3-5

『弘人クン!? 無事かい!?』

 先程まで河川敷の高架下にあったはずの弘人の体は、いつの間にか対岸へ。しかしその景色もまた、一瞬の内に移り変わる。

『聞こえてるかい、弘人クン!』

 そうして目まぐるしい視界の変化を数度経て、弘人の視界は廃ビルの一室で固定された。

「乱暴な真似をしてすみません。でも、こうするしかなかったんです」

 背後からの声に振り返ると、そこには青緑の髪をした少女が立っていた。

「魔法少女……!」

 その姿は魔法少女のもので間違いない。弘人は金属バットを握る右手に力を込める。

「待ってください。私は貴方の敵ではありません」

『見つけた。弘人クン、彼女は青緑(せいりょく)の魔法少女ティール。固有魔法は瞬間移動だ』

 瞬間移動。それが先程までの目まぐるしい視界の変化その正体だった。

「それで白の魔女と会話を?」

 ティールは弘人の装着するイヤホンを指差しながらそう言った。

『私を知っている?』

 白薊の声には、困惑の色が含まれていた。

 考えてみれば今までの魔法少女は誰一人、魔女の存在に言及していなかった。それがもし、魔女という存在を知らなかったからだとしたら。

「色々と話したいことはあるのですが、残念ながらその時間はないみたいです」

 そう言うとティールは、弘人の胸にその手を当てる。そこには敵意も悪意も殺意もない。弘人の体はその動作に、一切の危機を感じなかった。

「この世界で黒の魔女を殺せるのは、石黒弘人さん、貴方しか居ない」

 青緑色に輝く瞳が、真っ直ぐに弘人を見つめる。

「出来る限り時間は稼ぎます。でも私に出来るのはそこまで。だからどうか、どうかご武運を」

 そう言うとティールは弘人の視界から姿を消した。否、正確に言うならば弘人がその場から姿を消したのだ。

 青緑の魔法少女の固有魔法は、手で触れたものを自身の見える範囲の場所に移動させるというもの。ティールは弘人の胸に手を触れ、彼を廃ビルの一室から移動させたのだ。

『弘人クン。一度戻って来てくれ。恐らく今日、魔宴は終わる』

 弘人はスマートフォンを取り出し、現在地を確認する。地図アプリが指す弘人の現在地は、白薊が拠点とする廃墟からほど近い小さな公園だった。

 弘人はスマートフォンをしまい、廃墟に向かい歩き出す。その頭の中には、別れ際のティールの言葉が反響し続けていた。

「黒の魔女を殺せるのは、俺しか居ない……?」

 その呟きは、白い息と共に夜の闇へと消えていく。


「おや、逃げなくてよかったのか?」

 背後から聞こえた災厄の声に、ティールは一つ溜息を吐いた。

「逃がしてもらえるのなら、是非ともそうしたかったですけどね」

 呟きながら振り返る。夜そのもののような黒い長髪を風に靡かせ、黒の魔法少女はそこに立っていた。

 最後に残った二人の魔法少女。黒の魔法少女と青緑の魔法少女は、そうして廃ビルの一室にて対峙する。それはつまり魔宴の終幕、或いはその先にある本題が、もうすぐそこまで近づいていることを示していた。

「少し話をしようじゃないか、青緑の。私は貴様にも興味があるんだ」

 黒の魔法少女がそう告げると、まるで初めからそこに存在したかのように、二脚の椅子が二人の間に出現した。

「立ち話もなんだろう? まあ、座りたまえよ」

 ティールに拒否権は与えられていない。諦観を込めて一つ息を吐くと、ティールは目の前の椅子に腰かけた。

「今回の魔宴、最大のイレギュラーは何かわかるか? 青緑の」

 黒の魔法少女は、その口元に笑みを携えながらそう問うた。

「彼でしょうか? 魔法少女殺しの」

 魔法少女殺し、それは当然石黒弘人のことを指す。彼は人間でありながら、結果として六人の魔法少女を殺してみせた。それは魔宴にとって、未だかつてないイレギュラーだったはずだ。

 しかし。

「違う。貴様だよ、青緑の」

 黒の魔法少女はティールの瞳を見つめながらそう告げた。

「貴様の存在こそが最大のイレギュラーだった」

 殺意の込められたその瞳がティールを突き刺す。しかしティールはその微笑みを崩さない。

「なあ青緑の。貴様は、何者だ?」

 その問いの後の静寂すら、ティールには自身に向けられた殺意のように感じられた。

「……魔法少女に選ばれてしまった可哀想な少女の一人、そんな答えでは納得していただけませんか?」

 黒の魔女からの返答はない。ただ殺意だけが、その鋭さを増してティールに突き付けられる。

 ティールは一つ溜息を吐くと、黒の魔法少女の瞳を見つめ返す。

「逆にお聞きします」

 その顔にもう微笑みは無い。至って真剣な表情で、ティールは言葉を紡いでいく。

「貴方は何故、白の魔女の血を継ぐ者が一人しか居ないと、そう考えたのですか?」

 黒の魔法少女は僅かにその目を見開いた。

「彼女が薊を名乗るなら、私は馬酔木(あせび)を名乗りましょうか」

 魔女の血を継ぎながらにして魔法少女となった者。魔宴という儀式に発生した例外指定。

足癈あしじひ馬酔木あせび、魔女の血を継ぐ魔女ならざる者。それが、私です」

 青緑の魔法少女ティールは、自身をそう呼称した。

「……なるほど。それは確かに、私の想定外だった」

 信じられないといった様子で黒の魔法少女は呟く。しかしそれは、紛れもない事実だった。

「それでは種明かしをしましょうか。お付き合いいただけますか? 黒の魔女」

 黒の魔女は言葉を返さない。その沈黙を、馬酔木は肯定と捉えた。

 白の魔女は魔法を血に織り込み子を成した。そしてその血は魔法の力を徐々に失いながらも、当代の白の魔女、白薊莇にまで受け継がれている。

 ではその過程で、白の魔女の血を継ぐ子が二人生まれていたとしたら。魔法の力を持ちながら、魔女の名を継がなかった者が居たとしたら。

 日本的に言うのであれば、本家に対する分家。魔女の力を持ちながら、魔女の名を持たぬ者。

 それが足癈馬酔木の正体だった。

「当代の白の魔女が魔法少女を殺す力を持っていないことは知っていました。私もまた魔法少女を殺す力など持っていませんでしたから。だから私は考えました。どうすれば黒の魔女を殺せるかを」

 その鍵となるのは馬酔木の持つ魔法にあった。

 白薊の持つ魔法は謂わば千里眼だ。この世界の現在を見ることが出来る眼。それに対して馬酔木の持つ魔法は、ここではない世界の未来を見る眼だった。

 ここではない世界。それは何らかの選択によって数多に分岐した並行世界。そこで起こる未来を見ることなど、全くもって意味が無い。しかし馬酔木はそうは考えなかった。

「もう一つの鍵として必要だったのは、青緑の魔法少女の固有魔法です」

 青緑の魔法少女の固有魔法は、自身の手で触れたものを目に見える範囲に移動させるというもの。そしてその対象には、当然自分も含まれる。

 馬酔木は考えた。二つの魔法を組み合わせれば、並行世界への移動が可能になるのではないかと。

 これには二つの障害が存在した。

 一つ、そもそも魔法少女になれるかどうか。

 二つ、なれたとしてそれが青緑の魔法少女なのか。

 それはあまりにも確率の低い賭けのように思えた。けれど結果として馬酔木は魔法少女に、それも青緑の魔法少女になった。

「世界の強制力か」

 黒の魔法少女はその理由に既に辿り着いているようだった。

 馬酔木は黒の魔法少女の言葉に頷く。魔法の存在を世界から抹消しようと働く世界の強制力こそが、彼女を青緑の魔法少女にしたのだ。馬酔木を魔法少女にすることが、魔法という存在の抹消に繋がると、世界の意志はそう判断した。

「嬉しい誤算となったのは、時間軸の移動が発生しなかったことです」

 青緑の魔法少女となった馬酔木は、二つの魔法を組み合わせ世界線を移動することに成功した。馬酔木の予想では、彼女は自分の見た未来へと移動するはずだったが、実際にはそうはならなかった。移動したのはあくまで世界線だけ。しかしなんにせよ馬酔木は、こうして世界を渡り歩く術を手に入れた。

 それから馬酔木は探し続けた。黒の魔女が死ぬ世界線を。

「それで、結果はどうだった?」

 黒の魔法少女の問いに、馬酔木は胸元の服を捲り上げる。

 露わになった双丘の中心には、今にも砕けそうな青緑の魔晶が存在した。

 その結果は当然だった。馬酔木が何十回何百回と繰り返した世界線移動は、その度に多大な魔力を消費する。彼女が魔女の血を継いでいたとしても、いずれその魔力は尽き限界を迎える。

「だから私はここまでです」

 けれど馬酔木の表情は、絶望のそれではなかった。むしろその逆、清々しささえ感じさせるその顔に、黒の魔法少女は眉を顰めた。

「あとは彼に託すことにしました。全ての責任を押し付けるみたいで、少し気は引けますが」

「……あの人間か」

 魔法少女殺し、石黒弘人。彼を救う為の魔法の行使により、馬酔木の魔晶はとうとう限界を迎えた。

「あの人間が私を殺すと、本気でそう考えているのか?」

 心底不愉快そうに黒の魔法少女は言った。

「そう信じるしかないでしょう。私のこれまでを肯定する為には」

 馬酔木は僅かに微笑んだ。これから死にゆく人間だとは、とても思えないほど穏やかに。

 黒の魔法少女はゆっくりと椅子から立ち上がる。二人の魔法少女、或いは魔女と魔女の血を継ぐものの最後の会話は、それを合図に終わりを迎えた。

 黒の魔法少女はその掌を、馬酔木の胸の魔晶へと向ける。

「さらばだ、青緑の魔法少女。いや、足癈馬酔木、魔女の血を継ぐ者よ」

 目の前に迫る己の死を、しかし馬酔木はただ受け入れるような人間ではない。

 馬酔木の手が、黒の魔法少女の腕を掴む。

「何のつもりだ?」

「時間は稼ぐ、なんてかっこつけちゃいましたから」

 黒の魔法少女の姿が消える。それと同時に馬酔木の胸元から、パキリという音が鳴った。

 青緑のその魔晶には、先程までは無かった大きなヒビが入っていた。

「さて、と」

 捲り上げた胸元の衣装を下ろし、馬酔木は一つ息を吐く。

「それじゃあ最後に足掻きましょうか」

 胸に手を当てそう呟くと、馬酔木はその姿を消した。

 二脚の椅子のみが残った部屋に、冷たい夜風が吹き込んだ。


 残る魔法少女は、二人。

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