた。


「経緯は伝えないと。エスパーじゃないんだから」


 苦言を呈すヴィクターに、ホルガーは不要と手で制止した。


「大災害の時代に存在したとされる小鬼ゴブリンが現れたという話だろう。ラムゼンスキーに関心を持ったことも、副ギルド長の仮説への疑問も全て。全て把握している。関連する書類も既に選定させてある」


 驚愕の表情をするヴィクターとレオンに対し、オリビアは一切顔の筋肉を動かそうとしない。彼女にとっては、ホルガーという男の異常なまでの能力が日常だったからだ。


「ありがとうございます。おじい様」


「いつ渡すと言った?オリビア。そうやって与えられる環境を飛び出したのではなかったか?どこまで行っても貴族令嬢は貴族令嬢か」


 硬直するオリビアに助け舟を出したのは、ヴィクターだった。


「僕たちには必要なものです。ホルガー様の要求を聞かせていただけますか?」


(交渉に持ち込んでしまえば)


「家出をするだけあって芯がある。私の目はまだまだ現役のようだ。交渉を望むのならば乗ってあげよう」


 この男にとって三人が望む情報など、尻を拭く紙にならないほどの価値だった。つまり要求は彼らを試すためだけのもの。


「そうだな。リューリク家に金はある。貴重な素材だろうと入手は容易。名誉も権威をすでに十分。だが一つ足りないものがあってな」





「ヴィクター・ベルネットがリューリク家に婿入りすれば、いかなる情報であろうと好きに閲覧できるよう計らおう」


 与えられる試練を、要求される金貨を、求められる素材を、想像していた三人は、想定外も想定外で完全に硬直する。


 最も早く回復したのは、オリビアだった。彼女の拳は強く握られ、体は僅かに震えている。


「いくらおじい様といえど、信じられません。ヴィクターの人生を差し出させようとするなんて」


「なに。結婚が決められることなど珍しくないことなら、知っているだろう。であろうヴィクター」


「はい。むしろ貴族で恋愛結婚はごく少数であると承知しています」


「ですが」


「オリビア。怒ることはない。これは交渉だ。小鬼ゴブリンの情報を諦めれば、ヴィクターの婿入りが決まることはない」


「それでは、人質に取っているのと一緒ではないですか‼」


「オリビアとの結婚を考えていたのだが、それでも考えは変わらんか?」


「ひゃっ?」


 かわいらしい声を上げて、オリビアの顔はどんどん赤みを帯びていく。


「それは……。やっぱりダメです。そんな卑劣な交渉飲むわけにはいきません」


「アッハッハッハ。迷ったな」


 ゆでだこのような孫娘の顔を見て、ホルガーは体を折って大爆笑した。


「へ?」


「ホルガー様はオリビアの、そして僕たちの反応を見たかったのですよね」


「そうだ。一人の一生と今必要な情報。どちらを優先するのか。冷静ではなかったが、オリビアの判断は間違っていない。ヴィクターとレオンは介入のタイミングをうかがっていたな。レオンはよく剣に手をかけた。入室の段階で帯剣を許可されていた理由に気づいたのだな」


 ホルガーは手元のベルを鳴らす。


「合格だ。今回の件について、教会が知りうる情報のうち、私一人の権限で提供可能な範囲でだがまとめてある。屋敷の一室も貸し出そう。好きにするといい」


 音もなく現れた執事から分厚い紙の束を受け取り、三人は案内された部屋に入った。机と椅子だけのシンプルな部屋だったが、あらゆる所から微弱な魔力反応のある不思議な一室だった。


「変な感じがする」


「そうか?俺はわかんないけど」


「これは音声や行動を記録する魔法や道具があちこちにある部屋なの。私とヴィクターは日ごろから魔法を使って、魔力を認識しなれているからだと思う」


 パン。ヴィクターが手を叩く音が響く。


「早速、読んでいこう。やましくなかったら監視されてても平気だよ」


「そうだな」


「そうね」



 数百年の歴史を持つ教会が、国中に拠点を持つ教会が集めた情報は、ヴィクターたちがの知識を更に深めるものだった。


『北方教会記録(抜粋)』

五十年 大災害以後、北方地域は完全に荒廃し、如何なる人間の侵入も困難な領域と化している。だが神の使徒たる教会が、その回復を主導する。

五十五年 忌々しき侵略者が残した人を模した不細工な怪物は、教会騎士の総力を持って、殲滅が完了した。

六十二年 小鬼ゴブリンの出現記録は前年以降なく、種族の撲滅を完了を報告。


『教会全国調査(抜粋)』

七十年春期において、エルフを要因とする敵性生物の残存調査、及び排除を行う。


結果 エンデ大山脈麓を除き、確認されなかった。


『大災害調査録(抜粋)』

生物学者、魔物学者各一名による共同研究報告。


エンデ以北における生態系に関する情報が一切不明なことに留意する必要がある。

小鬼ゴブリン等は、元となる生物が想定できず、魔物として見ても体構造が歪で自然発生したとは考えにくい。エルフが人間を遥かに上回る魔法技術を有していることから、なんからの方法で生成された人工生命体であると結論付ける。


『レシュティル教会 報告書(抜粋)』

我が町レシュティルでは、最近妙な噂話が聞こえるようになった。冒険者曰く、魔物の領域にて人型の魔物と遭遇した。所蔵の資料と照らし合わせた所、最も類似するのはエルフと同時に現れたとされる、赤色の肌を持つ敵性生物である。王都大司教の判断を仰ぐ。


『同報告書 返答(抜粋)』

当該生物を教会所有の戦力にて排除することを決定。不足があれば王都より派遣する。エンデ大山脈を超えたはぐれ個体であると断定。可能な限り情報は秘匿するよう。

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