第4話:尾行は隠密に

 会話、笑い声、靴音、イヤホンから漏れる音楽、アスファルトを擦るタイヤの悲鳴。街はいつも通り騒がしい。


 春から夏へと移り変わり始める気候、さすがに防弾繊維を編み込んでいるブラックのスーツでは暑苦しかった。


「〈シロタ〉、集中しろ」


「――はい、たいちょっ……ロックさん」

「目を離すな」


 すぐ隣に隊長――俺の所属している準軍備会社PACの実質的な責任者がいた。

 そして、俺達はある女の子を追っている。……今、尾行の真っ最中だ。



 これは博士からの命令。

 どうやら、先日の『ブレイブユニット』という超能力を持つ中高生の部隊はこうやって尾行してから、勧誘するらしい。

 拉致、誘拐、本来なら逮捕されるべきそれは「本人が通報しないならOK」という軽犯罪以下の扱いになっていた。


 現在の日本では、突発的な銃撃事件なんて珍しくもない。

 銀行強盗なんてレガシーな事件は滅多に起こらないが、ご近所トラブルだの私怨だの理由は様々だ。

 だから、日本にもアメリカみたいに各県警察に戦術部隊SWATが創設される事態になっている。

 アメリカでよく嫌がらせで使われていたSWATへの虚偽通報――スワッティングと呼ばれるそれも、今の日本では当たり前に起きていた。


 ――白昼堂々と女の子の尾行、まるで犯罪者組織だな。


 

 とんでもない会社があったもんだ、と苦笑してしまう。

 しかし、入ってしまったからにはやるしかない。逮捕されないことを祈るだけだ。



「しかし、なんでこう……こんなマネしなきゃいけないんすかね。芸能界のスカウトみたいに名刺渡すんじゃダメなんです?」


 思わず口から飛び出てしまった愚痴。

 咄嗟に取り繕う言葉を探そうとしていたが、意外にも隊長から圧は感じなかった。



「自分に特別な力を持ってるなんて言われてみろ、それを使いたくなるってのが思春期のガキの思考回路だ」


 ――たしかに、厨二病真っ盛りな時にから言われたらその気になっちまうよなぁ。


 腕に包帯巻いたり、眼帯付けたり……それをリアルにやり出しそうな予感さえある。自分はそういう思春期を送ってないが、今でもそういったことをしてる子がいるとニュースで話題になっていた。



「それにな、そういうガキ狙ってるってのは他にもいるんだよ」


「それ、俺達のことじゃないですよね?」

「……あのな、公の場でそういう事を口走るんじゃねぇってわからねえのか」


 隊長の鋭い眼光が向けられる。

 視線だけで射殺すとは言うが、隊長のそれは本当にそれができそうだ。

 おそらく、ペットのモルモットくらいだったら威圧するだけで殺せるのではないだろうか。

 全身タイツでマント付けてるコミックヒーローが目から放射線を出すように、隊長の目からは非可視のレーザー光線が出るのかもしれない。




「それに、そういうっつーのは手当たり次第に手を出すもんだ。こうやって見張るってのも正義の味方の仕事だ」


「はぁ……そうですか」


 一応、説明は受けている。

 『教団』と呼ばれている組織が、超能力を持つ中高生を誘拐していること。

 今回の尾行はあくまで、対象の中高生の身元や所在を突き止めるのが目的であること……頭ではわかっているが、尾行という行為の反社会性――つまり、犯罪であるということがどうしても気になってしまう。



「それにな、尾行は対象に気付かれなければ犯罪にならない」


「いや、その理屈はおかしいでしょ」


 だったら、全ての犯罪がその理屈で無罪になってしまう。

 いくら凶悪犯罪が増えたからって、軽犯罪を甘く見るのは間違いだ。



「お前はこのまま付いていけ、こっちは回り込む」

「えっ? 俺ひとりっすか」

 隊長はそのまま人混みに紛れて見えなくなってしまった。


 簡単な尾行の練習をしているから、なんとなくやれる自信はある。

 ずっと同じ状態で尾行を続けると、対象から覚えられてしまって尾行に気付かれる。

 どこかで離れたり、パターンを変えることで気付かれにくくするという手法だ。



 ――まいったな。


 仕事だからこのまま追い続けるが、正直気乗りしない。

 遠巻きに尾行対象の女子高生を目で追いながら歩く。ただ前を見ながら、ボーッとただ歩く。


 対象の女子高生がどこに行くかはどうでもいい。

 ただ、耳にイヤホンを付けているせいか、俺の尾行に一切気が付かないというのだけが救いだ。



 しばらく歩いていると、通りに面した本屋が見えた。

 そういえば、最近はすっかり本を読んでいなかったことを思い出す。


 小さな頃から映画と読書が趣味だった。

 それは両親どころか、家族全員がそれに全力で傾倒していたからだ。

 毎日のようにマンガを読み、週末はテレビや映画館で映像作品を楽しみ、休日はのんびり小説を読む。


 1人暮らしをしてから、何かにどっぷりと時間を掛けることがなくなっていた気がする。

 

 ――今、どんな本があるんだろうか。


 つい最近まで、書店が世界から無くなるかもしれない、という嘘みたいなニュースが議論を呼んでいた。

 俺もにわかには信じられないが、街の書店どころか大手書店すら店舗を持たなくなっているらしい。

 いつしか、読書という行為そのものが失われるだろうとコメンテーターが語っていたのを思い出す。



 呆然と本屋の店構えを眺めながら歩いていた。

 すると、本屋から出てきた人物と目が合う。

 小柄で見るからに元気いっぱい、ショートの黒髪、その女の子の印象は……初めてではなかった。



 ――み、ミヅキ……?!


 

 超能力を持つ中高生の部隊「ブレイブユニット」の一員である女子高生。

 その中でも、活躍している隊員だ。


 俺は見なかったことにして、歩みを止めずに前を向く。

 すると、俺の横を駆け抜け、前に回り込んできた。



「おつかれさまでーす!」


 元気いっぱいに笑顔を咲かせるミヅキ。

 今、尾行という犯罪行為に手を染めている俺には、とても眩しすぎる。



「や、やぁ……どうも、ミヅキさん」


「呼び捨てで大丈夫ですよ」


 微笑みながら俺の隣を歩き出す。

 しかし、彼女に構っている余裕は無い。


 まだ尾行対象の女の子は見える距離にいる。

 なんとか尾行は続けられそうだ。



「今って、お仕事中ですか?」


 すぐ隣から聞こえる声に、俺は律儀に反応してしまう。

 俺より背の低い女子、また視線が重なっていた。



「ああ、うん……今仕事中だから、また今度にしてくれます?」


「あー、そうだったんですね」

 表情が曇るミヅキ。生真面目そうな印象を持つ彼女なら、きっと察してくれるはず。

 そう思っていたのだが――




「じゃあ、どんなお仕事してるか、当てましょうか!」

 

 ――勘弁してくれ!


 俺の胸中に掴んでいるかの如く、彼女は構ってくる。

 勘弁してほしいところだが、無下にするわけにもいかない。

 なにしろ、彼女は俺なんかよりも危険な目に遭っている優秀な隊員なのだ。


 別に嫌われるのは構わない。

 だが、俺という存在がストレスになって、任務に支障になってしまうのは大問題だろう。

 ただでさえ、送迎で顔を合わせる機会があるのだから、ここで関係を悪化させるのは良くない。




「街中で出来ることって限られますよね」


「ええ、そうですねぇ……」


 楽しそうに微笑む彼女が、今は悪魔のように見える。

 俺の任務を失敗に導く、敵だ。


 なんとかしてミヅキを追い払う必要がある。

 しかし、隊長や先輩方に助けを請うものなら……きっと、厳しい叱責が待ち構えていることだろう。



 ――なんとかしなければ……!


 尾行対象の女子高生から目を離さないように前を向いていると、再びミヅキが視界に入ってくる。

 生真面目そうな第一印象とは真逆の、悪戯っぽい仕草。本来なら怒りの感情が湧き出るところなのだろうが、今の俺にはそんな余裕すらない。

 焦ってしまえば、不審者扱いされてしまう。それでは尾行は失敗だ。



「わかりましたよ! 今、誰かを追ってるんですね?」


「あんまり大きな声で言わないでね」

 ありがたいことに、周囲の通行人は気にも留めなかったらしい。

 場合によっては通報されてしまう。それだけは避けたい。











  

 

「追ってる人って、どんな子です?」


 ミヅキの問いに、背筋が凍る。

 それを言ってしまえば、確実に尾行しているということが確定してしまう。

 嫌われてもいいが、さすがに犯罪者というレッテルを貼られたくない。いくら俺でも自尊心くらいはある。それを仕事のためにただで捨てる気にはならない。



「誰でしょうねぇ……?」


 ここは誤魔化すしかない。

 だが、よくよく考えて見れば、彼女も同じく尾行されていたはずだ。



「ヒントくださいよ~」


「ノーヒントです」

「ケチ!」


 このまま女子高生とじゃれているわけにはいかない。

 尾行というのは、対象に意識されてはならないのだ。

 意識するということは存在を知覚し、記憶するということ――


 一度記憶されれば、パターンを変えても無駄だ。

 顔や体型を覚えられたら、いくら取り繕っても「追いかけている」ことを隠せない。だからこそ、尾行というのは慎重にやらないといけないのである。



 ――騒がれないように気を逸らすしかないな。


 これ以上、うだうだと絡まれていたら注目を集めてしまう。

 ならばいっそ、彼女が求めているような形で対応するしかない





「そういえば、ミヅキさんって尾行されたことある?」


「それってストーカー被害にあった経験の話してます? あと、呼び捨てでお願いします」

 にこやかに笑うが、語気に圧を感じる。 



「え、と……ミヅキは…………」


「無理しなくてもいいですよ」

 彼女が小さく笑う。それはまさしく、人を魅了する微笑みだった。

 自然で、取り繕っているとは微塵も思えない。

 本当に心の奥底から、面白くて笑っている。そう信じさせてくれるような……



 ――いやいや、落ち着け。見入っている場合じゃない。


 思わず、彼女の表情に視線が吸い寄せられていた。

 慌てて視線を前に戻す――が、さっきより人口密度が増えているせいで対象を見付けられない。



 ――嘘、だろ……!?


 頭が真っ白になって、立ち尽くす。

 たった数秒で、俺は尾行対象の女子高生を見失ってしまった。


 もし、ミヅキが「尾行を失敗」させるために近付いてきたとしたら、100点満点をくれてやりたいほどに見事な働きだ。

 これはもう、諦めるしかない。




「……どうしました?」

 俺が付いてきてないことに気付いたミヅキが駆け寄ってくる。

 怪訝な表情の女子高生を目の前にしながら、俺は耳に付けているインカムのボタンを押して通話を開始した。







「すみません、対象を見失いました」


 インカムから盛大な溜息が聞こえてくる。

 1秒にも満たない沈黙の後、呆れた様子の声色で次の指示が投げられた。


 俺は短い返事をして、元来た道へ戻る。


 背中越しに、誰かの言葉が飛んできた気がしたが……これからキツいお叱りを待っているだろう俺の耳に、一字一句も入ってこなかった。  



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る