第7話:決断
空は暗い雨雲が覆い、風と雨が車体を揺らす。
そして、いつものように中高生を現場に降ろした。
「ブレイブユニット、到着です」
俺が耳に付けたインカムに向けて行った矢先、遠方で爆発が見えた。
雨が降る中でも赤い炎と黒煙がはっきりと視認できる。
「行くぞ!」
少年の言葉に応じるように、後部座席にいたメンバーがぞろぞろと車から降りていく。
その中の1人と、視線がぶつかる。
真っ黒な戦闘服に身を包み、片手剣を手にする彼女がスライドドアを締めようとしていた。
ハッとした様子の彼女――ミヅキに、声を掛けるべきか迷ってしまった。
だが、頭で考えるより先に口が勝手に言葉を紡ぐ。
「大丈夫か?」
いつだかのように、顔色が悪いままの彼女。
それを誤魔化すように、苦笑いの表情をしてみせた。
スライドドアが締められ、彼女はチームメンバーの後を追うように走り出す。
――もっとマシな言葉があっただろうがよ……
もしかしなくたって、怖いに決まっている。
大人だって死ぬような現場で平常心を保つのがどれだけ大変なことなのだろうか。それを想像することさえ、俺にはできない。
ここから見えるのは、既に使われていないボロボロの港。
その倉庫郡で戦闘が行われているのが、ここからでもわかる。無線を聞かなくても苦戦しているのが理解できた。
だから、中高生のガキ――『ブレイブユニット』が駆り出されているのだ。
ガキ共の背中を見送り、任務が終わるのを待つだけとなった。
雨風に晒される続けるわけにもいかないので、運転席に戻る。
だが、何もしないというのもそれはそれで窮屈だった。
身体を動かしていられたら、悩む暇が無くなって都合が良い。
しかし、この悪天候で支給品のスーツを汚すわけにはいかなかった。
いくら防水加工をされているとはいえ、防弾繊維というのは水に弱いというのが常識だ。さすがにずぶ濡れになるのは避けた方がいいだろう。
――本当に、何やってんだろうな。俺は……
少しでも現場の状況を知るべきだ。
やっと気持ちが前向きになり余裕が出てきた。
無線機を操作。こっそり調べていた作戦時用の周波数に設定してみると、そこから流れてくる内容はあまり良いものではない。
飛び交っているワード、声色、そこから察するに苦戦しているようだった。
戦っている相手は『キマイラ』と呼ばれているらしい。
――キマイラ、架空の怪物か。
たしか、神話に出てくるヤツだった。
ライオンの身体にヤギの頭も生えて、尻尾がヘビという珍妙な姿。どうやったらこんなマヌケなクリーチャーを思いつくのだろうか。考えた人間の頭の中を覗いてみたいものだ。
もちろん、ただの呼称であって、そんな化け物と戦っているわけがない。
多分、そういう名前の猫とかいるんだろ……きっと。
遠くの方で何かが崩れた音がした。
地響きも伝わって来て、車を揺らす。
怪獣が暴れているんじゃないかと思うような事態になっている。この目で確かめてみたい気もするが、そんなことで死ぬわけにはいかない。
そういえば、国民的SFロボットアニメの中にもキマイラの名を冠する部隊があったなぁと思い出していた矢先、車の近くで物音が聞こえた。
足音、それにしてはやたらと重い音だった。
ドアミラー、ルームミラー、異常なし。
周囲を見回しても、何も無かった。
――まさか、冗談だろ。
俺はゆっくりとドアを開け、車から降りる。
雨風に晒されながら、周囲を確認。
車から離れた場所、駐車場の外れにそいつはいた。
遠目からでもその体躯と特徴がはっきりと確認できる。獅子の身体に山羊の頭が生え、尻尾は毒蛇。それは紛れもなく、神話の怪物「キマイラ」
車の陰に隠れ、様子を窺っているとキマイラは真っ直ぐ彼方を見つめていた。
その方向は絶賛戦闘中、ブレイブユニットが向かった現場の方向だ。
――マジかよ、本当に怪物が出やがった!
物音を立てないように車内に戻り、無線を操作。インカムのボタンを押しながら俺は叫んだ。
「――車の近くに、化け物がっ! キマイラが出た! どうすればいい!?」
だが、応答は無い。
他の周波数を試してみるが、こちらの通信に反応する余裕は無さそうだ。
――畜生、どうすりゃいいんだ!?
何か使えるものはないかと、運転席と助手席の収納を探す。
すると、ダッシュボードの一部に鍵穴を見つける。手持ちの鍵は車のキーくらいなものだ。
物は試し、車のキーを差し込んでみるとあっさりと解錠。
起き上がった取っ手を持ち上げてみると、何かのケースが現れた。
頑丈そうなブラックケース、それを助手席に置く。
――これは、なんだ?
ダッシュボードに無理矢理収めたケースは重厚感があったが、ロックはされていない。このまま開けられそうだ。
しかし、開けてもいいのだろうか……?
――クソ、なるようになれ!
ブラックケースのロックを外し、開封する。
その中身は……大型拳銃だった。
手に取ってみると、それが普通の拳銃ではないのがすぐにわかった。
弾倉が無いから、おそらくリボルバーだろう。
しかし、回転弾倉が露出していない。銃身も長く、フレームもしっかりしている。マグナムリボルバーだと思うが、既存のそれとは形状が大きく異なる。
おまけに一緒に入っている弾薬もまた奇妙だ。
拳銃弾のような形状とは程遠い。先端だけ色が違うし、薬莢も長い。
これではまるで、狩猟用ライフルの弾みたいだ。
しかし、こんなものであの……巨獣キマイラを倒せるとは微塵も思えない。
車の中から様子を窺うと、キマイラはのっしのっしと部隊が向かった方向に向かっている。
少し歩いて、建造物――倉庫らしき建物の前で立ち止まった。
身を屈める姿勢、それはまさに跳躍しようとしている猫のようで――
――このままだと、部隊が……やられる!
キマイラ1匹に苦戦している以上、それが2匹になったらどうなるかなんて考えるまでもない。
いくらブレイブユニットが戦力として優秀だったとしても、こんなのを片付けるのに苦労するのは明らかだ。
脳裏に彼女――ミヅキの笑顔が浮かび上がってきた。
それが無残に引き裂かれ、臓物や骨を曝け出した無様な姿を瞼の裏に描かれる。
こんなのはただの想像――イメージでしかない。でも、ここで何もしなければ現実になってしまう。
――ガキ達の命より、俺なんかの方が……!
今の時代は生き辛いだろう。
でも、未来があるヤツらを死なせるほど……俺は自分勝手になれない。
車から飛び出し、キマイラに拳銃を向ける。
このまま人差し指に力を入れれば、銃弾が発射されてキマイラの気を引くことができるだろう。
しかし、その先は……?
――これまでの人生、悩みに悩んで生きてきた。それの結果が……今だ。
考える時間は無い。考えていたって仕方無い。
きっと、俺1人の命の価値なんて大したことがない。
俺が身代わりになって、ミヅキやブレイブユニット、先輩方を助けられるのなら――俺の人生史上、最も凄いことをしたことになるんじゃないだろうか。
人差し指に力を入れ、
銃口の先から強烈な閃光が迸る。同時に強烈なパンチを食らったような反動が手元から伝わってきた。
跳ね上がる銃口、発射炎で焼き付いた視界。その向こうにこちらを向く山羊の頭が見える。
そして、獅子の身体ごとこちらに向き直った。
獅子の頭が牙を剥き出しにしながら咆哮を轟かせる。
尻尾の蛇が威嚇する鳴き声も一緒に聞こえた気がした。
――逃げないと。
俺は背を向け、走り出す。拳銃を手放さなかったことだけは自分を褒めたい。
すぐ近くの倉庫郡、工事現場へ逃げ込んだ。
後ろから地響きと共にキマイラが追ってきているのがわかる。振り返って確認するまでもない。
建造中の建物の中を駆け抜け、足場の下を通り抜ける。
すぐ後ろで何かが崩れる音がした。反射的に振り向いてしまう。
眼前に2つの牙、細長い舌、金属に似た光沢を放つ身体――気付けば、それに向けて拳銃を撃ち込んでいた。
撃鉄を親指で起こし、引き金を人差し指で引く――それを頭で考えず、身体が実行する。自分でも信じられなかった。
噛み付こうとしてきた蛇の尻尾は無残に吹き飛び、ズタズタになった蛇の部位だけが伸びてきていた。
――俺が、やったのか。これ……
気付けば、拳銃を両手で構えている。
日々の訓練も無駄じゃない、明確な手応えが感じられた。
蛇の身体――頭を失った尻尾が物陰へと引っ込んでいく。
すると、今度は本体の方が現れた。
ゆっくりと歩きながら、獅子の頭と山羊の頭がこちらを睨んでいる。
再び拳銃を構え、照準越しにキマイラ――山羊の頭と視線が重なる。
撃鉄を起こし、引き金を引く――が待っていた反応が無い。機械的な虚しい動作音がしただけだ。
――弾切れかよ!!
空撃ちの音を理解したのか、俺の表情から察したのか、キマイラが距離を詰めてきた。
それに対して、俺は……やっぱり逃げるしかない。
さすがにホラーゲームの主人公やアクション映画のヒーローみたいに、敵を前にしてリロードアクションができるほど肝は据わっちゃいない。
それに、この銃はついさっき初めて触ったばかりだ。そんなのでやれるはずがない。
あえて狭いところへ逃げ込み、キマイラからの攻撃を避ける。
凶悪な尻尾を排除できたおかげで、狭いところには対処できないようだ。我ながらナイスな反射行動だった。
雨で重くなったスーツとワイシャツ、馬鹿みたいに大きなリボルバー拳銃、疲労と酸欠で回らなくなってきた思考と体力。
ここで立ち止まれば、あとは食われるだけだ。
――クソ、部隊のいる方向からは離れているんだ。時間が稼げれば……!
積み上げられたコンテナの間を走り抜け、キマイラから距離を取る。
少なくともここまで来れば、息を整えるくらいの猶予はあるはずだ。
コンテナの陰で拳銃を見回す、適当に触っていると当たりのボタンに触れたらしい。回転弾倉の辺りでフレームが折れ、弾倉部分が露出。雷管に穴が空いた薬莢が見える。
空薬莢を排出し、ポケットに入れていた弾薬クリップ《ローダー》を使って再装填。フレームを元に戻し、ロックを掛ける――これで発砲可能だ。
拳銃を握り直していると背後で物音がした。おそらく、キマイラが追ってきたのだろう。
早くこの場から移動しなければ……
コンテナの陰から飛び出すと、大きな影が俺を追い抜いていく。
そして、衝撃と風圧と共に獅子の身体が着地。
山羊の頭と獅子の頭、4つの目が俺を捉えていた。
――畜生、追い付かれた。
拳銃を構え、撃鉄を引き起こす。
人差し指を引き金に掛けるが、手の震えで狙いが定まらない。
今からコンテナの影に逃げても、追い付かれてしまう。
いくら尻尾に毒蛇の頭が無くても、尻尾自体の質量で潰すことはできる。
それに、いくらコンテナ同士の間隔が狭いからといっても手が入ってこないほど狭いわけではない。
――やっぱり、死ぬのか……俺。
どうせ死ぬなら、少しでもダメージを与えてからにしてやる。
荒い呼吸、震える手、雨で奪われる体温と体力。残った力を振り絞るようにして、引き金に掛けた人差し指を動かす――
閃光、破裂音、衝撃。
その次の瞬間、山羊の頭が砕けた。
それと同時にどこからか飛んできた鉄骨が獅子の身体を貫く。
噴水のような赤い体液――血を振りまいて、キマイラがよろける。
銃弾のように飛んできた何かが、獅子の頭に深々と突き刺さった。
そして、走ってくる足音が聞こえてくる
キマイラの頭に刺さっているのは、コミックやライトノベルのキャラクターが握っていそうな近未来SFチックな形状の武器。それはブレイブユニットのメンバーが装備しているものと同じように見えた。
――そうか、勝ったんだな。
誰かが駆け寄ってくる。
それが何者かを認識するより先に身体の力が抜けて、そのまま倒れてしまう。
立たなければ、と思っているのに身体は動かない。
強い雨と荒れた波音、誰かが《シロタ》を呼んでいる。
だが、俺は限界だ。怪我すらしていないのに、意識が落ちそうだった。
後頭部に硬くもなく、柔らかくもない感触――どこか懐かしい感じ。
すると、顔に雫が落ちてきた。多分、雨だ。
視界の半分に、見覚えのある顔が映り込んでいる。
それが無事なことに、俺はすっかり安堵してしまった。
最悪の結末は避けられた。それならどうでもいい。
《シロタ》と本名じゃない俺の名前を呼ぶ彼女の声を聞きながら、瞼を閉じた。
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