4


 決戦前の廃墟には、重い緊張感が張りつめていた。

「黒の魔法少女はどうなった」

 白薊は目を閉じたまま、眉間に皺を寄せ答える。

「未だ移動中だ、ティールが固有魔法で時間を稼いでいるらしい」

 しかしそれが限界を迎えるのももう時間の問題だろう。

「弘人クン。これが最後の確認だ。君は、黒の魔女と戦うのかい?」

 そう言うと白薊は目を開き、その白く濁った瞳で弘人の瞳を見つめた。

「妹を助けたいだけならば、君が魔女と戦う必要は無い。君の命を危険に晒す必要は無いんだ」

 魔晶は最後の一つになった時点で、器の肉体から排出される。つまり今時間を稼いでいる青緑の魔法少女が死んだ時点で、四葉の肉体は自由になるのだ。四葉の命の事だけを考えるのなら、それが弘人にとっての最善となる。

 けれど。

「いや、殺すよ。俺は黒の魔女を殺す」

 ここで黒の魔女に背を向けることは出来ない。それはきっと正しくない。

「これまで俺は散々自分の都合で命を奪ってきたんだ。最後に一つくらい世界の為になることをしなきゃ気が済まねえ」

 これまで命を奪ってきたからこそ、間違ったことをしてきたからこそ、弘人は正しくあろうとする。それが既に手遅れであろうとも、一つでも正しいことを、世界の為になることをしたいと思う。

 そうでもしなければ、弘人は自身の罪の重さと向き合うことが出来ない。

 それは決して償いではない。罪滅ぼしでも贖罪でもない。そんなことで罪を無かったことになど出来る訳が無い。

 故にこれは自己満足でしかない。どこまでも愚かなエゴイズムでしかない。

それでも弘人は弘人自身の為に、黒の魔女を殺さなければいけない。

「馬鹿言え、四葉を残して死ねるかよ」

 弱い自身を鼓舞するように、弘人はそう言って笑ってみせた。

「そうか」

 弘人の答えに、白薊は僅かに頬を緩めた。しかしその顔は、すぐに真剣な表情へと戻る。

「今回は私も同行する。覚悟が決まっているのなら急ごうか」

 そう言って立ち上がった白薊は、鍵のかかった引き出しからいくつかの錠剤を取り出す。

「それは?」

「鎮痛薬だ、強力なね。モルヒネと言えば君にもピンとくるかな?」

 白薊はそれを弘人に差し出す。

「きっと必要になる。持っておきたまえ」

 弘人は差し出されたそれを受け取り、ズボンのポケットへとしまった。

「行くよ、弘人クン」

「行くって、場所はわかってるのか?」

 言いながら弘人は僅かに歪んだ金属バット、その持ち手を強く握り締める。

「ああ、ティールの移動には規則性がある。彼女が最後に向かうのは恐らく、この町の地下空洞だ」


 町の地下に広がる巨大な空間に、二人の少女の人影があった。黒の魔法少女と青紫の魔法少女、最後の二人の魔法少女の影が。

「鬼ごっこはもう終わりか? 青緑の」

 黒の魔法少女はティールの首を掴みながら、嘲笑うようにそう告げた。

 しかしティールはそれに言葉を返さない。最早言葉を返す力すら、彼女には残されていなかった。

「では終わらせ、そして始めようか」

 黒の魔法少女はティールの胸元へと手を伸ばす。その細い手が触れた途端、ひび割れていた青緑の魔晶は完全に砕け散ってしまった。

 そうして青緑だった少女の髪は、灰色のそれへと変化する。力無く垂れ下がった華奢な手足が、その命がもう終わってしまったものだということをこれ以上なく示していた。

 これにて残る魔法少女は一人。魔宴の勝者は黒の魔法少女、石黒四葉に決定した。

 そして儀式は次の段階へとステージを進める。

 これより始まるのは魔宴の最終段階、黒の魔女の復活。

「さて、弘人クン。作戦は覚えているかい?」

 雪のように冷たいその声が、地下空間に反響する。

「ああ、理解してる」

 地下空洞には新たに、二つの人影があった。

 一人は女だった。つばの広い円錐状の帽子を被った女。その女はその帽子から身に纏う衣服、長い髪や瞳に至るまで、その全てが純白だった。

 一人は男だった。僅かに歪んだ金属バットを携えた、ごく普通の若い男。しかしその瞳には、確かな意思を秘めていた。

「全部避けて殺せ、だろ」

 黒の魔法少女は現れた二人の人影に、忌々しそうに視線を向ける。

「来たか」

 その胸に埋まった魔晶は、この世に存在するはずの無い黒い光を放っていた。

「四葉ちゃんのことは任せたまえ。君は黒の魔女を殺すことだけを考えろ」

 魔晶に引っ張られるようにして、黒の魔法少女の体が宙へと浮かび上がる。既に器としての役目を終えたのか、その体は魔晶から力なく垂れ下がっているように見えた。

 そして遂にその胸から魔晶が分離する。それと同時に四葉の体が重力に従った落下を始める。しかし地面へと着地するその前に、四葉の肉体は白薊によって受け止められた。

「サポートは任せろ弘人クン。今はただ何も考えず、黒の魔女を殺してくれ」

 弘人の肉体はこの地下空洞に足を踏み入れたそのときから、常に死を知らせる危険信号を放っている。はじめは酷く恐ろしかったその感覚も、残念ながらこの数日で慣れてしまっていた。

 人はそれを麻痺というのだろう。弘人は既に死に対する恐怖の感情が麻痺してしまっている。

 けれど、否、だからこそ、弘人は世界の敵対者たる黒の魔女と相対することが出来る。

 宙に浮かぶ黒の魔晶は、その周囲に漆黒の繭を形成し始める。その繭は人一人大の綺麗な球状になった後、空中にてその動きを完全に停止した。

 弘人はその身に感じる死の感覚が、更に強くなったことに気付いた。

『来るよ』

 僅かに離れた位置にいる白薊の言葉が、イヤホンを通して弘人の耳に伝わる。

 弘人は静かに目を閉じて、大きく息を吸い、吐いた。金属バットを握り締めるその手にグッと力を込め、ゆっくりと目を見開いた。

 そして弘人の目線の先、空中の黒色の球が割れる。

 その中から現れた一人分の人影が、ゆっくりと地面に落ちていく。つばの広い円錐状の帽子を被ったその女は、一切の光を持たないその瞳を弘人の方へと向けた。

「なあ人間。何故貴様は今、私の前に立っている」

 その女は帽子から身に纏う衣服、長い髪や瞳に至るまで、その全てが漆黒だった。

「決まってるだろ。アンタを殺すためだよ」

 吸い込まれてしまいそうな黒い瞳を見つめながら、弘人はそう答えた。

「そうか」

 黒の魔女が言い終わるより先に、弘人の体は動いていた。弘人の背後、分厚い混凝土で出来た強固な壁に円状の穴が開く。

「やはり貴様は、殺さねばならないらしい」

 黒の魔女の姿が弘人の視界から消える。振り抜かれたその拳を、しかし弘人は躱してみせた

それは最早予測や反射神経といった言葉では、説明のつかない領域にあった。

「ああ、やはりか」

 視認することの出来ない速度で押し寄せる攻撃の数々を、弘人はさも当然のように避け続ける。

 しかしそれでは駄目だった。それでは弘人は黒の魔女を殺すことは出来ない。一切の隙を見せない黒の魔女に対して、しかし弘人は隙を見出すしかない。

 そんな一瞬の思考が、弘人の動きを僅かに遅らせた。

「おや、どうした?」

 弘人の脇腹を黒の魔女の拳が掠めた。それだけで弘人の皮膚は裂け血管は千切れ、その肉までもが抉られた。

「ッッッ――!?」

 痛みで上げる悲鳴すら、今の弘人には致命的な隙になる。グッと強く歯を噛みしめて、弘人は腹の底から響くその音が口から漏れ出ることを防いだ。

『弘人クン、一度距離を置けるかい?』

 なんて無茶なことを言うのだろう。そんな僅かな思考すら今の弘人にとっては命取りとなる。黒の魔女の猛攻には、後退の隙など存在しない。

 その筈だった。

「チッ」

 ほんの一瞬、その猛攻に隙が生まれる。弘人はその隙を突くように後方へと飛び退いた。

「射撃、白か」

 黒の魔女の瞳は弘人を捉えてはいなかった。弘人はポケットから取り出した一粒の錠剤を、口に放り込み飲み込む。当然それに即効性があるわけではない。しかし鎮痛剤を飲んだという事実で、弘人は僅かに痛みが和らいだように感じた。

「人間。まさか貴様はその鉄の棒で、私を殺すつもりなのか?」

 弘人はその言葉を無視するように、黒の魔女へと金属バットを叩きつける。しかし魔女の手に触れたそれは、ガラス細工のようにひび割れ砕け散った。

「は?」

「理解したか? 人間」

 全霊の力を込めたスイングは、その手に握り締めた武器の消失によって虚しく空を切る。

「貴様は私を殺せない」

 どうしようもない絶望が、弘人の前に立っていた。

 弘人はその心のどこかで、いつものように戦えばいいとそう思ってしまっていた。相手の攻撃を避けて、避けて避けて避けて避けて。そうして生まれた僅かな隙に、反撃の一撃を叩きこむ。一撃でダメなら二撃目を、二撃目でダメなら三撃目を。そうしていつかは倒すことが出来るのだと、そう思い込んでしまっていた。

 しかし実際はどうだろうか。

 相手の攻撃を避け続けた先に、弘人のターンは存在しなかった。弘人が得意としてきた後の先は、相手にダメージを与えることが出来てはじめて成立するのだ。それが成立しないとわかった以上、弘人と黒の魔女が行っているそれは最早戦闘とは呼べない。

 それは、一方的な蹂躙だった。

「さらばだ人間」

 黒の魔女の放った射撃を、しかし弘人は最小の動きのみで躱す。

 黒の魔女は不愉快そうに眉を顰めた。

「まだ足掻くか」

 しかしどれだけの絶望が目の前に存在しようと、弘人に諦めるという選択は無かった。目の前に迫った死を受け入れるなどという選択は、決して存在しなかった。

「白薊、どうすればいい」

 弘人の瞳には未だ、殺意の火が点っている。全ての元凶たる黒の魔女を殺すという、決意の火が点っている。

『魔女には魔晶のような明確な弱点は存在しない。けれど魔女も所詮人の延長線上だ。決して殺せないわけではない』

 白薊の冷たい声が、弘人の思考を冷やしていく。酷く冷たいその声に、弘人は不思議な安心感を覚えていた。

『弘人クン、君はどうなったら死ぬ?』

 石黒弘人はどうなったら死ぬのだろうか。

 その心臓が止まってしまえば、恐らく死に至るだろう。

 その呼吸が止まってしまえば、恐らく死に至るだろう。

 その体に流れる血の多くを失えば、恐らく死に至るだろう。

 有害物質を多く摂取すれば、恐らく死に至るだろう。

 その脳に大きな損傷を受ければ、恐らく死に至るだろう。

 治療困難な病を患えば、恐らく死に至るだろう。

 痛みや電気等のショックにより血液循環が滞れば、恐らく死に至るだろう。

 生命活動に必要な栄養や体温を失えば、恐らく死に至るだろう。

 人間は常に、そういった死の可能性を多分に孕んでいる。

 そして白薊の言うように、魔女も人間の延長線上にあるのならば。

「理解した」

 殺す方法はいくらでもある。

「不愉快だな、その目」

 射撃を躱し、弘人は黒の魔女に肉薄する。相手が射撃を持っている以上距離を置くのは得策ではない。それはアンバーとの戦いで理解したことだ。

「理解出来ないのか? 貴様は私を殺せない」

 理外の威力を持つ拳や蹴りも、第六感により直撃を避けることは出来る。その点においては、魔法少女戦とはなんら変わった点は無い。

「いい加減諦めろ、人間」

 となるとやはり問題は攻め手。身体強化や魔法による防御を潜り抜けるような攻撃を、弘人は考えなければいけない。

『右に避けろ』

 白薊の声に合わせて弘人は右に重心を傾ける。黒の魔女に出来た一瞬の隙を突くようにその腹に拳を叩きこむ。

「ぐッ!?」

 しかしダメージを負ったのは弘人の拳の方だった。まるで鉄板を殴ったような痺れが弘人の拳に伝う。不思議と痛みは無かった。死の危機に瀕した弘人の痛覚神経は、アドレナリンとモルヒネの相乗効果により既にその役割を放棄していた。

「ああ、なるほど」

 黒の魔女の視線が、僅かに弘人の横へと逸れる。直後、弘人の耳元で何かが砕ける音がした。

「これで貴様は孤立したわけだ」

 壊れたのはイヤホンだった。これまで弘人と白薊の言葉を中継してきたそれが、弘人の耳元で砕け散ったのだ。

「さて、終わらせようか」

 言葉と共に黒の魔女の攻撃は激しさを増す。白薊からのアシストが無くなった今、弘人単独ではそこに隙を作り出すことは不可能だった。

 死にはしない、けれど殺すことも出来ない。弘人に出来る精一杯の現状維持は、しかし彼自身の首を緩やかに絞め上げていく。黒の魔女の魔力と弘人の体力、どちらが先に限界を迎えるかなど、火を見るよりも明らかなのだから。

「なあ人間」

 第六感による危険信号が、弘人の全身を駆け抜けた。

「試そうか、貴様はこの死も回避できるのか」

 黒の魔女はその口角を厭らしく吊り上げると、軽やかに後ろへと飛び退く。

 弘人が自身を覆い隠す巨大な影に気付いたときには、既に全てが手遅れだった。

「は?」

 弘人の上方から迫り来るは、幾つもの巨大な混凝土の塊。先程まで天井の役割を担っていたそれらが、轟音と共に弘人へと降り注ぐ。

「弘人、クン……?」

 黒の魔女は背後から響く冷たい声に振り向いた。

「おや、白か。どうした? わざわざ殺されに来たのか?」

 しかしその言葉は、白薊の耳には届いてない。彼女の意識はその後ろ、濃い土煙のその奥に向けられていた。

「弘人クン」

 その言葉が向けられた先から、しかし応答が返ってくることは無い。天井から崩落した幾つもの巨大な混凝土は、先程まで弘人が立っていたその場所に山のように積みあがっていた。

「念には念を入れておくか」

 黒の魔女はその上部、既に崩落した天井に向かいさらに射撃を放つ。ほんの僅かな間をおいて、幾つかの混凝土が更にその山へ積み重なった。

「終わりだ、白よ」

 それは黒の魔女の勝利宣言だった。白の魔女に対する、或いは世界の強制力に対する。

「理解したか白の魔女よ。最早強制力の代行者ですら、この私を殺すことは出来ない」

 強制力の代行者と、黒の魔女は石黒弘人をそう呼称した。

「貴様も気付いていたのだろう? 白よ」

 白薊はその目線を黒の魔女へと向けた。

未だ完全には晴れぬ土煙の中、白の魔女と黒の魔女、二人の魔女が対峙する。

「貴様も試してみるか、私を殺せるか」

 しかし二人の魔女の戦闘能力には、天と地ほどの埋めることの出来ぬ差が存在する。同じ魔女であるとは思えないほどに。

「黒の魔女、私はお前を殺すことは出来ない」

 白薊はハッキリとそう言い切ると、震える拳をゆっくりと構える。けれどその姿は、構えというにはあまりにも不格好なものだった。

「私に出来るのは彼を信じて、少しでも時間を稼ぐことだ」

 圧し潰されてしまいそうなほどの恐怖の中、しかし白薊に迷いは無い。

「……そうか」

 射撃が放たれた。そう白薊が理解した瞬間には、既に攻撃は終わっていた。

「ならば死ぬがいい。無意味な希望を抱いたまま」

 白薊の肩口から鮮血が噴き出す。障壁を用いた防御すら、圧倒的な実力差の前ではその意味を為さない。

「――ッ!?」

それ以上の流血を阻止するように、白薊は咄嗟に傷口をその手で抑える。

そんな白薊の姿に、黒の魔女は侮蔑の目を向けていた。

「魔女の名が聞いて呆れるな」

 そう言って一つ溜息を吐くと、黒の魔女はゆっくりと白薊に向かって歩き出す。

 遅れて走る激痛に白薊はその顔を歪めた。抑える傷口から流れ続ける血が、純白の布地を紅く染めていく。

「終わりだ、白よ。貴様も、魔法を否定したこの世界もな」

 迫り来る死を前にして、しかし白薊はその口角を吊り上げてみせた。

「……いいのかい? 私を殺して」

 か細く震えるその声が紡いだ言葉に、黒の魔女は眉を顰めた。

「……どういう意味だ?」

 黒の魔女のその言葉に、白薊は厭らしく笑ってみせた。

「何故世界の強制力は魔宴という呪いを消せないのか、それを考えたことはあるかい?」

 魔法を抹消するべく働く世界の強制力。それが何故魔宴という魔法による儀式を抹消出来ないのか。それは魔女という存在が、魔法の概念の楔としてこの世界に存在するからだ。故にこの世界から魔女の存在が消え去れば、魔宴という魔法もこの世界に存在出来なくなるのだ。

しかしそれはあくまで、魔女が二人共死んだ場合の話だ。

「言った筈だ、最早私を殺しうる者は存在しない」

 そう、最早黒の魔女を殺す者など存在するはずが無い。

「……何故、まだ生きている」

 存在する筈が無いのだ、黒の魔女がその背後に感じる気配など。

 振り返った黒の魔女の視線の先に、一人の男が立っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る