突撃!王都のお嬢様
「坊っちゃま。日頃の成果を見せていただきますぞ」
老齢の執事が構える古びた木剣からは剣圧が放たれている。
約束通り、魔法の鍛錬とほぼ同時期に始まったクロウによる剣術指南だが、ヴィクターの想像をはるかに超えるレベルのものであった。
老人の体のどこから出てくるのか不思議なほどの膂力、無尽蔵と思えるほどのスタミナ、高度な技術も相まってこの四年間、魔法ありの組手でもただの一本も取る事ができていない。
さらにベルネット領内の状況は日に日に悪化し、反トラウゴットフ派は目に見えて増加をしており、ヴィクターは事実上泥舟と化した領地からいち早く逃げたいと焦りを募らせていた。
「今日こそ一本取ってみせます!」
刃を潰してある模擬戦用の剣を構えた。
「その意気です。いつでもどうぞ」
執事は警戒の必要なしと言わんばかりに木剣を構えも取らずだらりと下げている。
「雷光煌めきて敵を穿て『雷槍』、燃やせ『火球』」
高威力高速の雷の槍が放たれ、着弾点で爆煙と土煙が舞う。ヴィクター煙の中に駆け込み剣を大きく横に一振りする。
「決まったッ!」
本来あるはずの場所に対象はなく、全力の一振は行き場を失いヴィクターは体勢を大きく崩す。
「魔法での足止めと目くらましですか、悪くはないですが速さがまだまだ足りませんな」
そう言って背後をとったクロウの服には塵のひとつも着いていなかった。
「そんな……」
「次の一手はございますかな?」
「無論!大地よ爆ぜろ『土爆』」
(瞬遷ッ)
足元を中心に半径10メートルが爆発の衝撃に包まれる。
(これで負けてくれればいいんだが、そうもいくまい。瞬遷)
爆発を回避したクロウの背後を文字通り一瞬でとったヴィクターが首元に剣を当てる。
「お見事! ですが、それは残像でございます」
「何!?」
その瞬間ヴィクターの視界は回転し、気づけば地面に押さえつけられていた。
「戦いにおいて最も危険なのは相手にとどめを刺す寸前ですぞ」
「まんまとやられたか」
「ですが、今までで最も良い戦いでしたよ。剣術で敵わないことを認め、一般魔法による目くらまし、瞬遷の瞬間移動によるデメリットなしの自爆攻撃。それさえも届かないことを見越し背後をとる。並の敵ならやれたでしょうな。合格です。次からはこちらも剣を使わせていただきます」
少し離れて二人を見ていたマリーが別のメイドに耳を貸し数言交わした。
「ヴィクター様、屋敷へお戻りください。ご家族がお集まりになっております」
ヴィクターが食卓への扉を開けると、アデリナがにこやかに笑っていた。
「母上、いつにも増して楽しそうですね」
「王都で噂の聖女様が来られるそうなのよ」
「聖女様がなんで?」
「国教お得意の偽善事業に我が領が選ばれただけだ。もてなす必要も崇める必要も無い。聖女と言われたところでただの小娘だ」
「父上はお嫌いなのですか?」
「好き嫌いではない。宗教という理想と貴族の現実は相容れないだけだ。気にするな」
重苦しくなった空気を動かしたのはフリードリヒだった。
「では父上、最低限のもてなしの準備を私に任せて貰えませんか?」
フリードリヒの笑み、真意に気づいたトラウゴットもニヤリと笑みを浮かべる。
「いい練習になるだろう。やってみなさい」
「かしこまりました」
トラウゴットは気分を良くしたようで、笑みを浮かべたまま部屋を出て執務室へと歩いていった。
「ヴィクターも手伝ってくれ」
「分かりました。兄さん」
____________________
数日後の朝、兵士の一人が来客の到着を報せた。
「ようこそいらっしゃいました。先代王都大司教ホルガー・リューリク様、聖女オリビア・リューリク様。当主トラウゴットは現在領地を空けておりまして、私フリードリヒが滞在中の世話をさせていただきます」
深く頭を下げる兄に従うようにヴィクターも頭を下げる。
「頭をお上げください。フリードリヒ・ベルネット殿、ヴィクター殿。4日間孫共々お世話になります」
「本日はおつかれもあるでしょうから、屋敷でゆっくりとお寛ぎ下さい。オリビア様と年も近いですから外に出られる際の案内役にはヴィクターをつけさせていただきます」
「よろしくお願いいたします。聖女様」
オリビアは服の裾を軽くつまみ、ペコリと頭を下げた。
「私はホルガー様と打ち合わせをしなければならない。しばらく聖女様に屋敷を案内して差し上げろ」
「かしこまりました兄上。それでは行きましょうか」
大げさな動作でオリビアの手を取り、庭に向かって歩き始める。
「聖女様。まずは、ベルネット家が誇る庭園を紹介いたします。庭師アンデの作でして、ブドウのトンネルを入りますと雅な噴水が出迎えます。バラを中心にしつつ、季節の花々がいつでも美しく見られるようにされております」
他人事のように淡々と説明を続ける。
「噂通り美しい庭園ですね。これを整備するのは大変ではなかったですか?」
オリビアは何か含みがある声色で問うもヴィクターは淡々と答える。
「父からは色々と苦労をしたと聞いております」
「そうですか」
少し離れた場所から周囲を警戒している両家の護衛にはただの世間話のようであったが、ヴィクターは庭の話の反応から、オリビアはその興味のなさそうな淡々とした喋り方から、二人は同じ思いを抱いた。
(この聖女様……貴族らしくない人だ)
(ヴィクター様は……貴族らしくない方)
自然に両者は顔を近づけ護衛やメイドたちに聞こえないように囁き声で話始める。
「ヴィクター様。ここでのことはできればご内密にお願いします。ベルネット領の民の生活はどうですか?」
(外面だけでなく性格まで慈悲深いとは本物の聖女様だな。じきに逃げるんだわざわざ聖女に嘘をつく必要もない。ポイントを稼いで損もないだろう。ここは正直にいこう)
「はっきり言って厳しいです。主に税と労役が負担になっています」
「やはりそうですか。道中で見た街や村に対して屋敷が豪華でしたので、もしやとは思っていたのですが」
「私も特に生活が苦しい村にはできる限りの支援をしていますが、限界があるのが現状です」
少女はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「その支援してる村のひとつに連れて行って貰えませんか?」
王都の箱入れ娘と思っていた聖女の口から放たれたそのお願いにヴィクターは困惑と驚きを露わにする。
「ホルガー様と父上の許可が得られるとは思えません。それに危険すぎます」
ヴィクターの真っ当と言える制止にあっても、この心優しきお転婆聖女様が止まることは無い。
「ホルガーには抜け出すかもと言ってあります。あとはヴィクター様の問題です。ですがどうやら私たちの訪問を当主様は歓迎しておらず、フリードリヒ様はあなたに信頼をおいてらっしゃる様子。叱られることはないのではないでしょうか」
流石の観察眼だと関心しながらも、ヴィクターは反論を探すが彼女の言葉に反論できなかった。実際、今抜け出したところで兄が軽く苦言を呈すぐらいで終わるだろう。
「たとえ抜け出すことで叱られないとしても、危ないですよ」
「いいえ。あなたはそこらのチンピラや魔物に負けるほど弱くはないのでしょう」
「どうしてそれを?」
「乙女には秘密が付き物です。それに私も自分の身を守れる程度には強いの。騎士様はお姫様を籠の外に連れていってくれるのかしら?」
からかいの笑みを浮かべながら美しく華奢な手を差し出す。
「僕の負けです。分かりました。こっそり抜け出す術は持っていないので派手になりますがいいですか?」
「まるで駆け落ちね」
いや違うよとヴィクターは心の中でツッコミを入れながらも、少女の勢いを止めることを半ば諦めていた。
「ではいきます。手を掴んでいてください。風よ砂をまきあげ我が身を覆い隠せ『目眩し』、『瞬遷』」
土煙が晴れた後、ベルネット家の護衛が慌てて探したものの2人を見つけることはなかった。
ベルネット家側の慌てようとは対照的にオリビアの護衛たちは予定通りだと言わんばかりに落ち着いて屋敷へと戻っていった。
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