第17話:終わらない悪夢

 鼓膜を破らんとするほどの騒音。肌にまとわりつくような室温と油煙。

 ただ突っ立って、加工機械が仕事を終えるまで見張り、次にやることを考える。


 耳障りなブザーが鳴り、俺は加工機械の扉を開けた。

 回転砥石によって切削された加工品を内部から取り外し、次の品物を取り付け。

 扉を閉め、ボタンを押す。


 パーツクリーナーやら溶剤やらで完成した品物を洗浄し、各部の測定。

 これを毎回にやらないといけない。

 そして、設計図面の条件になるように設定数値を調整し、加工に反映。


 

 数時間後、工場内に響き渡るチャイム。

 それを聞いて、俺はようやく解放されると思った。


 だが、上司がニヤニヤしながら現場に入ってくる。

 きっと、今日も残業やらなにやらを指示してくるに違いない。


 案の定、残業。

 無理難題な納期、慢性的な人手不足、劣悪な労働環境。

 田舎じゃ、当たり前。


 ブラック企業だ、と声を上げても働く場所の少ない地方ではそれが当たり前だ。

 そこから逃げても、次も同じ。

 だから、諦めるしかない。



 日が暮れるまで仕事を続け、ようやく解放された。

 車に乗って、家に戻る。

 そこで親の愚痴や兄弟の粗雑さにうんざりしながら、夜を過ごす。


 

 眠りたいが、眠れない。

 市販の薬では、とてもじゃないが寝付けない。

 だが、心療内科やメンタルクリニックに通院しようものなら、家族だけでなく近所の人達からも白い目で見られてしまう。


 俺の親は、何故かそういった体面をよく気にしていた。

 だから、きっと――俺は、どこかおかしくなっているんだろう。




 ずっと、こんな人生は間違っていると思っている。

 これは、俺の人生じゃないとも考えている。


 きっと、これは悪夢で――眼が覚めたら、ちょっとマシな日常があるはずだ。

 そんな想いが、ずっとあった。




 でも、何も変わらない。

 毎日のように、決まった時間に出勤して、決まったようなミスをして、決まったように残業をさせられ、決まったように家族に振り回される。


 多分、俺の人生はこんな感じにまま終わるんだ。

 この家族に、この田舎に、この国に、産まれてしまったから定められた人生。

 何も変わらないまま、ずっと続いて。いつしか勝手に終わるんだろう。





 いつも通り仕事をして、珍しく定時で帰れることなった。

 工場の駐車場に行くと、見知らぬ女子がいる。誰かを待っているのだろう。

 どこかの学校の制服を着ているが、地元のそれとは大きく異なっていた。


 駐車場の隅、木陰で腰を下ろす女子がこちらを見るなり駆け寄ってくる。

 遠目ではわからなかったが、高校生くらいだろう。

 だが、靴も服も……汚れていた。



 ――なんだ? 自然の中を駆け回ってたみたいだ。


 俺のすぐ前で息を整える女子、ようやく顔を上げると――いきなり、俺の手を握った。



「――帰りましょう、シロタさん!」



 ――シロタ? 誰だ、それ。



「何言ってるの? 俺はシロタじゃないよ」


「あー、ええと……こいずみ、さんですよね」


 ははは、と乾いた笑いを零す女子。

 だが、俺は彼女を見たことすらない。



「ごめん、君は……だれ?」


 俺の言葉に、女子高生が驚く。

 数秒、考え込むような顔をしていた。


 俺は彼女の手を振り払い、自分の車に向かう。



「待って、待ってください!」


 何か用があるのか、また女子高生が追ってきた。

 俺みたいなのが、女に縁があるわけがない。

 ここまで来ると、なんだか不気味だった。



「……あの、私の話聞いてくれませんか?」


「俺、家に帰りたいんだけど」


 徐々に苛立ちが募る、それでも女子高生に怒りをぶつけるほど馬鹿じゃない。



「あのですね、小泉さんはこんな所で働いてる場合じゃないんですよ。早く、小春機動警備に戻りましょう?!」


「こはる……? なんだいそれは」


 再び、何か考え込む女子。一体、何を言い出すのかわからなかった。

 今度は、『あなたと私は前世で結ばれてたんです』なんて言いかねない。

 俺は現世で生き抜くのにやっとだ。見知らぬ女子高生を養うほど余裕は無い。



「私と小泉さんは、同じ職場……同じ民間準軍事会社PACで働いてたんです。一緒に戦ってたんです」


 ――なんだ? 民間準軍事会社って……



 俺の疑問を余所に、彼女は真剣な眼差しを向けてくる。



「――お願いです、思い出してくださいっ!」


 力強い口調、妄想やら夢物語を言っているようには思えない。

 これは何かのドッキリで……いや、そんなことを仕掛けるような知り合いはいない。

 ならば、彼女は一体……何者なんだ?



 徐々に薄気味悪くなってきた。

 俺のことを知っていて、よくわからないことを言い出す。

 きっと、頭がおかしいし、普通じゃない。



 どう対処すればいいかわからない。

 とりあえず、俺はその場から逃げることにした。


 黙って車に乗り込み、困惑した様子の女子高生を置き去りにして走り去る。

 どうすれば正解だったか、俺にはわからなかった。


 だが、ああいうのは一時的なものだ。きっと厨二病というヤツなのだろう。

 それはいずれ治る。いつかは現実に戻るものだ。




 結局、その日もよく眠れず。

 疲れ切ったまま、次の出勤日を迎えた。


 いつも通りの仕事、いつも通りのミス、加工機械の排熱でじっとりとした室温。耳が痛くなるほどの騒音と振動。

 頭がおかしくなりそうだ。何も考えられない。


 上司や同僚から嫌がらせのようにしつこくミスを言及され、うんざりする。

 改善、振り返り、そういった名目で毎日行われる罵倒。

 それをどうすることもできない。ただ耐えるだけだ。


 

 そして、今日もまた日が暮れるまで残業。

 肉体と精神が疲弊した状態で工場から出る。当然、外は真っ暗だ。


 自分の車に向かうと、不意に視線を感じた。

 周囲を見回す。視界に入るのは木々と山肌、この工場は山の中に立てられている。

 当然、周りは木と茂み、それと坂だ。


 携帯端末のライトを点灯し、よく観察してみると木の陰に誰かいるようだった。

 いや、気のせいだ。きっとそうだ。


 誰かいたところで、何か起きるでもないだろう。

 俺なんかにつきまとうなんてことがあるわけない。


 

 ふと、先日の女子高生らしき子のことを思い出す――


 ――いやいや、あれは……ただの厨二病だろ。


 だが、気になるのも事実だ。

 もし、彼女だったなら文句の1つでも言えばいい。



 ライトを点けたまま、坂を登る。

 茂みを掻き分け、人影が見えた位置に近付くと――物音がする。

 

 携帯端末のライトでその方向を照らすと、見覚えのある制服姿があった。

 その姿を追うが、すぐに見失ってしまう。

 間違いなく、先日の女子高生だった。


 

 ――まったく、何者なんだ?


 妙な妄言を吐き、俺につきまとう。

 目的がわからない。30代でぐうたらしている俺みたいな男を誘惑して、何のメリットがあるのだろうか?

 こんなクソ田舎で美人局はありえない――


 考えてもわからないものはどうしようもない。

 だから、考えないことにしよう。


 ――どうせ、何か起きるわけじゃない。


 今日もまた、満足に眠れない夜を過ごす。

 家の近くにあの女子高生がうろついているかもしれない。

 でも、家族は気にしないだろう。


 彼女の運が悪ければ、パトカーの巡回や近所の住人に通報されて、警察に逮捕――補導されることになる。

 しかし、俺には関係無いことだ。



 そして、また翌日。

 俺は出勤して、工場で働く。


 何も変わらない。

 少しも楽しくない。


 俺の世界は、いつもと同じだ。



 


 


 


 


 


 

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