3-4
石黒弘人が犯した罪、その始まりは十五歳の夏にまで遡る。
ある暑い夏の日、石黒家は家族四人で海水浴に訪れていた。楽しい家族旅行であったはずのそれは、しかし弘人にとって一生忘れられない日となった。
その日、その海水浴場で、水難事故により一人の少女が命を落としたのだ。
当然命を落としたその少女は石黒四葉ではない。命を落とした少女は弘人にとっては無関係の、当時小学生だった少女だ。
そしてその少女の死こそが、石黒弘人の最初の罪だった。
その日水難事故に遭った少女は二人居た。亡くなった少女と、石黒四葉の二人。そしてそれにいち早く気付いたのは、当時まだ中学生だった弘人だった。
溺れている人を泳いで助けに行くのは危険である。中学生の弘人はそんなことを知る由も無く、溺れる二人の少女のもとへ泳いだ。今になって思えばこれが最大の誤りだったのだろう。海水浴場にはライフセーバーが居る。落ち着いて彼らに助けを求めるのがきっと最善だった。
そして弘人は、究極の選択を迫られることになる。
助けようと泳いできた弘人一人に対して、溺れている少女は二人。弘人はそこでどちらを先に助けるか、どちらの命を優先するかを選ばなければいけなかった。
当然弘人は妹を選んだ。名も知らぬ少女ではなく、血を分けた妹の命を優先したのだ。
結果としてその選択は四葉の命を救った。そして名も知らぬ少女の命を奪った。
弘人はそれを悔いた。一つを救ったと考えるのではなく、一つを救えなかったと考えてしまったのだ。そればかりは最早、石黒弘人という人間の性質の話だ。何が正しくて何が間違っているとか、そういった話ではない。弘人という人間は、そう考えてしまう人間だったのだ。
そしてそれこそが弘人のはじまり。彼を苛む罪の意識の根源だった。
この一件により弘人は知った。自身の救える人、その手の届く範囲には限りがあると。それ故弘人は決めた。絶対に守らなければいけない存在を、妹である石黒四葉一人に定めたのだ。
二つ目の罪。それは今から二年前、海での一件から四年後の出来事。彼の両親の死だ。
石黒家四人は車での外出の際、不運にも交通事故に見舞われた。そうして弘人と四葉は、両親を失った。
不思議だったのは事故の直前、弘人を襲った謎の感覚だった。全身を駆け抜けた身の毛のよだつ感覚。これから何かよくないことが起こると、或いはもっと限定的に、これから自身を死の危険が襲うと、そう確信する謎の感覚が弘人を襲った。
事故の直後、医者はその感覚を第六感と呼称した。或いは究極の生存本能と。
それが何であるにしろ、弘人は知っていたのだ。事故の直前、これから自身の身に危険が及ぶことを。
だからこそ守れた。自身と妹、四葉を。
だけれども守れなかった。二人の両親を。
弘人は後者を自身の罪として背負った。守ることが出来たはずだと、そう思ってしまった。
そして時代は現代へと至る。
魔法少女となった四葉を救うべく、弘人は魔法少女殺しを始めた。
青紫の魔法少女、ヴァイオレットを殺した。
黄橙の魔法少女、アンバーを殺した。
朱の魔法少女、ヴァーミリオンを殺した。
橙の魔法少女、オレンジを殺した。
そして今、緑の魔法少女、グリーンを殺した。
それが弘人の背負う罪。これまで犯してきた罪。決して目を逸らさず、これからも向き合い続ける罪。
「それが、貴方の罪なのですね」
その身を震わせながら、パープルはそう呟いた。
「いいでしょう。貴方のその罪に、私が罰を与えます」
パープルの腕が弘人の喉元へと伸びる。罪深き男に、死という罰を与える為に。
しかしその手を、弘人の手が掴んだ。
「はじめから思ってたんだけどよ、アンタ何様だよ」
パープルの固有魔法には、明確な弱点が存在する。それは相手の罪の意識、相手が罪をどう捉えているかによって、その力が左右されるということ。
『信じていたよ弘人クン。君は心の底から、自身の罪に向き合っていると』
罪と向き合い、目を逸らさずに生きる。常に心に苦しみを抱き、けれど死では償えないことを知っているが故に生きる。それ以上の罰が、この世界にあるだろうか。
喜怒哀楽その全ての瞬間に心の翳りが顔を出し、それは死するときまで決して消えることは無い。弘人にとって罪とはそういうものであり、その人生を生きるということが、彼にとって最大の罰であった。
故にこそ、そこに他者の与える罰など不要。弘人にとって罪と罰とは、その内で完結するものなのだから。
「どうして動けるのです!?」
「……答えろよ、アンタは何様のつもりだ。なァッ!」
弘人はパープルの頭に自身の頭を叩きつけた。それがパープルに大きなダメージを与えることは無い。しかし混乱するパープルの隙を、更に広げることは出来る。
「ふッ!」
その胸の魔晶を弘人の蹴りが捉える。この場におけるイニシアチブは、既に弘人の手の内にあった。
『胸に射撃』
声と同じか僅かに早いか。弘人の体は既に射撃を躱し終えていた。
弘人の第六感が魔法の接近を教える。相手が次、どこを狙ってどう攻撃するのか。それが手に取るようにわかる。最早弘人には見えているか否かなど関係が無い。
「罪人がァッ!」
振りかぶるパープルの拳を躱し、その胸に金属バットを叩きこむ。蹴りを避け腹部を殴る。魔法を避けその手を金属バットで殴る。拳も蹴りも魔法でさえも、今の弘人には当たらないものでしか無かった。
「どうしてッ! 私は神に選ばれた、神の使いなのにッ!」
パープルはその現実を受け入れることが出来ない。思いつく限りの攻撃全てを実行し、しかしその悉くを弘人は躱してみせた。
究極の後の先。それが魔法少女との戦闘における、弘人が辿り着いた答えだった。
次第にパープルはその息を荒げていく。対して弘人の呼吸は、全く乱れていない。魔法少女とただの人間、狩る者と抗う者の立場は、完全に逆転していた。
「当たってよォッ!」
どれだけ必死に攻撃しようと、否、必死になればなるほどに、パープルの攻撃は弘人には当たらない。むしろ攻撃をすればするほど、弘人の反撃により魔晶へとダメージが入る。
もはやパープルの敗北は、時間の問題だった。
「どうしてッ!? 私は選ばれたのにッ!」
パープルは本気でそう思っているのだろう。自分は選ばれたから力を与えたのだと。そうして殺し合いという罪を重ねる魔法少女に罰を与える。それが自分に与えられた役目だと。
自分もその歯車の一つであると、気付かないままで。
そして遂にそのときが訪れる。
ひび割れたパープルの魔晶に、弘人の振るった金属バットが直撃した。金属バットを伝う砕ける感覚も、これで六度目だ。
弘人はそうして、紫の魔法少女を殺した。十字架を胸に下げた少女が、力無くその場に倒れる。紫の魔法少女だった少女が。
これで六人。少なくとも復活する黒の魔女は、魔法少女六人分は弱くなっている。四葉の救出にも魔女殺しにも、弘人は着実に近づいているのだ。
「それで、勝てると思っているのか?」
ゾクリと、その背を恐怖が駆け抜けた。
背後には、これまで無かった筈の気配が一つ。何故今までそれに気付かなかったのか不思議なほどの、圧倒的な死の気配。
『いつ、現れた……?』
イヤホンの向こうから、震える白薊の声が聞こえた。
「面倒なことをしてくれたな」
息の詰まるような威圧感に、弘人はゆっくりと息を吸い込んだ。そうでもして無理矢理呼吸を促さなければ、弘人の体は呼吸の仕方を忘れてしまっていただろう。
『弘人クン。君の後ろに――』
「わかってる」
そこに立つのが誰なのか。その目で見なくとも弘人には理解出来る。その声を、弘人は誰よりもよく知っている。
震える体でゆっくりと、弘人は背後へ振り返る。
そこには黒の魔法少女、石黒四葉が立っていた。
「見ているのだろう? 白よ」
服装こそ魔法少女のソレであるものの、その姿形は確かに石黒四葉のものだ。しかしその身に纏う雰囲気は、四葉のそれとは似ても似つかない。
敵意を纏い殺意の眼で見る悪意の化身。それは正しく、世界の敵対者だった。
「白よ、貴様ならわかるだろう? 残る器の数が」
イヤホンの向こうから、白薊の息を呑む音が聞こえた。そして白薊は震える声で。
『残り、二人……』
そう告げた。
「最後の一人を殺す前に邪魔者は排除しようと思ってな」
そう言うと黒の魔法少女は、四葉の顔で厭らしく笑った。
「探すのに苦労したよ。まさかただの人間を眷属として使うとは」
一歩、黒の魔法少女が弘人に近づく。それだけで弘人の第六感は、これまでにないほどの死の感覚を弘人に伝えていた。
「貴様にも興味がある。確か、石黒弘人だったか」
その目を向けられただけで、心臓を握られているかのような錯覚に陥る。最早黒の魔法少女は、死そのものと言って相違無かった。
「何故貴様が魔法少女を殺すことが出来るのか。或いは」
一歩また一歩と近づく死に、しかし弘人は為す術を持ちえない。しかしきっと死とはそういうものなのだろう。抗う術など存在せず、そのときが訪れてしまったのならばただ受け入れるしかない。
「何故貴様は死を回避することが出来るのか」
黒の魔法少女の言葉に、弘人の思考は停止した。死への恐怖や諦観が、その一言で停止する。
死を回避する。弘人にはこれまでそうしてきたという意識はない。と言うよりも、そんなことが出来る筈がない。だってそれは強大な力を持つ魔女でさえ、為しえなかったことなのだから。それをただの人間である弘人が出来る訳が無いのだ。
けれど、なら何故弘人は今生きている?
数々の魔法少女と対峙して、それら全てを殺したうえで、どうして今ここに立っている?
偶然や奇跡などという言葉は、恐らく相応しくないだろう。
「さて、貴様はこの死も回避することが出来るのか?」
第六感。究極の生存本能。それがもし、今ここに至るために必要なものであったのならば。
「試そうか、人間」
「させません」
弘人の背に、何者かの手が触れる。すると弘人の視界に映る景色が、一瞬の内に別のものへと変化した。
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