1-3

『そこを右だ』

 弘人は通話を繋いだまま、白薊に案内される形で自宅に向かい歩く。

 どういう訳か弘人の行動は全て白薊に見られているようだった。

 白薊はそれを魔法だと説明した。曰く全知の目ならぬ『現知(げんち)の目』、世界中の現在を見ることの出来る魔法なのだと。それが白薊が持つ『固有魔法』なのだと。

 魔法がこの世に存在するなんて。そんな驚きは弘人には存在しなかった。むしろ駐車場の惨状も、魔法によるものだとすれば納得出来てしまった。納得出来てしまうほどには、弘人の感覚は既に麻痺してしまっている。当然だろう。弘人の中の常識は最早意味を為さないものになってしまっているのだから。

『さて、そろそろ到着だ』

 その言葉に、弘人の心臓は大きく跳ねた。

 自然と歩みは停止した。昨晩の光景が、感触が、恐怖が、鮮明に弘人の脳内に蘇る。

 その記憶の中で、石黒四葉は血塗れだった。

『怖ければ、逃げてもいいんだよ』

 その一言を合図に、弘人は止まっていた足を再び自宅へと動かす。

 四葉を助ける。その為に。

 魔法少女を殺す。その為に。

『……魔法少女は共通として、射撃、障壁、身体強化の三つの基礎魔法を扱う。この内君が気を付けるべきは射撃と身体強化だ』

「身体強化はいいとして、射撃ってのは?」

 白薊の説明に弘人は問いを返す。

『射撃は文字通り魔力を射出する攻撃だ。注意点として、君にこれは見えない』

「見えない? ならどうすればいい」

『その為に私が居る』

 魔法少女の扱う魔力は、現代の人間には視認できない。しかし魔女である白薊には見える。

『射撃が来たら私が伝える。だから君は避けてくれればいい』

「随分と簡単に言うんだな」

『出来なければ魔法少女を殺すことは出来ない。君なら出来ると信じてるよ』

 ずいぶんと投げやりな言葉だなと弘人は思った。

 けれど白薊には、弘人に対して確信に近い信頼があった。

『もう一つ、魔法少女にはそれぞれ固有の魔法がある。最も警戒すべきなのはこれだ』

「それはどうすればいい」

『これは君にも見える筈だ。だから避けてくれ』

 溜息を吐きながら弘人は最後の角を曲がる。

「要は全部避けろと」

『ああ、その通りだ』

最後の角を曲がった先、自宅前の見慣れた路地には、一人の少女が立っていた。黒い長髪で眼鏡を掛けた小柄な少女。夜だからだろうか、弘人はその姿から酷く暗い印象を受けた。

「あ、えっと、こんばんは」

 暗い少女は弘人の姿を確認すると、礼儀正しく頭を下げる。

「あの、すみません。石黒四葉さんのお宅はこちらでしょうか?」

 弘人は眉を顰めた。目の前の少女は、決して魔法少女になんて見えない普通の少女は、しかし確かに石黒四葉の名を口にした。

「……妹に何の用だ?」

 弘人は自身の手が震えているのに気付いた。今から目の前の少女を殺すと、そう意識した途端体の奥底から抑えきれぬ恐怖が溢れ出したのだ。しかしその僅かな震えを止めるように、弘人は拳を握り締める。

 弘人の言葉に暗い少女は目を丸くした。

「石黒四葉さんのお兄さんですか? なら、あの」

 少女は一拍、呼吸を置いて。

「貴方がイレギュラー、ですよね?」

 その姿を変えた。

『避けろ!』

 耳元からの声よりも先に、弘人の体は動いていた。

見えない何かが弘人の頬を掠める。弘人の中で何かスイッチが入るのがわかった。殺さなければ殺される。

よって、ここから先は正当防衛だ。

紫乃しのちゃんを殺したのも、貴方ですよね?」

 弘人の目線の先で左手を伸ばす少女は、先程までの暗い少女では無かった。

 髪も、瞳も、フリルやリボンがふんだんにあしらわれたその服も、全てが黄みがかった橙色。

その姿は正しく、魔法少女だった。

『識別名アンバー、黄橙おうとうの魔法少女。固有魔法は――』

 そしてその右手には。

『武装だ』

 巨大な剣が握られていた。

『退くな! 退けば不利になる!』

 弘人が前方に跳躍したのは、その声とほぼ同時だった。

 固有魔法で生成された武器は射撃と違い視認が出来る。その時点で弘人に後退の意志は無かった。距離を離したところで弘人に出来ることは無い。対して魔法少女側には射撃という強力な武器がある。であればこの戦いの最適解は近接戦闘となる。

しかし。

「くッ!」

 弘人は身を捩り、横薙ぎの大剣を間一髪で躱す。

 アンバーは避けられたことを確認するよりも前に、既にその大剣を手放していた。

「ふッ!」

 懐に潜り込んだ弘人はアンバーの腹部を思い切り殴り抜く。しかしアンバーは一瞬怯むのみ。振り上げられたハンマーが振り下ろされるより先に、弘人は後ろに飛び退いた。

「肉体強化か……!」

『理解したかい? こちらからの攻撃は基本的に有効打にならないと思った方がいい』

「じゃあッ! どうすりゃいいッ!」

 ハンマーの次は槍。槍の次は斧。斧の次はハルバード。弘人はアンバーの武器による攻撃を避けながら白薊に問うた。

『勝利条件は二つ。魔力切れか魔晶クォーツの破壊だ』

 魔法少女は魔法の行使に魔力を消費する。次々に武器を作り出し続けているアンバーに、いずれ魔力切れが起こるのは明白だった。

『魔力切れを狙うなら君は避け続ければいい。そうすればいずれは勝てる』

 しかし魔法少女の魔力と同様に、弘人の体力にも限界はある。弘人の体力よりも先に相手の魔力が切れるという保証は無い。

「魔晶とやらの位置はッ!」

 故に弘人が選んだのは後者だった。

『胸だ』

 白薊の言葉と同時に弘人は前方へ駆け出す。

 アンバーの攻撃はどれも大振りだった。それを打ち消す為に武器を使い捨てているのだろうが、それでもなお隙は生じる。

弘人の蹴りはそんな隙を突き、アンバーの胸を捉えた。本来胸にあるはずの無い、鉱物のような硬い感触が靴底から脚へと伝う。

「ぐッ!?」

 先程の腹部への攻撃とは違い、今度は明確にアンバーの表情が歪んだ。

「壊れたのか!?」

『まだだ。一撃で壊れる訳が無い』

 白薊の言葉の通り、後方へ飛び退いたアンバーは直ぐに体勢を立てなおした。

「どうして。どうして紫乃ちゃんを殺したんですか?」

 アンバーは胸に手を当て、俯いたままそう呟く。

「紫乃ちゃんは優しくて、強くて、それで……」

 けれどその様子はどこかおかしい。魔晶へのダメージからか手足は小刻みに震え、俯いたまま隙だらけで立っている。

白薊にはそう見えている。

『よくわからないが今の内だ。魔晶を破壊し――』

「黙れ。今動けば俺が死ぬ」

 白薊が言い切る前に弘人はその言葉を遮った。

 様子が変わったのはアンバーだけではない。彼女と相対する弘人もまた同様だった。

『……どういうことだい? 君には、何が見えている?』

 その問いは全く持って見当違いだった。今の弘人に特別なものなど何一つ見えていない。

けれど、今の弘人には、何も見えている必要は無い。

「どうして、紫乃ちゃんだったんですか?」

『ッ!? 避けろッ!』

 跳躍は一瞬だった。白薊の声が電波の力で弘人の耳に届くより早く、アンバーの槍が弘人の頭を貫く。

 その筈だった。

「あれ?」

 しかし弘人はその頭を僅かに傾け、最小限の動きで高速の一突きを躱していた。まるで、そこに来るのがはじめからわかっていたかのように。

 驚きにより出来た隙を突くように、弘人の蹴りが再びアンバーの胸に突き刺さる。

「ぅぐッ!?」

 アンバーは持っていた槍を手放し、再び後方へ飛び退く。そんな彼女を追うように、弘人の足は既に前方へと駆け出していた。

 アンバーは両腕を胸の前で交差する。再び来る魔晶への攻撃を防ぐために。

 しかし次の衝撃は、彼女の腹部に直撃した。

「かはッ!?」

 ほんの一瞬、アンバーの呼吸が停止する。それが一瞬で済んだのは、肉体強化の恩恵だろう。

 アンバーは両手に剣を生成すると、目の前を全力で切り裂いた。しかし手に伝わるのは空を切る感覚のみ。そこに弘人の姿は無い。

 弘人の姿はアンバーの視界の外。地面に張り付くように、大きく体勢を低くしていた。

胸、腹と意識を分散させた弘人の次の狙いは脚だった。

「えっ?」

 足への衝撃と共にアンバーの視界が揺れる。天地が逆転していくその感覚は、右半身への衝撃と共に九十度で停止した。

 気が付けばアンバーの体は、地面へと横たわっていた。

 何が起きているのか。理解の追い付かないアンバーの視界に影が覆い被さる。それは彼女のものより大きな男の手。石黒弘人の右手だった。

アンバーの頭を掴んだ弘人は、それを思い切り地面に叩きつける。

「ぐぅぁッ」

 少女の短い悲鳴が冷たい空気を切り裂いた。

魔法少女の肉体強化は外部からの衝撃に対して有効に働く。故に頭を思い切り地面に叩きつけられたところで、大したダメージは無く外傷には至らない。

けれど。

二度三度、衝撃が続いた。その度に唸るような低い声が何度もアンバーの口から漏れ出る。脳が揺れる。視界が揺らぐ。思考が飛ぶ。確実に、死が近づいてくる。

「うあぁぁッ!」

四度目の衝撃と同時に弘人はその手を離し、自宅の方へと走り出した。

「おい、白薊! アイツが動き出したら教えろ!」

『わ、わかった。任せてくれ』

 石黒家は二階建ての一軒家だ。弘人は急いで玄関を開けると、靴を履いたまま階段を駆け上がる。階段から見て右側奥の部屋。扉を開けると見慣れた部屋の光景が部屋の主を迎えた。

『アンバーが立ち上がった』

 白薊の声は弘人の予想よりも早くその耳に届いた。弘人は急いで一本の金属バットを手に取る。そして自室の窓を開け放ち、窓の外を確認すると。

「この距離ならいけるか」

 小さくそう呟き、窓枠に足を掛けた。

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