2-5
暮坂朱美はずっと探していた。自分の居場所を。
朱美は世間一般で言うところの、天才と呼ばれる人間だった。勉学においても運動においても常に全国上位のレベルを残し続ける彼女を、人々は天才としか呼称できなかった。
それ故彼女には多くの人から期待が掛けられ、そして彼女はそのハードルを難なく飛び越し続けた。至極淡々と、当然のように。人一倍努力をするわけでもなく、やってみれば全てを難なくこなしてしまう。そこには達成感も感動も、彼女の心を揺さぶるものなど何一つ存在しなかった。
そんな天才を周囲の人間はどう扱うだろうか。当然、特別扱いするだろう。朱美は凡人とは違う場所に居るのだと、彼女は自分たちより上位の存在なのだと。あなたの居場所はここじゃない。もっと相応しい場所があるはずだ。そんな言葉はまるで、朱美の居場所は無いと言っているようだった。そんな大衆の悪意無き悪意こそが、彼女の精神を歪めていった。
気付いたときには、朱美は一人だった。周囲を見回しても人影は一つもない。社会を回す歯車として世界に関わることが、天才である朱美には許されなかったのだ。
そうして天才暮坂朱美はいつの間にか、或いはそもそも初めから、孤独の人になっていた。
それに気付いたときから、朱美は全てがどうでもよくなった。自分の存在は世界にとってどうでもいいものなのだと、そう考えるようになった。
そしてその考えは、その胸に魔晶が発現してからも変わらなかった。心の空白は埋まることなく、どうせ魔宴も勝ち抜いてしまう。だって人生とはそういうものなのだから。暮坂朱美という人間は、そういう存在なのだから。
その考えは、赤紫の魔法少女によって粉々に打ち砕かれた。
赤紫の魔法少女との殺し合いは、朱美に危機を教えた。困難を教えた。闘争心を教えた。自分にも上手くいかない事があるのだと、その現実を教えた。
そしてその事実は、朱美の心を躍らせた。これまで特別という烙印を押され続けてきた朱美にとって、初めて現れた対等な存在。競い合い、高め合える存在。負けるかもしれない。死ぬかもしれない。そんな状況に、朱美は錯覚してしまった。
ようやく、自分の居場所を見つけたのだと。
そうして暮坂朱美は、朱の魔法少女として魔宴の歯車になることを選んだ。
「自壊?」
『ああ、自壊だ。肉体の限界を無視した魔法の行使。彼女の魔晶は一分ももたず砕け散る』
要は一分を耐え凌げばいい。それだけでヴァーミリオンは勝手に死を迎える。
けれど、そんなことは不可能だと弘人は本能で理解する。一分という時間は、今のヴァーミリオンと相対するにはあまりにも長すぎる。
「構えろよッ! どっちが上かッ! 決めようじゃあねえかッッッ!」
そう言い放つヴァーミリオンは、至極楽しそうに笑みを浮かべていた。
弘人は鉄の棒を握りなおす。両手の間を十分に開けると、槍のようにそれを構えた。
「なあテメエ、最後にもう一度聞く。テメエは何者だよ」
弘人は呼吸を整えながら、ちらりと背後に目をやった。
オレンジは今も口を押さえ、どうにか倒れないように立っているのがやっとという様子。それはつまり、彼女の助けは期待出来ないということだ。
「ただの人間だ。二度も言わせるなよ」
ヴァーミリオンからの問いに、弘人は静かにそう返す。言葉はそれきり無くなった。
『迎え撃つつもりかい?』
白薊の言葉に、弘人は言葉を返さない。極限の集中状態において、弘人は既に音を不要と判断していた。
「あァ?」
次に弘人はその目を閉じた。見てからの反応は不可能だと、そう弘人は判断した。
視覚聴覚を自ら捨て、残ったのはその身に感じる気配のみ。一手誤れば命を落とすという状況下において、弘人の取った選択肢は正気のソレとは思えぬものだ。
しかし相対するヴァーミリオンは弘人のその姿から、確かな恐怖を感じていた。
実力の差は圧倒的だ。そもそも魔法少女とただの人間には、比べるのも馬鹿らしいほどの圧倒的な差が存在する。そんなただでさえ劣っている人間が、目を塞いでいるのだ。最早ヴァーミリオンが負ける理由など無い。そう頭では理解している。
けれどヴァーミリオンの根底にある生物としての本能が、彼女に強く死を訴えかけていた。
しかし迷っているような時間は無い。魔晶に入った大きな亀裂がその事実をヴァーミリオンに伝える。
どちらにせよ、この一撃で生死が決まる。その確信が両者にはあった。
永遠のような一瞬の沈黙。それはヴァーミリオンの渾身の一撃により終わりを迎えた。
振りぬかれたヴァーミリオンの拳は弘人を捉えてはいなかった。そして彼女の胸には、魔晶を突き穿つように鉄の棒が直撃していた。
では何故、ヴァーミリオンはまだ魔法少女の姿を保っているのだろうか。
弘人はその手に伝わる感覚で理解する。彼女の魔晶がまだ、砕け散ってはいないことを。
『弘人クンッ!』
弘人は最善を尽くしたはずだった。ヴァーミリオンの渾身の一撃を躱し、その胸を鉄の棒で突き穿つ。しかし最善を尽くしてもなお、殺すには一歩足りなかった。そして既に、弘人の集中力は限界を迎えていた。
勝敗は決した。ただの人間である石黒弘人は、朱の魔法少女ヴァーミリオンに敗北した。
「止まれェッ!」
弘人の背後から叫び声が響いた。
空気を切り裂く様なその声と共に、弘人とヴァーミリオン、二人の動きが停止する。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
喉の奥から溢れ出る血液など気にも留めず、オレンジは弘人の持つ鉄の棒を殴り抜いた。拳により打ち出された鉄の棒は、杭のようにヴァーミリオンの胸へと深く沈み込んでいく。
鉄の棒から弘人の腕へと、何かが砕け散る感覚が伝わった。
ヴァーミリオン、朱の魔法少女だった少女が、力無く倒れる。
それと同時に弘人の体に自由が戻る。その足元には、オレンジが倒れていた。
「これ、かふっ……勝ったって、ことよね……」
その鼻口から血を流しながら、オレンジは弱弱しく微笑んだ。
その姿を見て、弘人は再びその両手に力を込めた。衝撃による痺れが残るその両手で、鉄の棒を強く強く握り締める。
戦いはまだ終わっていない。まだ、魔法少女は生きている。弘人は鉄の棒を大きく振り上げ。
「やった……私、生き残ったんだ……」
オレンジの胸へと振り下ろした。
そうして橙の魔法少女と朱の魔法少女、二人の魔法少女の死によって地下鉄内での戦いは終わりを迎えた。
ただ一人生き残った弘人はふらついた足取りで、近くの座席に腰を下ろす。
『……お疲れ様、弘人クン』
白薊のその言葉で、弘人は戦闘が終わったことを再確認した。するとアドレナリンが切れたのか、思い出したように激痛が弘人の体を襲う。
『大丈夫かい?』
「俺のことはいい。この後のことを教えろ」
一人と二人だったものを乗せて、なおも電車は動き続ける。車窓から見える景色は、いつの間にか地上のものになっていた。
戦闘が終了したのであれば、弘人は事後処理に頭を切り替えなければいけない。しかし今回は前回と違い、死体を拠点まで運ぶというのは限りなく不可能に近かった。
『次の駅で降りてくれ。今回の君の役目はこれで終わりだ』
「死体はどうする。このまま放置するのか?」
『……ああ、そうだ』
その言葉に弘人は眉を顰めた。このまま車内に放置していれば、いずれ誰かが二人の死体を発見するだろう。
そこまで考えて、弘人は白薊の言わんとすることを理解した。
「……世界の強制力とやらか」
朱の魔法少女と赤紫の魔法少女の戦いは、トンネル事故として処理された。世界が魔法の存在を秘匿するために。であれば今回も、何らかの事故として二人の死は処理されるのだろう。本当の死因を誰も知らぬまま。
『彼女たちの死は、世界によって捻じ曲げられる。魔法などとは無縁の死であると、そう偽装されるんだ。今までもずっと、そうだった』
電車内にアナウンスが響いた。同路線内で起きた人身事故により車両が停止するという旨の。
弘人はそこに意志を感じた。世界の強制力による意思を。ここでお前は降りるべきだと、そう催促するかのような。
『降りるんだ弘人クン。乗ったままでは、恐らく君も巻き込まれる』
弘人はゆっくりと立ち上がり、座席後部の窓を開けた。車内へと吹き込む冷たい風が、改めて弘人の生を肯定する。
そうして列車を出る直前、弘人は二人の死体に目をやった。その目に、しっかりと焼き付けるように。自分の奪った命を、自分の犯している罪を、決して忘れないように。
地下鉄での戦闘と時を同じくして、二人の魔法少女が命を落としていた。
「ふむ。ようやく馴染んできたな」
赤の魔法少女と、青の魔法少女。二人の魔法少女は一時的に協力し、結界を地下空洞に張り動かなくなった魔法少女を殺そうと考えたのだ。
共通敵を作ることで得られる表面上の結束。殺し合いの前では何の役にも立たないそれを、しかし二人の魔法少女は求めたのだ。
二人はターゲットを黒の魔法少女に定めた。それこそが、彼女たちのミスだった。
そこで起こったのは、戦闘では無かった。どこまでも一方的な蹂躙。或いはもっと単純に、破壊と表現したほうが相応しいかもしれない。
たしかに黒の魔法少女は手負いだった。青紫の魔法少女との戦いで負った傷を癒すため、結界を張り体を休めていたのだから。しかしそれでも、二人では戦いにすらならなかった。二人の魔法少女はただ一方的に、殺されるしかなかった。
「さて、それではそろそろ動くとするか」
二人の魔法少女の行動により、魔宴はそのステージを更に次の段階へと進めていく。終幕、黒の魔女の顕現へと向けて。
残る魔法少女は、五人。
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