第18話:色の無い白昼夢
工場での仕事を終え、車に乗り込む。
今日は定時で帰れる。本来なら当たり前のはずのそれが、なんとなく嬉しい。
田舎の企業なんかじゃ、定時で帰れる方が珍しいのだ。
ギアをドライブレンジに入れ、ブレーキペダルから脚を離す。
車がゆっくりと進み出した時、目の前に何かが飛び出してきた。
慌ててブレーキを踏み込む――と、車の前にいたのは――あの、妙な女子高生。
先日会った時よりも服装や髪型がボロボロになっているような……
僕は観念して窓を開ける。
そして、想像した通りの言葉を彼女が言い放つ。
「現実に戻りましょう、シロ――じゃなくて、小泉さん!」
「……暇なんだね、君」
――まったく、何者なんだ……?
やはり、この辺の学校の制服ではない。
地元の人間じゃないなら、本当に何者なのだろうか。
「あの、その……説明すると長くなってしまうんですが、時間を頂けませんか?」
運転席に寄ってきて、覗き込むように顔を出す。
すると、顔や腕、靴に泥が付いているのが見えた。
まるで野宿でもして……いや、これは本当にそうなのだろう。
田舎にホームレス、ただごとではない。
「君、家に帰ってるのか? 酷い格好だぞ」
ハッとした表情をして、彼女はしばし考え込む。
そして、ようやく口を開く。
「ここには、私の家なんてありませんから」
――家出でもしているのか?
そういえば、アニメやライトノベルなんかには家出したヒロインの少女が主人公の男の部屋に転がり込むという内容があったりした。
彼女もまた、そうやって男の部屋に……いやいや、田舎でやることじゃない。
「じゃあ、どうしてこんな田舎に……」
再び、黙ってしまう彼女。
このまま放っておいてもいい、でも話を少しだけ聞いてやってもいいのではないかという気持ちも少なからずあった。
――ちょっとだけ、聞いてやるか。
全身と衣類が汚れ、明らかに疲労しているのがわかるような相手。他人であっても心配してしまうものだ。
それを自覚し、見放そうとしていた自分に罪悪感すら沸いてくる。
だから、俺は……彼女に施すことにした。
俺は車の助手席のドアを開け、彼女に声を掛ける。
「話は聞いてやる。まずは身なりをどうにかしてくれ」
「えーと、車……汚れちゃうかも」
「それは掃除すればいいだけだろ、早く乗れ」
彼女が助手席に座り、シートベルトを締めたのを確認。
車を発進させ、工場の駐車場を出る。
向かうのは地元の温泉施設。コインランドリーは無いが、浴衣を貸してくれることは覚えていた。
衣類は町に行けばなんとかなる。
「そういえば、君の名前は?」
話を聞いてやると言った以上、多少は寄り添わなければならない。
本当に厨二病かどうかも確認しないといけないだろう。
「ミヅキ――――いえ、私の名前はやよい。むらさき、やよい」
「……どうして言い直した?」
助手席から答えは返ってこない。
彼女には2つの名前がある。おそらく、ムラサキヤヨイが本名。最初のミヅキというのは先日話していた『職場』での名前ということなのだろう。
とりあえず、俺からは最初の1歩を進めた。
あとはきちんと本音で話してくれることを期待するとしよう。
温泉施設に到着。
困惑した様子の彼女――やよいを前に、俺は財布を取り出す。
そこから紙幣をいくつか取り出し、渡す。
「これで風呂とメシを済ませてこい。浴衣のレンタルもあるから」
「本当に……いいんですか?」
「話を聞いてやるから、さっさと行ってこい」
渋々といった様子で車を降りるやよい。助手席は泥や落ち葉で汚れていた。
彼女に何があったのかはわからない。
だが、放っておけなかった――というのが、本当のところだ。
――俺も、まだまだ甘ちゃんだな。
弱っていて、困っている女の子を放っておけないなんて、自分は思っている以上にお節介焼きらしい。
車の中に常備しているティッシュやウエットシートで助手席を掃除し、やよいの帰りを待つ。
しばらく待っていると、腹が鳴ってしまう。
そういえば、夕飯がまだだ。一緒に入ってレストランでメシを食えばよかったのだが、彼女と一緒にいるところを誰かに見られたくない――どこか後ろめたさがあった。
空腹に耐えていると、やよいが戻ってくる。
レンタルの浴衣姿、おまけにサンダルを履いていた。
きっと従業員が気を利かせてくれたのだろう。
紙袋を手に助手席に乗り込んできた。
汚れた制服を紙袋に入れてきたらしい。
緊張や疲労が少なからず取れたようで、リラックスしているように見える。
「ありがとうございます。シロ――小泉さん」
「呼びやすい方で呼べばいいだろ」
「ええと、すみません……」
再び、車を走らせて町へと降りていく。
多少顔色が良くなったやよい、何かを考え込んでいるように見える。
それはきっと、俺のことなのだろう。
――なんて、自意識過剰か。
きちんと話を聞く。
コインランドリーで洗濯している間に済ませられるはずだ。
十数分後、何事もなくコインランドリーに到着。
そのまま入店、誰もいない店内のベンチに腰掛けた。
空腹で虚しい気分だが、もうしばらくの辛抱だ。
自動販売機で炭酸飲料でも買って、気を紛らわせよう。
「あの……申し訳ないんですけど」
「ああ、はいはい」
財布から紙幣を取り出し、渡す。
田舎のコインランドリーは布団や毛布のような大きい洗濯物も入れられるような大型のものが当たり前だ。もちろん、乾燥機能付き。
都市部はもっと安く使えるコインランドリーがある。
これだから地方は――
――あれ? 俺は地元から出たこと無かったはずなのに……
なんだか頭が痛くなってきた。空腹が行き過ぎて低血糖にでもなったのかもしれない。
やよいに飲み物を買ってくると告げ、外に出る。
店のすぐ横にある自動販売機、小銭を入れて炭酸飲料のペットボトルを購入。
いつも飲んでいる真っ黒な泡立つ液体、その甘味を思い出して生唾を飲み込んでいた。
不意に、隣に人の気配を感じた。
おそらく、彼女だろう。風呂と飯を済ませても喉は乾くものだ。
同じ炭酸飲料を購入し、すぐ隣にいるやよいに手渡す。
「ほら、これでいいか?」
手元からペットボトルの重さが消え、開封する音が聞こえる。
それを聞きながら、俺は店内へと戻った。
自分のペットボトルを開封し、中身を一気に煽る。
喉、腹に炭酸の刺激が直接感じられるほど、俺は飢えていたらしい。
生き返った心地だ。
「相変わらず、美味しそうに飲みますね」
微笑むやよい。
笑う余裕が出てきたらしい。元気になって何よりだ。
「君だって、渡したらすぐに飲もうとしてたじゃないか。人のこと言えるのか?」
「えっ? 私はずっとここにいましたよ」
「いやいや、さっき自販機で買ったコーラを受け取って――――」
――そういえば、ちゃんと顔を見たわけじゃなかったな。
相手が誰だったか、それを確認しなかった。
だが、自分達以外に車は駐まっていなかったし、時間帯的に利用者も少ない。
だから、彼女しかありえないはずだ……
「俺をからかってるのか? まったく……いくら出してやったと思ってるんだ」
やよいの表情が強張ったまま、固まっている。
そして、その視線は俺に向けられたままだ。
「……なぁ、おい」
「あの……あれ、見えます?」
何かを、俺を指差すやよい。
その視線と人差し指の方向を辿るように振り向く。
すると、店の外に――ペットボトルを手にした女子がいた。
制服姿の、やよい。
「なにが起きて――」
「――シロタさん! 捕まえますよ!」
浴衣とサンダル姿で駆け出すやよい。
俺も遅れて店を出る。
制服姿のやよいはこちらに背を向け、どこかへ走り出す。
「――車で追いましょう!」
「説明してくれよ……」
自動車に乗り込み、キーを回す。
ほとんど交通量の無い道路に飛び出し、町内へ逃げる制服姿のやよいを追う。
「あれは君なのか? ドッペルゲンガー?」
「あれは侵入者です」
――なんだ、それ?
俺の疑問を察したのか、やよいは話を続ける。
「今、私とシロタさんは『色の無い白昼夢』というオブジェクトの影響を受けて、悪夢の中にいます。おそらく、シロタさんの記憶から構成した日常を繰り返してるんです」
「オブジェクト? まったく、厨二病かよッ!」
薄暗くて狭い道、走って逃げる女の子を追う――これではまるで、犯罪者じゃないか。
「あれは本来、シロタさんの日常にいないはずの存在。だから、あれは侵入者。あれを倒せば、ここから抜け出せます」
「なら、君も同じ侵入者ってことになるんじゃないか?」
「私は……」
「じゃあ、どうして君と同じ姿なんだ?」
問いの答えが返ってこない。
沈黙の時間が流れている間に、侵入者と呼ばれた女子に追い付きそうだった。
「このまま轢けば――」
――とんでもないこと言いやがる!
だが、これが本当に悪夢なのか証明されたわけではない。
やよいの妄言である可能性の方がまだ信じられる。
制服姿が目前に迫った瞬間、天地がひっくり返った。
どうやら車が横転したらしい。
「……怪我は、無いか?」
「まさか、私と同じ能力が使えるだなんて……」
――まだ厨二やってんのか?
道路には障害物は無かったはずだ。
普通車のタイヤがバーストしたところで、ひっくり返るほどの力は無い。
だとしたら――何かの力で車を攻撃された、と考えるしかないだろう。
シートベルトを外し、天井に身体を打ち付ける。
天地が逆さになっているせいで、なんだかややこしい。
既に割れたフロントから這い出て、助手席のドアを開ける。
やよいのシートベルトを外して、抱き抱えるように車から引っ張り出した。
お互いに怪我が無いことを確認していると、車を何かが叩くような音がする。
気付けば、やよいによって強引に伏せさせられていた。
「――顔出さないで!」
遠くから聞こえる連続した破裂音。
時々、風切り音が耳元を掠める――
――これ、まさか銃撃?
割れたドアミラーの破片を手に取り、物陰からそっと様子を窺う。
こちらに向かってゆっくり歩いてくる黒い人影の集団、その手には銃らしきものが握られていた。
「あれはいったい……」
「侵入者の防御反応――――私の後ろに居て!」
車に向けて手を翳すやよい。
すると、ゆっくりとひっくり返った車が宙に浮く。間もなくして、何かに弾かれたかのように車が飛んでいく。
そして、黒い人影の集団を巻き込み、撃退した。
「追うわよ!」
「ま、待ってくれ!」
駆け出すやよいを追って、俺も走る。
途中でまた、あの黒い人影集団に足止めされてしまった。
近くにあったブロック塀に身を隠し、様子を窺う。
「これで自分の身を守って」
やよいが手にしていたのは、黒い人影が手にしていた拳銃。
見覚えのある造形――だが、それが何だったかまでは思い出せない。
「俺、銃なんか撃ったこと――」
「――大丈夫、あるから」
突き出された持ち手側を握り、やよいから拳銃を受け取る。
握り心地、重み、何故だか初めてでは無いような気がする。異様なほどにしっくりくる感触があった。
――どうして、こんな物騒なモノなんかに……?
疑問を浮かべている暇は無い。
銃撃によってコンクリートのブロック塀は既にズタボロだ。
急にやよいが飛び出す。
このままでは銃撃で穴だらけになって、死ぬ。
最初はあれほど不審人物扱いしてきたが、目の前で可愛い女の子が死んでしまうのは……やっぱり、嫌だ。
――でも、俺には……
気付けば、身体が勝手に動いていた。
遮蔽物の穴から覗き込むようにして、拳銃を構え――引き金を引く。
破裂音、閃光、衝撃。視界の先で倒れる人影。
すぐに身を隠し、体勢を立て直す。
――あれ、今……俺は何をした?
引き金の重さ、手元から伝わって来た反動の感触がまだ残っている。
そして――遮蔽物から飛び出したやよいは、無事だ。
「一気に攻め込むよ!」
「ああ!」
やよいが駆け出す。
俺は倒した黒い人影から拳銃を奪い、さらに撃ち込む。
足止めしていた集団は次々と倒れ、制服の後ろ姿に追い付きそうだった。
だが、急に頭痛が始まる。
頭が割れそうな痛みで立っていられなくなり、俺は膝を着いていた。
やよいが心配してか、駆け寄ってくる。
しかし、その足音は1つではなかった。
すぐ目の前に、あの制服が見える。
やはり、顔はやよいとそっくりだ。
「シロタさん、私を……殺してください」
激しい頭痛で視界が霞む。
制服姿のやよいは、その声は……震えていた。
「ええ、もちろん。そのために私はここに――」
「シロタさんが苦しんでいるのに、私は耐えられない……」
目の前にいた制服姿のやよいが屈む。
その顔が、涙で濡れた頬が――すぐ、目の前にあった。
「私は、好きな人を苦しめたくない。だったら死んだ方がマシ」
「やっぱり、そうなんだ」
制服姿のやよいが俺の顔を、頬をそっと撫でる。
何がどうなっているのか、よくわからない。
頭痛のせいか、頭がよく回らない。
「お願い、本物のわたし。シロタさんを――助けて」
「偽物のアンタなんかに言われなくても、やるわよ」
目の前にあるやよいの顔が、強張った。
徐々に力が抜けたように体勢を崩していく。
彼女の胸を、棒状の何かが貫いていた。
そして、手や身体を真っ赤に染めた……彼女が立っている。
「帰りましょう。
「……やよい?」
頭痛が和らぎ、なんとか状況を認識できるようになってきた。
「侵入者」と呼ばれていた制服姿の彼女を、やよいは殺した。
どこかに落ちていただろう鉄パイプ、それで胸を貫いて……
「私の名前、きちんと覚えていてくださいね」
「――えっ?」
ショッキングな光景、瓜二つの死体と殺人者。
これは彼女が望んでいた結末なのだろうか……?
「私の名前は――
「名前がどうしたっていうんだ」
俺の問いに彼女は笑う。
血だらけで、目の前に自分が殺した死体があるというのに――
「あなたのことが好きな、女の子の名前ですよ」
そう言って、村崎 弥生は微笑んだ。
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