エルナ・ベッセル
「ヴィクター様、朝でございます。エルナ・ベッセル様がもうそろそろ到着するとの知らせがありましたので、起きて準備をお願いします」
いつもであればあと三回はこの問答を繰り返すところだが、ヴィクターにとって待ち望んだ魔法の教師ということもあり、大人しく起床した。
「おはようございます。お食事は如何なさいますか?」
「軽く済ませようかな。ここで食べるよ」
「かしこまりました」
朝食は早々と平らげ、愛読書に手を伸ばしくつろぎ始めた。
1時間ほどたっただろうかという頃、別のメイドがエルナの到着を知らせた。
ヴィクターはマリーに注意されながら駆け足で屋敷の外へ向かった。
(やっとだ。やっと魔法が手に入る)
ドアを開けると細身の長身で黒髪を腰の長さほどに伸ばした美人が立っていた。
「こんにちは。君がヴィクターだね?」
「はい。エルナ先生よろしくお願いします」
挨拶を済ませたと思ったら、エルナは早々とヴィクターを伴い庭に歩いていった。
「さっそく始めようと思うが、理論か実践どっちからがいい?」
「両方でお願いします!!」
「わかった。それでは説明しながら体を動かして貰おうか。開魔の儀以来、体内の魔力が感知できるだろうから、それを意識しながら聞いてくれ」
体内魔力の感知は一定の練度に達するまでは集中力が必要な動作であり、魔力に目覚めたばかりのヴィクターにとって楽なものではなかった。
「は……い」
「魔法とは魔力を用いて存在しない事象を実現するものの総称だ。主に二つに分類するのが一般的だが分かるか?」
「程度の差はあれど、誰でも何でも実現可能な一般魔法と、一部の人だけが使え一つの事象のみを実現する特殊魔法です」
「よく勉強してあるな。ただ訂正しなければならない部分がある。一般魔法は理論上誰でも何でもと言えるが、肉体の限界と人間の持ちうる魔力量の関係から実質的には多くの制約を抱えている。あんまり派手なことはできないってことだ。だから多くの場合一時的な実現という形をとることになるんだ」
エルナは右手に魔力を集め『火球』と唱えた。
刹那空に直径30cm程の赤い複雑な紋様とともに、赤黒い極小の太陽が現れる。
「さあ、続けよう。これが一般魔法で最も有名な火球だ。やってみろと言いたいところだが、少し難しいから先に説明を済まそう。無いものがそこにあるイメージを持ちながら魔力を込めれば魔法自体は発動できる。だが、それでは時間がかかりすぎて戦闘では使い物にならない。だから技という形でイメージの固定化をして、呪文と結びつけルーティン化することで素早い発動を可能にしている」
(なるほど、技が設計図で呪文が手順書のようなものか)
「戦闘のために本来自由なはずの魔法が損なわれているのは研究者として残念ではあるがな。話がそれたな。それじゃあ、文言に決まりはないからさっき見せた火球のイメージと繋がりやすいもので適当に呪文を唱えてやってみてくれ」
「分かりました」
その神妙な返事と裏腹にヴィクターはかつて夢みた魔法を使えることに、この世界で読んだ冒険譚に一歩踏み込める喜びで舞い上がっていた。
威力のコントロールなどできないことを忘れて。
「いきます!『神が与えし叡智の
「待てっ」
尋常ではない魔力の高まりと震える空気に気がついたエルナは火球の発動を止めようとするが、極限まで集中したヴィクターに声は届かず、発動を無理に止めようとすれば暴発しかねない状態へとなっており、座してみる以外はなかった。
「火球!!」
現れた太陽のあまりの熱で庭の花は萎れ、池は蒸発を始める。
ついに太陽は放たれ轟音をあげて直線上を焼き尽くす。着弾した小高い丘はその全てを蒸発させた。
と同時にヴィクターの視界はぼやけていき、地面へと倒れこんだ。
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ドンッと勢いよく扉が開かれたと思えばフリードリヒが部屋に駆け込んできた。
「ヴィクターが魔力欠乏症で倒れたと聞いたが大丈夫なのか?それにしてもなんであんな大魔法を撃たせた!」
「それについては私の説明不足が原因だ。初学者が魔力を使い切るほどの魔法をイメージすることは殆どないため油断していた」
実際、魔法を扱ったことがないものはイメージが貧弱であることが殆どだ。しかし、転生者であるヴィクターは、魔法が登場する創作物が溢れる世界で生きていたのだ。イメージの点では規格外と言えるだろう。
「なるほどそういう事か。エルナ殿、弟には才があるのだろう。この件は不問にするよう父上に掛け合ってくる。気にせず鍛えてやってくれ」
扉が閉められるまで彼女は頭を下げ続けた。
「緻密な魔力コントロール、弟だけでなく兄も魔法の才があるとは末恐ろしい兄弟だ」
(知ってる天井だ)
屋敷のベットで目を覚ましたヴィクターをエルナが心配そうに見つめる。
「エルナ先生」
そう呼ばれた彼女は気恥しそうに頬をかく。
「その、なんだ。先生というのはむず痒くて仕方がない。せめて師匠と呼んでくれ」
「はい。師匠。ところで何で僕はぶっ倒れたんですか?」
「想定以上の出力による魔力欠乏だ。魔力コントロールを教えずにやらせたのは私のミスだ済まない」
「それで修行の続きは……」
「今は無理をしない方がいい。とはいえ、何もなしというもの時間が勿体ない。特殊魔法の座学をしよう」
彼女は教師らしく話し始める。
「一部の人間が生まれながらに持つ特殊魔法は、回路のようなものが魂に刻み込まれてるために、イメージが不要で同様の現象を一般魔法で行うとする場合に比べ魔力消費量が圧倒的に少ないという特徴がある」
「それで、具体的に何の魔法が使えるのかはどうしたらわかるんですか?」
「大抵の場合、魔法が出せるまで魔力を放出し続けたりする必要があるのだが、幸運にも私は魔力の特性や回路なんかを認識できる特殊魔法『
彼女は目を瞑りヴィクターの額に手を当て呟いた。『
粘性の物質に皮膚の内側をまさぐられるような不快感が頭の上から身体中を巡り、腹の奥底辺りで止まり、スっと消えていった。
「君の特殊魔力は、ある地点に魔力でターゲットを作り、その点に瞬間移動するというものだね。せっかくだ私が命名しよう。その名も『瞬遷』」
ヴィクターは深く頷き自らの手を見つめる。
「使い方はこれからゆっくりと鍛錬を積めばいい」
「はい」
しばらくの沈黙を破ったのはエルナだった。
「ところで、特殊魔法が一部の人のみに発現する理由があるとしたらなんだと思う?」
「王族、貴族などの上流階級に多いと聞くので、遺伝ではないのでしょうか?」
「そう考えるのが妥当だ。しかし特殊魔法の使い方、鍛錬の方法を知らなければそもそも自分が使えることに気づくことは難しい。そしてこの国の教育水準では、地方の平民がそれらに触れることは殆どない。そのような隠れた特殊魔法使いも含めれば、また違う法則が見つかるのではないかとある研究者が王国中を調べて回った。そしたらどの階級であろうと割合に大きな違いはなかったらしい」
「ですが、運動能力や身体的特徴などの先天的なものの多くが遺伝なのに、特徴魔法だけ違うというのはなんだか変に感じます」
「そう。そうなんだ。両親が摂取したものにも、生活習慣、出産後の処置などありとあらゆるものに原因となりそうなものはなく、お手上げ状態だった」
「だった?」
「半年前まではね。この大陸には魔力の元となる魔素が常に湧き出ていて、その環境に適応した生物、魔物が多く生息するいわゆる魔の領域が点在している。その周辺の村や町では明らかに多くの特殊魔法使いが居たんだ。そこで魔力、魔素が大きく影響しているのではないかという説が浮かび上がる。さらに、魔物の中には魔法を使う種が一定数いるが、調査の結果特殊魔法と類似することが分かった」
「もしかして……」
「そうだ。私の仮説は特殊魔法とは魔力、魔素に適応した新たな人間の形なのではないか。言い換えると人が魔物に近づいた存在なのではということだ。これをベッセル理論と呼んで、家を挙げて研究が進んでいる」
そこである疑問が浮かび上がる。
「そんなに大きい研究をしている人が、子供一人教えていてもいいんですか?」
エルナは一瞬硬直したのち声を上げて笑った。
「子供がそんな心配するもんじゃない。ベッセル家とベルネット家は親戚でね、研究についても資金援助や手伝いをしてもらっているんだ。それに……」
「それに?」
「私、弟子を持つのが夢だったんだ。だからこれからもよろしくねっ。てこれちょっと恥ずかしいな」
「うぐぅ(吐血)」
師そして研究者として、冷静で大人っぽい雰囲気を醸し出していた彼女の子供のようににこやかに笑い、照れくさそうにする姿は絶大な破壊力をもっていた。
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