1-4

 揺れる視界の中、黄橙の魔法少女、黄島きじま橙子とうこは立ち上がった。込み上げてくる吐き気と胃酸を無理やり胃の中へ落とし込みながら。

ゆっくりと周囲を見回すが、そこに既に弘人の姿は無い。代わりにその目に飛び込んだのは、これ見よがしに開いた石黒家の扉だった。

「罠……? でも、行かなきゃ」

 橙子は両手に魔法で生成した斧を携え、石黒家へと足を踏み入れる。

「足跡……」

 玄関から階段へ向かうそれを見て、橙子は斧を握る手により一層力を込めた。

「……待っててね、紫乃ちゃん。絶対仇は取るから」

 そう呟いて階段を上る橙子。その脳裏にはかつての自身と、今は亡き少女の姿があった。


 黄島橙子は学校が嫌いだった。というよりも、そこでいやでも顔を合わせなければいけない人間たちが嫌いだった。

自身より頭が良い。それだけの理由で群れになって橙子を排除しようとする加害者と、自分がその標的にならないように見て見ぬふりをする傍観者。そんな二種類の人間しか居ない学校など、行く意味の無い場所だと思った。

そうして家に籠るようになってしばらくした頃、一人の少女が橙子の家に訪ねてきた。橙子と同じ制服を着た少女を、しかし橙子は無視することにした。大嫌いな学校の人間。それだけで拒絶の理由には十分すぎた。

けれど次の日も、少女は橙子の家に訪ねてきた。その日も橙子は無視をした。

そのまた次の日も、少女は橙子の家に訪ねてきた。その日も橙子は無視をした。

そんな日々を繰り返したある日、橙子は少女を家に入れることにした。特に理由があった訳ではない。その日はたまたま気が向いたから。或いはきっと、彼女は特別なのかもしれないとそう期待してしまったから。

扉を開けると、少女は満面の笑顔で言った。

「黄島橙子さん、だよね? 私、青崎あおざき紫乃しの! あなたとお話がしたくて来たんだけど、今時間大丈夫かな?」

 その日から、黄島橙子の人生は少しだけ変わった。

「私転校生でさ。ずっと学校に来てない人がクラスに居るからどうしたのかなーって思って。どうしても気になっちゃって先生に家の場所聞いたんだ! ごめんね勝手に。迷惑、だったかな?」

 最初は変な人間だと思った。けれど何故だか、悪い気はしなかった。

「え、それって、イジメじゃん……。でもそっか、それじゃあ橙子ちゃんも学校行きたくなくなっちゃうよね……」

 そのうち、悪い人間ではないと思うようになった。明るくて優しくて、コロコロ表情を変える愉快な人間だと思った。

「それじゃ、これから毎日ここでお勉強会しようよ! 学校で習うこと、私が教えてあげる!」

 そしていつしか友人だと、もしくはそれ以上の親友だと、そう思うようになった。紫乃と会うことが橙子にとって、何よりの楽しみになった。

紫乃の存在は光だった。橙子のもとへ差し込んだ一筋の光。だから橙子も紫乃の光になりたいと、次第にそう思うようになった。

 そんなある日のことだった。

「何、これ……」

 目を覚ました橙子の胸には、黄橙色の鉱石のようなものが埋め込まれていた。

「魔法、少女……?」

 それと同時に、彼女の頭の中に知識が流れ込んだ。魔法の知識、魔法少女の知識、そして。

「殺し、合い……」

 そのとき、インターホンが鳴った。ベッドから起き上がり部屋を出て、そうしていつものように紫乃を迎えなければいけない。それに今日は雨が降っている。外で待たせては紫乃が風邪をひいてしまうかもしれない。頭ではそうわかっていても、橙子の体は動かなかった。

「橙子ちゃん? ねえ、居る?」

 玄関の方から、扉を叩く音と共に紫乃の声が聞こえてきた。しかしその声はいつもと様子が違った。何か不安があるような、或いは焦っているような。そんな心細さを感じさせる声。

「私の体、朝からおかしいの! 胸に変な石があって、それで!」

 息が詰まった。涙が込み上げた。それでも無理矢理体を動かして、親友のもとへ向かった。

 扉を開けると、ずぶ濡れの少女は今にも泣きだしそうな顔で言った。

「私……殺し合い、しなくちゃいけないって……」

 こぼれそうになる涙をこらえて、橙子は紫乃を抱きしめた。

お互いの胸の異物が、こつんと小さな音を立てる。

「え……? 橙子ちゃん、も……」

「大丈夫! 私が何とかするから!」

 何の根拠もない言葉だった。

「絶対に紫乃ちゃんは死なせない! 私が、絶対に何とかする!」

 紫乃の目から涙が溢れ出した。その日橙子は、初めて紫乃の涙を見た。そしてもう二度と紫乃を泣かせたくないと、心の底からそう思った。


 こうして黄島橙子と青崎紫乃は、黄橙の魔法少女と青紫の魔法少女になった。


 橙子の部屋で二人は約束を交わした。二人で協力して生き残る術を見つけようと。その為に二人と同じように、殺し合いを拒絶する仲間を探そうと。

 絶対に、二人で生き残ろうと。


 そしてその夜、青紫の魔法少女、青崎紫乃は石黒弘人の手によって命を落とした。


 殺意が橙子の足を動かす。黒の魔法少女石黒四葉と、イレギュラー石黒弘人。橙子にとって唯一の親友を奪った兄妹への、絶対に殺すと心に誓った二人への殺意が。

 二階へと上がった橙子は足跡の続く先、弘人の部屋の前に立つ。

「居ない……」

 廊下から続く足跡は、開け放たれた窓の方へ向かっていた。そして窓枠にもまた、黒い跡が付着している。

「飛び降りた?」

 ここは民家の二階だ。大した高さではない。普通の人間が飛び降りたところで、よほど運が悪くなければ大怪我はしないだろう。

 けれどそれでは腑に落ちない。橙子は僅かに首を傾げた。

 何故イレギュラー、石黒弘人はわざわざこの家に入ったのだろうか。

 もしも弘人が逃げるつもりなのであれば、この家に入る必要は無い筈だ。橙子の頭を地面に叩きつけ、立ち上がれなくなっているうちに逃げ出せばいい。実際にはその選択は、橙子が立ち上がるまでの時間がわからない以上良い選択とは言えないが。

 それに何より、勝てる相手から逃げる意味が無い。橙子はあの瞬間、確かに死を意識した。石黒弘人は自身を殺しうると、そう認識した。そしてそれは、弘人の側も理解している筈だ。この魔法少女は殺せると、そう認識した筈だ。

 では彼は何の為にこの家に入ったのか。答えは単純だ。

「罠……」

 明らかに窓へと誘導する足跡。弘人は窓から飛び降りたと思い、橙子が窓の外を覗こうとしたところを背後から襲撃。橙子は足跡からそんな意図を感じ取った。

であれば。

「まだ、この部屋に居ますよね」

 橙子は一歩、弘人の部屋に足を踏み入れる。弘人の部屋は家具が少なく綺麗に片付いており、それ故人の隠れるスペースは無いように思えた。

 クローゼット一か所を除いて。

「ッ!」

 橙子はクローゼットに向かって全力で斧を投擲する。身体強化によって跳ね上がった膂力から繰り出された投擲は、木製のクローゼットをいとも容易く粉砕した。

 しかしそこに弘人は居ない。苦痛の叫びも血の一滴も、その場所からは出なかった。

「居ない?」

 橙子は周囲を見回す。他に隠れられそうな場所はどこか。ベッドを粉砕し、デスクを蹴り飛ばし、しかしどこにも弘人の姿は無かった。

「まさか本当に飛び降りた?」

 橙子は新たに斧を作り出し、警戒しながら月明かりの差し込む窓へと近づく。しかし当然ながら、窓の外にも弘人の姿は無い。

「なら、どこに」

 言いながら振り返るその頭に、鈍い衝撃が走る。脳が揺れ、平衡感覚を失った肉体が床へと叩きつけられる。

「――」

 何で。その言葉が口から出ることは無かった。二度目三度目と衝撃が続く。

「――」

 ごめんね。その言葉ももう誰に届くこともない。四度目五度目と衝撃が続く。

「――」

 六度目以降の衝撃を、橙子が感じることは無かった。



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