第10話:戦う者、戦うことを選ぶ者

 戦闘員オペレーターに昇格して、訓練内容も大きく変わった。

 射撃場で銃を撃ちまくることが当たり前になったし、毎日の基礎的なトレーニングは前よりもずっと負荷が強いものになっている。


 調査員だった時のトレーニングはまあまあ付いていけた。

 だが、今は全くだ。自分の肉体が軟弱かを思い知らされる。



 まずはとにかく、体力が無かった。


 毎日、社内で行うトレーニングは任務中を想定したものが多い。

 装備を着込み、訓練用のダミーガンを手にして走ったり飛んだりだ。

 俺にはまず、そもそもの体力が無い。それを改善するにはもっと身体を動かす必要があると考えた。




 ――だからって、早朝に走り込み……か。


 思いついたのは、ランニングだった。

 社内ではトレーニング時間外の施設利用や機材使用は認められていない。

 仕事は任務以外にもたくさんある。ずっとトレーニングだけされることを防ぐためなのだろうが、そのせいで自主的なトレーニングというのができなかった。


 毎日決まったことをして、毎日同じような結果のままでいい……という状態でいるつもりはなかった。

 それでは、中高生の『ブレイブユニット』の負担を増やす結果にしかならない。

 死にたくはないし、ガキたちを危ない目に遭わせたくない。

 そのためには、少なくとも戦闘員のトレーニングを当たり前にこなせる以上の身体能力を発揮できなければならないはずだ。



 ジャージ姿で基地の敷地を出る。早朝の静かな住宅街を駆け抜け、自分の荒い呼吸音とアスファルトを蹴る足音に辟易しながらも思考を空っぽにしようと試みた。

 体力がクソほど無い自分を恨めば、際限なく暗い思考に引きずり込まれてしまう。

 そのために何も考えず、汗を流し、身体を酷使する以外の方法を思いつかない。


 

 しかし、走り出していくつかの区画を過ぎた辺りで息切れしてしまった。

 足は前に出るが、全くペースは保てない。

 ぜえぜえと息が続かず、すぐに足が止まってしまう。

 毎日のように身体を動かしているはずなのに……なんとも情けない。



 足を止め、膝に手をつく。

 吹き出るような汗が顔から滴り、乾いたアスファルトに落ちる。

 

 ――何やってんだ、俺は……

 

 息を整えていると、足音が近付いてくるのが聞こえた。

 不意に振り返ってしまう。

 

 すると、見覚えのある顔がこちらに向かってきていた。

 そして、彼女は――ニマニマと笑みを浮かべている。


「こんな早朝から、珍しいですね。シロタさん?」


 少しだけ早い呼吸のまま立ち止まるのは、中高生の超能力部隊ブレイブユニットに所属しているミヅキだった。学校指定だろう赤いジャージに身を包んでいる。

 深夜も早朝も治安は良いとは言えない。だが、学校に部活、おまけに任務もあるというのに、自主的にランニングしていることに驚きだった。


 若いから体力が余っているのだろう、羨ましい。



「おはよう、ミヅキ……さん」

「――は要りませんよ?」


「……はい」


 顔を上げ、前を向く。

 まだ息は上がったままだが、恥を晒しているよりマシだ。


 足を動かし、ランニングを再開――するが、速度は全く出せない。

 呼吸が続かず、膝が上がらない。序盤に飛ばしすぎたせいだろう。

 よたよたと足を動かしていると、わざとらしく膝を上げるようにミヅキが並走していた。


 すぐ隣に待ち構えている小悪魔的な笑顔を、俺は直視したくない……



「どうしたんですか? 早朝にランニングなんて」


「君は毎日走ってたりするの?」

「もちろん、小さい頃から欠かさずに走ってます!」


 すぐ真横で眩い笑顔が咲いているのだろうが、見るわけにはいかない。

 見てしまったら……きっと、心を折られてしまう――


 自分より倍くらい若くて、しかも女子。そんな相手が自分より体力があるという現実に、さすがに耐えられる自信なんてものは持ち合わせていなかった。


 ――まぁ、ガキの頃から真面目にスポーツなんてやってこなかったしなぁ。



「何か理由でも?」


「特に無いさ」


 子供の君たちを戦わせたくない――なんて、大人の俺が言ったところで笑われるだけだ。

 それを前面に出しても何も救われない。

 出来るようになってから、そういった言葉の重みが出るというものだ。



「それより休憩しません? バテた状態で続けてもいいことないですよ」


 気付けば、見知った公園のすぐ近くまで来ていた。

 渋々、公園のベンチに腰掛け、身体を休ませる。

 

 ――毎日のように身体を動かしているはずなのだが……どうしてこうも、すぐに体力が無くなっちまうんだろうな。    

 


「シロタさんって、普段から運動してます?」


 深呼吸するように息を整えながら、ミヅキが言う。

 おそらく、ラジオ体操以上の運動はしているはずなのだが。歳のせいか、体力が落ちてしまっている。



「まあ、それなりに」


「じゃあ、なんでランニングなんかを?」



「そういう気分だったんだ」


 息を整えていると、ミヅキもベンチに座った。

 すぐ隣に女子――しかも高校生、傍目から見たら通報されかねないようなシーンと誤解されかねない。


 ――さすがに早朝なら大丈夫か……?


 この地区では早朝に出歩く人は少ない。

 俺は別にいいが、彼女が学校生活で大変な目に遭わないといいが……




「そういえば、送迎担当から外れたんですか? 最近は見なくなったと思ったんですけど」


「ああ、昇進したんだ」


 俺の言葉に、ミヅキは面食らったような顔をして固まった。

 そんなに意外だったのだろうか……?



「あー、すみません。そういうのがあるって初めて聞いたので」

 苦笑するミヅキ。

 

 確かに、それぞれ専門職であるため調査員と戦闘員を掛け持ちしたり、どちらか一方しかやらないはずだ。

 だから、俺のように職種を変えるのは珍しいだろう。


「でも、オペレーターって危ないですよ? この間みたいに大変なお仕事ばかりですし」


 彼女の言うように、戦闘員は銃を手に戦う仕事になる。

 正直、怖いし、面倒くさい。それでも何もしないよりはマシだ。




「まぁ、給料が上がるし。それに……」


 改めて、ミヅキを見た。

 ごく普通の女子高生。そんな彼女が命を危険に晒して、誰かのために戦い続ける。

 それを『良き行い』と言う人はいるだろうが、俺はそうは思わない。


 治安が悪くなって、働くのでさえ大変な時代。

 俺達みたいな大人は働かなければならないが、学生の間くらい遊び回っていたっていいはずだ。

 大人のために貴重な時間や体力を使うべきじゃない――




「君たちが大事な時間を使って戦ってるのに、何もできない自分が情けなくてね」



「……この前のこと、気にしてたんですか?」



 送迎した先でキマイラと戦ったこと。

 あれは確実に、俺の価値観を――意識を変えた。


 拳銃1つでは何も変えられない。

 それでも、戦おうとする意思で運命を変えることができる――と、ちょっとだけ思った。

 だから、こうしてと抗っているわけなのだ。




「でも、私たちは自分の意思で戦ってるんです。強制されてるわけでもなく、お金のためでもない。……これは、私の使命みたいなもんだと思ってます。私にできること、私に求められてるもの……」


 ――いや、それは違うだろ。


 喉元まで言葉が出掛かって、止めた。

 ミヅキが抱えているのは陶酔だ。誰かのために、世のために、誰かが言ったことと真に受けて、それが本当だと信じているのだろう。

 世の中にはそうやって人を騙すような連中が山のようにいる。


 少なくとも、善意的ではあるが『小春機動警備』も彼女を利用しているに過ぎない。



 だが、その高潔さは大人になってからでは得られない。

 それはミヅキの強さを証明するものでもあるだろう。


 同時に、思慮が浅い言動でもあった。



「だが、それは……生活を家族が支えてくれているから、そう考えられると思うんだ。生きるためにお金が必要で、毎日を当たり前に過ごすにはもっとお金がいる。君のそれは仕事でも、使命でも無いよ。もちろん、ことでもない――」


 そう、これはただの厨二病と同じ。

 自分は特別、自分だけの使命――そういった思い込み、妄想。

 彼女の場合は実力と実績、本当に任務があるから厄介だ。



 ――説教臭くなっちまった。


 俺みたいな怠惰な大人なんかに物申されても不快なだけだろう。

 ミヅキはしっかりしてるし、俺なんかよりすごいことをしている。そんな彼女に説教垂れるなんて……まさに、オッサン仕草じゃないか……



 俺の言葉にミヅキは反論しない。ただ、苦笑して話を流した。

 わざわざ何度も説教するつもりは、俺には無い。

 とりあえず、ランニングを再開。町内を適当に走って基地へと戻ってくる。


 そして、ミヅキは『お疲れです』と端的に挨拶して分かれた。

 

 気まずさと後悔、彼女に対する申し訳なさで頭がいっぱいになる。

 それでも俺は、情けない大人でいるつもりはなかった。


 今日もまた、俺は……くたばるかと思うほどのトレーニングをこなして、気絶するように眠りに落ちる。

 何度繰り返せば、人を守れるだけ強くなれるのだろうか。

 それがわかっても、きっとと思い知らされることになるはずだ。 



 何も考えないわけにはいかない。

 現状を変えるには、やはり身体を鍛える以外は無い。



 翌日の早朝、基地のゲート前にミヅキの姿があった。

 どうやら、またしてもつきまとわれることになりそうだ。


 

 女子高生にからかわれながら、俺は走る。

 この小悪魔的な女子を、危険から遠ざけられるように――まともな大人でいるために、それを忘れないために。


 今この場で醜態を晒しても、俺は諦めるつもりは無かった。

 

 


 

 

 

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