真綿の時間

秋犬

ゆっくりと、じっくりと

 時計の針が不自由に動き回っている。同じところをぐるぐる回っているだけで、まるで進歩がない。おれはきっと時計の針の気持ちだけはよくわかるんだ。


 千堂くん? 聞いてますか?


 背の低い数学教師が申し訳なさそうにおれのことを呼んでいる。その困った顔、わかる。おれのことなんかさっさと無視すればいいのに。


 それでね、問3なんだけど、わかるかな?

 わかりません。

 そうですか、それじゃあ後ろの田辺さん、お願いします。


 後ろの席の田辺さんは立ち上がって「4√5」と答える。数学教師は満足したように自分の世界に帰っていった。知らない、おれは知らない。数学なんか知らない。数学なんか大嫌いだ。あのチビ女教師も大嫌いだ。


 残りの時間、時計の針だけを見続けて数学の時間は終わった。次の時間はサッカーだった。いやだ、サッカーもいやだ。


 千堂、しっかりしろよ!

 ほら千堂、パス行ったぞ!

 千堂頑張れよ!


 無理だ、あいつらおれのことバカにしてやがる。サッカーの時間は時計の針を見ることができない。だからサッカーは嫌いだ。


 昼飯も嫌いだ。音楽も、理科も、国語も大嫌いだ。どいつもこいつもむかつくんだ。


 おい千堂、雑巾がけしろよ。

 千堂、机運んでくんねえかな。

 悪いんだけど千堂、ちょっとそこのプリントとって。


 なんで、なんでいつもおれは命令されないといけないんだ。おれがあいつらに命令なんてできっこないのに、あいつらはおれに命令してくる。許せない。おれに命令していいのはお前らじゃないんだ。


 机を蹴飛ばしたいが、そうするとおれの行いがよくないので机は蹴らない。こんなくだらない場所から帰る支度をしていると、気持ち悪い奴らが気持ち悪い話をしている。


 来期の新作アニメ、何見るか決めた?

 異世界転生ものは飽きた。

 けもフレ3期はアツイな。


 気持ち悪い、実に気持ち悪い。親にそう言ったものは俗悪であると習ってこなかったんだろう。俗悪で女を手籠めにすることしか考えていない、哀れな奴らだ。


 その点おれは違う。田辺さんは優しくしてくれるし、あんな奴らよりおれと仲がいいんだ。


「千堂君、ほら制服がチョークまみれだよ」


 田辺さんはおれの制服のチョークを払ってくれる。なんて田辺さんは優しいんだ。


 ちょっとナベっちー、千堂なんてほっとけばいいじゃーん。

 えー、でもほら私学級委員としてさー

 ナベっちしたたかー!


 やっぱりそうだ、田辺さんはおれには優しいのだ。ほかの女とは違うのだ。なぜだろう、胸が苦しくてドキドキする。これは病気に違いない。おれは帰ったら母上に相談することにした。





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