第2話:ひきこもりでも出来る「張り込み」の仕事
遠方から自動車の走行音が聞こえてくる。
それでも俺が見ている景色は一切変わらない。
双眼鏡越しに見えるのは、よくわからない建物。
打ち合わせ……いや、ブリーフィングというヤツでは、敵対組織の監視という役割を与えられていた。
監視している施設に出入りしている人間の特徴と人数を記録し、施設全体に不審な動きが無いかを確認する――という仕事を割り振られている。
「何か動きはあるか?」
双眼鏡から目を離し、隣にいる男を見る。
痩せこけた頬、鋭い眼光、狙撃銃を構えている姿に一切の違和感が無い。さっきからずっとスコープを覗き込んだままだ。
「いえ、特に……」
「集中しろ、新人」
冷たい声色に叱責が含まれている気がした。
凝り固まった肩を解すつもりで首を回す。この部屋に来てから、俺はずっと椅子に座ったまま双眼鏡で施設を見張っている。
支給されたビジネススーツ風の制服はとても着心地が悪かった。
衣擦れの音もしないストレッチ生地、防水加工されていて、恐ろしいことに防弾・防刃繊維が編み込まれているらしい。
重いし、肌触りが微妙だし、蒸れる。最悪の制服だ。
「特に動きはありません。午後1時から誰も……」
「――
「……13時から誰も来てません」
あの白衣の女――博士から指示を受けて、とあるビジネスホテルに向かった。
その一室がここだ。楽器ケースに偽装したライフルケースやコンテナが置かれ、ベッドの上であぐらをかいたまま狙撃銃を構える〈クロサワ〉という先輩。
今の俺と同じく双眼鏡を使っていた人と交代してから数時間が経っていた。
「〈シロタ〉、あまり身動ぎをするな。お前の肩ごと撃たなきゃいけなくなる」
「あ、はい」
〈シロタ〉というのは、俺の名前だ。
もちろん、俺の本名は
命名は最高責任者である〈リトルスプリング博士〉が行っているようだ。
契約書にサインした後、すぐに〈シロタ〉と名乗るように言われた。
入社して、早くも後悔していた。
俺が入社した「小春機動警備」という会社は『
国からの認可を得て、重火器や爆発物と防弾車両を運用して仕事を請け負うことができる。クライアントの警護や護送、地域管理局からの要請に基づく治安維持活動、犯罪組織や暴力団等からの要人救出……アクション映画の原作になりそうな業務内容だ。
これらは移民増加による極端な治安悪化、おまけに銃の密造・密輸に警察機関が対処しきれなくなった結果だ。
当初は
そこで自衛隊隊員や警察特殊部隊経験者を集め、海外にあるような「
だから、所属している人員は当然ながら「戦闘経験者」となるわけだ。
――なんで俺なんかをスカウトしたんだ……?
普通なら、明らかに軍人や警官っぽい人間に声を掛けるだろう。
俺は太ってて腹も出てるし、屈強そうに見えるはずもない。
入社早々、このたるみきった身体を絞るために筋トレやらランニングやらをやらされ続けている。それだけじゃ足りないのも事実だ。
「そういや、クロサワさんってどっちなんです?」
「……どういう意味だ?」
「ウチって、警察出身と自衛隊出身の両方が入ってるじゃないですか。だからクロサワさんはどっちだろうって気になったんすよ」
静寂に耐えられなくなったわけではない。
仕事中の雑談はリラックスできるし、情報を得られるチャンスでもある。
それに相手と関係を築くこともできる。場を乱さない限り、雑談をしない理由は無い。
特に大したことを成し遂げなかった人生30年の経験則だ。
「お前はどっちだと思う?」
――面倒くさいパスが来たな……
ライフルに付いているオプションや構え方、話し方、雰囲気、目を付ける所はいくらでもある。
しかし、警察と軍隊の違いを明確に答えられるほど、俺は詳しくなかった。
映画や書籍、インターネットで検索した程度の知識で考えるしかない。
銃の構え方は基本的に軍と警察で変わるようなことは無いはずだ。
それ以外に考えられるとしたら……高圧的な態度や雰囲気が気になるところだが、判断材料としては弱い。
これはもう質問して引き出すしかなさそうだった。
――って、何考えてんだ。俺……
〈クロサワ〉さんと会ったのは初めてではない。
基地施設の射撃場で拳銃の取り扱い方と射撃の指導を受けた。その時から嫌な人だという印象を持っていた。
その時のことを思い返す。
俺はライセンスこそ持っていなかったが、
いきなり分解・組み立てをやらされることは無かったものの、実弾射撃で的に数発しか当たらなかったことが悔しかった。
そして――射撃の手本を見せる、とクロサワさんが撃ったんだ。
両手で構え、身体の中心に拳銃が来るように構える「アイソセレス・スタンス」、足を肩幅くらいに開いて、わずかに腰を落とす――
ふと、その姿勢に違和感があった。
その射撃姿勢はとても正しい。技量が命中精度に大きく関わる拳銃の射撃、姿勢を安定させ、重心が揺らがないようにする。
だが、クロサワさんの構えは……腰を落としすぎているように見えた。
あれでは構えながら歩くことができない。
つまり、それが答えだった。
「……警察、ですよね?」
「なるほど、記憶力は悪くないらしい」
クロサワさんはこちらを見ずに答える。
ライフルスコープを覗き込んだまま、ずっと変わらない無表情だった。
「もしかして、地方
「違う。所属まで見抜けないのなら減点だ」
自衛隊でも警察でもないところから来た人間に、いきなり「職歴当てクイズ」で正解をつかみ取れるはずもない。
だが、地方戦術部隊でないとしたら……選択肢は限られてくる。
日本の警察特殊部隊と言えば、「SAT」と「SIT」だ。
「SAT」は日本最強の警察特殊部隊と言われていて、それは今も変わらない。
ただ、全県に配備されているわけではないので、その下位組織として各県に分散して配備している〈
一方、「SIT」は捜査部隊の一部である。
「SAT」が純粋な戦闘部隊であるなら、「SIT」は戦闘以外も行う『なんでも屋』と言えるだろう。
立てこもり事件といった重犯罪の際に犯人と交渉したり、人質救出といった制圧も行う。
今ではどちらも「SAT」に統合されてしまったが、「SIT」の役割自体は「地方戦術部隊」に引き継がれているらしい。
――ホント、警察ってめんどくさいな。
2分の1で正解だ。
だが、クロサワさんはこれ以上雑談に付き合ってくれる感じではない。明らかに「話し掛けるな」というオーラを発している。
当たり障りの無い生き方を30年もしていれば、人が不機嫌になりそうなタイミングというのをなんとなく掴める。おかげで殺されずに生きている。
再び、沈黙が続く。
このビジネスホテルは良くも悪くもない。
部屋そのものの防音はしっかりしているようだったが、窓の外からは入ってくる。
文字通り、閉じこもることもできそうにない部屋だった。
不意に、背後で物音がする。
双眼鏡を持ったまま振り向くと、そこにはビニール袋を手にしたブラックのスーツを着た男が入ってきた。
「はーい、お疲れちゃん。なんかあった?」
男はそう言いながら、ビニール袋から缶コーヒーを取り出す。
それをベッドの上にいるクロサワさんに放り投げる。安ベッドの上に転がったそれを、クロサワさんはポケットに入れた。
「新人クンもお疲れちゃん」
「……ありがとうございます」
ビニール袋ごと受け取り、席を立つ。
中にはクロサワさんに渡したのと同じブラックの缶コーヒー、それと「あんパン」が入っていた。
「張り込みって言ったら、やっぱりあんパンでしょ!」
「シュガーさん、それはもう古いです。今はプロテインバー」
「だよねぇ。糖分と炭水化物も良いけど、タンパク質も取らなきゃ!」
入ってきたのは〈シュガー〉と呼ばれている上司だった。
気さくで温和な人柄が見ただけでわかる。頭頂部がハゲてることも含めて、どこにでもいるようなおっさんだ。
俺も世間からはおっさんと呼ばれるような年齢だから、〈シュガー〉さんのことをとやかく言うつもりはない。
「ホントごめんねぇ。クロちゃんはクソ真面目だから、大変だったでしょう?」
「あー、いえ……」
思わず適当に返事をしてしまった。
事実、面倒くさい相手だったのは間違いない。
「新人クンは上がって大丈夫よ~、タクシー使う?」
「いえ、徒歩で帰ります」
「まぁまぁ、これで美味しいもの食べて帰って。オジサンの奢り」
シュガーさんが財布から紙幣を取り出す。それを押し付けるように寄越してくる。
こういった厚意を無下にするのは非常に失礼だ。
自分も人に優しくして冷たくあしらわれた経験がある。あれは辛かった。
「ありがたくいただきます」
シュガーさんからのご厚意を頂き、そのまま部屋を出る。
ホテルを出て、通りを歩く。
もう夏も近い、日差しも湿度もキツくなってきた。
――そろそろ、冷たいものが恋しくなるだろうな。
ビニール袋からあんパンを取り出し、開封する。
歩きながらあんパンに齧り付き、小豆餡の優しい甘みとパンの塩気が口に広がった。
しばらく、こういうのを食べてなかったことを思い出す。
雲1つ無い青空の下、コンビニのあんパンがなんだか無性に懐かしい感じがした。
この甘さを安っぽい缶コーヒーで洗い流す……というのは、大人の楽しみ方だ。
大変な仕事だが、まだやっていける。
まだ楽しいと思える。諦めるにはまだ早い。
どんな仕事が来るかはわからないが、やりきるだけだ。
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